第26話:魔界開拓と、アルス専用の巨大工房
魔王ゼノスの不治の病が完治したという報せは、落雷のような衝撃をもって魔界全土を駆け巡った。
あの日を境に、アルスを取り巻く環境は劇的な変化を遂げた。魔王城の最も陽当たりの良い一角――かつては王族専用の空中庭園だった場所が、魔王の直命によって「アルス専用の特別工房」へと改築されたのである。
「……やりすぎじゃないかな、これ」
完成したばかりの工房を見上げて、アルスは呆然と呟いた。
そこには、人間界のどんなギルドも足元に及ばないほどの設備が整えられていた。最高級の魔石を贅沢に使用した大釜、温度を自在に操る魔法陣が刻まれた作業台、そして魔界各地から集められた希少な薬草を保管するための、巨大な冷却魔導庫。
「何を言うか。魔王様を救った御方だ、これでも足りぬくらいだぞ」
工房の入り口で仁王立ちしているのは、ガウルだった。彼は今や、魔王軍の将軍という肩書きを半分返上し、自ら志願してアルスの「工房守護騎士」を務めている。
「アルス殿、見てくれ。魔界全土から、貴殿の『肥料』を求めて魔族たちが集まってきている。皆、貴殿がスープを振る舞ったあの集落の噂を聞きつけたのだ」
工房のバルコニーから下を見下ろすと、そこには見渡す限りの魔族たちの行列ができていた。かつて人間を襲っていた獰猛な魔族たちも、今はアルスのポーションを受け取るために、静かに、そして敬虔な面持ちで順番を待っている。
「……よし。それじゃあ、さっそく始めようか。リリス、手伝ってもらっていい?」
「ああ、任せておけ! お前の助手ができるのは、私だけだからな」
リリスは誇らしげに翼を広げ、アルスの隣に並んだ。
アルスが最初に取り組んだのは、魔界の土壌そのものを変えるための『広域土壌改質ポーション』の大量生産だった。
彼は魔王城の地下から湧き出る濃厚なマナの泉に、リーフ村で採取した特殊な菌糸と、魔界の過酷な環境で生き抜く強靭な薬草を【真・調合】で掛け合わせていく。
「……普通なら、これほど異なる属性を混ぜれば大爆発を起こすが。アルスの手にかかれば、まるで水と油が手を取り合うように馴染んでいくな」
リリスが感心したように見守る中、大釜の中の液体は、次第に温かなエメラルドグリーンの光を放ち始めた。
アルスはその完成した薬液を、魔王城の尖塔に設置された「気象操作魔法陣」へと流し込んだ。
数分後。魔界の紫色の空から、静かに雨が降り始めた。
それは、ただの雨ではなかった。一粒一粒が純粋なマナと栄養素を孕んだ、アルス特製の『恵みの雨』だった。
雨が大地に染み込むたびに、魔界の荒野に奇跡が起きた。
毒の沼地からは清らかな水が湧き、枯れた岩場からは色鮮やかな魔界植物が次々と芽吹く。
「……おお……! 大地が、大地が息を吹き返しているぞ!」
行列を作っていた魔族たちが、雨に打たれながら歓喜の声を上げた。
彼らがその雨を一口啜れば、積年の疲労が消え去り、二口啜れば、欠損していた部位さえも再生し始める。
「これが……『調合』の力なのか」
玉座からその光景を眺めていた魔王ゼノスもまた、その凄まじい光景に息を呑んでいた。
武力で奪い、支配することでしか領土を広げられなかった自分たちの歴史が、たった一人の青年の「善意」と「技術」によって、塗り替えられていく。
だが、その平和な光景の裏側で、アルスは次の課題を見つけていた。
「……リリス。大地の浄化が進めば、これまで溜まっていた『毒』がどこかに押し流されるはずなんだ。……それは、おそらく人間界との境界線付近に溜まることになる」
「……なるほど。光が強まれば、影もまた濃くなるということか」
リリスの表情が、一瞬だけ戦士のそれに変わった。
「その影が、王都の廃墟で蠢いているあの男のもとへ流れていくとしたら……」
「……レオンだね」
アルスは静かに頷いた。
自分を捨てた勇者のことは、もう恨んでいない。だが、彼が抱える「歪み」が、この美しい魔界や、平和なリーフ村を再び脅かすのなら、立ち向かわなければならない。
「工房ができたのはいいけど、のんびり研究してる暇はなさそうだ。……リリス、次は『対魔神用』の強化ポーションの試作に入ろうと思う。……僕の大切な人たちを、二度と傷つけさせないために」
アルスの瞳には、穏やかさの中に、決して折れない強い意志が宿っていた。
追放された調合師は、今や魔界の救世主として、そして世界を破滅から守る最後の砦として、その真の力を覚醒させようとしていた。
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