第24話:魔界の集落と、温かなスープ
次元の門を越えて数時間。ガウル率いる魔王軍の先導で、アルスとリリスは魔界の街道を進んでいた。
道中、アルスが「栄養剤」を垂らした場所からは、毒霧を撥ね退けるようにして瑞々しい草花が芽吹き、かつて死の荒野と呼ばれた風景が、断続的に鮮やかな緑の帯へと書き換えられていく。
「……信じられん。我らが数百年にわたり絶望してきたこの大地が、歩を進めるごとに癒えていくとは」
ガウルは背後を振り返るたびに、驚愕を通り越して畏怖の念を抱いていた。
彼の横を歩くアルスは、時折立ち止まっては路傍の石や土を採取し、不思議そうに眺めている。
「魔界の土は、マナの含有量が人間界の比じゃないですね。……これ、適切に【調合】すれば、一晩で数年分の成長を促す肥料になりますよ」
「肥料、だと……? アルス殿、魔界では作物を育てること自体が、命を削る儀式に等しいのだぞ」
「あはは、そんなに難しく考えなくていいですよ。要は、栄養の通り道を掃除してあげるだけですから」
そんな会話をしながら一行が辿り着いたのは、岩山の斜面にへばりつくようにして作られた小さな魔族の集落だった。
家の壁はひび割れ、道ゆく人々――山羊のような角を持つ民や、青い肌をした子供たち――は、皆一様に痩せ細っている。魔界全土を覆う「マナの枯渇」は、この地の住人から活力を奪い、緩やかな死へと向かわせていた。
「ガウル様……。魔王様へ献上する食料は、もう……」
集落の長と思われる老人が、力なく膝をついた。その周囲では、お腹を空かせた子供たちが、枯れた果実を必死に齧っている。
「……見ていられないね」
アルスがぽつりと呟いた。
彼はリリスを振り返り、そっと微笑んだ。
「リリス。魔王さんに会うのはもう少し後でもいいかな? ここで、少しだけ『仕事』がしたいんだ」
「……ああ。お前がそう言うと思っていたぞ。ガウル、少し時間を置け。この男を止められる者など、この世界にはおらんのだ」
リリスは満足げに頷き、周囲の魔族たちがアルスを警戒しないよう、自身の圧倒的な魔圧で牽制しながら道を作った。
アルスは集落の中央にある大きな広場へ向かうと、荷物の中から旅用の大鍋を取り出した。
「ガウルさん、綺麗な水はありますか?」
「水、か。……あそこの井戸にあるが、ひどく濁っていて、魔力の毒が混ざっているぞ」
「大丈夫です。……これを使えばね」
アルスは懐から、虹色に輝く小さな石――以前、リーフ村のために作った『濾過石』の改良版を取り出した。
それを井戸に投げ込むと、数秒もしないうちに、井戸の底から清らかな水の音が響き始めた。汲み上げられた水は、水晶のように澄み渡り、立ち昇る湯気からは、微かに花の香りが漂う。
「な……水が……浄化された!? 魔界の汚染を、石一つで!」
集落の魔族たちがざわめく中、アルスはさらに驚くべき行動に出た。
彼は大鍋にその水を満たし、周囲に生えていた「枯れかけた薬草」と、自分のポーチに入れていた「乾燥肉」を放り込んだ。そして、仕上げに一瓶の黄金色の液体を垂らす。
「これは『全快の出汁ポーション』です。これを加えれば、どんな枯れ木でも最高の食材に変わるんですよ」
アルスがゆっくりと鍋をかき混ぜると、魔界ではあり得ないほど食欲をそそる、芳醇な香りが広場いっぱいに広がった。
香りを嗅いだだけで、力なく倒れていた子供たちが目を輝かせ、立ち上がる。
アルスはスープをお椀に分け、おずおずと近づいてきた子供たちに手渡した。
「さあ、食べて。温かいうちにね」
子供が一口スープを啜った瞬間、その体からどす黒い疲れが霧散し、頬に健康的な赤みが差した。
「……美味しい! なんだか、体が熱くなって、力が湧いてくるよ!」
「本当だ! 角の先までピリピリして、魔法が使えそうな気分だ!」
瞬く間に、集落全体が歓喜の渦に包まれた。
老人は涙を流しながらスープを飲み干し、戦士たちは自分の腕に筋肉が戻るのを見て驚嘆の声を上げている。
アルスが作ったのは、ただの食事ではない。魔族の魔力回路を根底から再構築し、呪われた体質を「健康」へと引き上げる、究極の医療食だったのだ。
「……アルス殿。貴殿は、神か何かなのか……?」
ガウルもまた、一杯のスープを口にし、その計り知れない効力に震えていた。
自分が信じていた「強さ」とは何だったのか。剣で国を奪い、力で領土を広げることの虚しさを、この一杯のスープが物語っていた。
「僕はただの調合師ですよ。……リリス、お待たせ。リリスの分は、特別に香辛料を多めにしておいたよ」
「……ふん。私を待たせるとは不届きな奴だ。……だが、美味い。お前の作るものは、いつも、魂に響く味がするな」
リリスは夕闇に照らされながら、幸せそうに目を細めた。
集落に灯された明かり。それは、魔界の長い闇に差し込んだ、初めての真の希望だった。
アルスの名は、この夜を境に「王都の追放者」から「魔界の救い手」へと、その色を変え始めた。
そして、その噂はついに、魔王城の玉座で待ち構える、最強の主導者のもとへと届けられることになる。
「……さて。お腹もいっぱいになったし、行こうか。ガウルさん」
「……ハッ! 喜んで、ご案内いたします!」
ガウルは、もはや護衛ではなく、一人の信奉者として、アルスの前に跪いた。
一行は、集落の人々の感謝の叫びに見送られながら、魔界の奥深くへと再び歩みを進めるのだった。
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