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第29話:決戦! 浄化の雨と魔神の断末魔


 魔界の空は、禍々しい黒雲と黄金のマナが激しくぶつかり合い、雷鳴のような轟音が鳴り響いていた。


 リリスの強靭な腕に抱かれ、アルスは戦場を一望できる高空へと到達した。眼下には、レオンが操る数万の死霊兵――かつての王都騎士たちの成れの果てが、意思なき呻き声を上げながら魔王城へと殺到している。


「……あははは! 見ろよ、アルス! この素晴らしい軍勢を!」


 空中に浮かぶレオンが、黒い触手の翼を羽ばたかせながら、狂気に満ちた笑みを浮かべて迫ってくる。


「お前が捨てた国、お前が見捨てた仲間たちだ! こいつらはみんな、お前を呪っているぞ! なぜ俺たちを救わなかった、となぁ!」


 レオンが腕を振るうと、指先から放たれた黒い雷撃がリリスの結界を叩いた。


「黙れ、この無様極まる敗北者が」


 リリスは冷徹な瞳でレオンを射抜き、その余波を翼の一振りで霧散させた。


「アルスを汚らわしい言葉で呼ぶな。お前はただ、自分の弱さを他人のせいにしているだけの矮小な魂に過ぎない」


「リリス、いいよ。……レオン、君には何を言っても届かないかもしれないね」


 アルスは静かに、手に持っていた虹色のフラスコ『星のアストラル・ティアーズ』を掲げた。


「君が操っているこの人たちは、君の所有物じゃない。……彼らには守るべき家族がいて、帰りたかった家があったはずなんだ。君はそれを、死んだ後まで踏みにじっている」

「うるさい! 正義面をするな! 結局、力がある方が勝つんだ! この魔神の力があれば、俺は神にだって――」

「……いいや、レオン。君が持っているのは『力』じゃない。ただの『毒』だよ」


 アルスは迷うことなく、虹色のフラスコを自らの手で砕いた。

 パリン、という澄んだ音が戦場に響き渡った。


 その瞬間、アルスの周囲から爆発的な光が溢れ出し、リリスが事前に魔法陣で増幅させていた大気中のマナと共鳴した。


「【真・調合】――『天界の雫・広域散布』!」


 刹那、魔界の空から虹色の雨が降り注いだ。

 それはレオンが放つ瘴気を一瞬で中和し、死霊兵たちの腐った肉体を優しく包み込んでいく。


「な……なんだ、この雨は!? 焼ける……俺の力が、溶けていく!?」


 レオンは悲鳴を上げ、自らの腕を抱えてのたうち回った。

 しかし、地上では逆の現象が起きていた。


 虹色の雨を浴びた死霊兵たちの瞳から、どす黒い光が消えていく。彼らの腐敗した肉体は、生前のような清らかな光に包まれ、その顔には穏やかな安堵の表情が戻っていた。


「……ありがとう……聖者様……」


 誰ともなく呟かれた感謝の言葉と共に、数万の軍勢は、灰になるのではなく、一筋の光の粒子となって空へと昇り始めた。それは、アルスのポーションが、彼らの魂を魔神の呪縛から「解毒」し、正当な輪廻へと送り返した瞬間だった。


「馬鹿な! 俺の軍勢が……俺のポーション(道具)どもがぁぁ!」


 レオンは発狂し、残された全魔力を右腕の魔神の心臓へ注ぎ込んだ。彼の肉体は急激に膨れ上がり、数メートルもの巨体を持つ醜悪な怪物へと変貌していく。


「アルス! お前さえ……お前さえ殺せば、俺が正しいことになるんだぁぁ!」


 突進してくるレオン。だが、その動きは鈍い。

 アルスはリリスに合図を送り、彼女の手から離れて、空中をゆっくりと降下しながらレオンの鼻先に着地した。


「……最後だよ、レオン」


 アルスは、手のひらに残っていた最後の一滴のポーションを、レオンの額に埋め込まれた「魔神の宝玉」にそっと塗りつけた。


「……これを飲ませることはできないけど。……せめて、君の『劣等感』という病気を、僕が治してあげる」


 チリ、と小さな音がした。


 アルスの指先から流し込まれたのは、調合師としての全ての技術を注ぎ込んだ『魂の融解液』。

 レオンを支配していた魔神の力が、アルスの純粋なマナに触れて、雪解けのように消滅していく。


「……あ……。……体が……。……熱く、ない……?」


 巨大な怪物の姿が崩れ、そこから一人の、弱々しい青年の姿が地面へと落ちていった。

 魔神の力も、勇者の加護も、そして憎しみさえも失った、ただのレオン。


 地面に激突する寸前、ゼノが放った風の魔法が彼を優しく受け止めた。

 アルスもまた、リリスと共に地上に降り立ち、力なく横たわるレオンを見つめた。


「……アルス……。……俺は……」


 レオンの瞳には、ようやく正気の光が戻っていた。だが、その命の灯火は今にも消えようとしている。


「……君を助ける薬は、もう作らないよ。……でも、君が死ぬまでの数分間、苦しまないための薬なら、ここにある」


 アルスは小さな小瓶をレオンの口元に運んだ。

 それは、痛みを和らげ、穏やかな眠りを誘うだけの、ごくありふれた鎮痛薬だった。


 レオンはそれを一口啜ると、深く、長い溜め息を吐いた。


「……不味いな。……お前の作る薬は、いつも……甘すぎて……反吐が出る……」


 それが、かつての勇者の最期の言葉だった。

 レオンは安らかな寝顔のまま、その生涯を閉じた。


 戦場に、静寂が戻る。


 虹色の雨は止み、雲の間から魔界の月光が差し込んでいた。

 魔王ゼノスも、ガウルも、そしてゼノも、ただ静かに、一人の調合師が因縁に終止符を打った光景を見届けていた。


「……終わったね、リリス」

「……ああ。お疲れ様だ、アルス」


 リリスはアルスの肩にそっと手を置き、寄り添った。


 追放された日から始まった、過去との決別。

 アルスは復讐を成し遂げたのではなく、ただ「調合師」として、一人の壊れた患者を最期まで診察し続けたのだ。


 アルスの物語はまだ終わらない。

 浄化された魔界、そしてアルスの名を知った世界。彼のポーションが、今度はどんな未来を「調合」していくのか。

 

新しい時代の幕開けを予感させながら、魔界の夜は更けていく。


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