第21話:辺境の濁流と、真実の光
王都陥落の報から数日。リーフ村へ続く街道は、かつてない喧騒に包まれていた。
着の身着のままで逃げ出してきた難民たちの列は、地平線の彼方まで続いている。
彼らの表情には絶望が張り付き、幼い子供の泣き声と、重傷を負った兵士たちのうめき声が、平穏だった辺境の空気を重く沈ませていた。
「……ひどい有様だな。これが、かつて繁栄を極めた王国の末路か」
村の入り口に設置された仮設テントで、リリスが腕を組みながら呟いた。彼女の視線の先には、足を引きずり、虚ろな目で歩く人々の群れがある。
「魔物の毒に侵されている人も多いね。……リリス、あっちのテントに『広域解毒香』を運んでくれるかな。空気を浄化しないと、二次被害が出る」
アルスは、大釜から次々と溢れ出す黄金色の液体を小瓶に詰めながら指示を出した。
アルスの手つきに迷いはなかった。
かつて自分を追い出した王都の人間たち。その中には、アルスを「無能」と笑った者も、冷たくあしらった者もいたかもしれない。
だが、今のアルスにとって、目の前で苦しむ人々は復讐の対象ではなく、ただの「患者」だった。
彼の【真・調合】によって生み出されるポーションは、王都のそれとは次元が違った。
「な、なんだ……この薬。飲んだ瞬間に、痛みが消えていく……」
足を深く切り裂かれ、壊疽が始まっていた一人の重装騎士が、驚愕の声を上げた。
アルスが手渡した薬液は、傷口に触れた瞬間に細胞を活性化させ、魔物の毒を霧散させていく。
「あ、あんたは……。どこかで見たことが……。……まさか、『黄金の盾』にいた、あの調合師か!?」
「……今はただの、リーフ村の薬師ですよ」
アルスは微笑むだけで、それ以上の言葉を交わさずに次の患者のもとへ向かった。
難民たちの中に、その噂は瞬く間に広がっていった。
辺境の村に、どんな傷も癒やし、どんな毒も中和する『聖者』がいる。
そしてその『聖者』こそが、勇者レオンが「無能」と呼び、ゴミのように捨て去った男であったという事実も。
「……私たちが、間違っていた。あの方を失ったから、王都は守れなかったんだ」
誰かがポツリと漏らした言葉は、波紋のように難民たちの間に広がっていった。
彼らは今、アルスの慈悲に触れることで、自分たちが何を失ったのかを本当の意味で理解し始めたのだ。
***
その日の夕暮れ時。
一組の親子が、アルスの屋敷の前に立っていた。
母親に手を引かれた小さな女の子は、熱に浮かされ、呼吸も絶え絶えの状態だった。
「……お願い、します……。この子を、助けてください……。お金は、これしかありませんが……」
母親が差し出したのは、泥に汚れた数枚の銅貨だった。王都での財産をすべて失い、命からがら逃げてきた彼女にとっての、全財産なのだろう。
アルスは、その銅貨を押し返した。
「お金は要りません。その代わりに、この子が元気になったら、この村に新しく植える薬草に、お水をあげてくれるかな?」
「……えっ?」
アルスは女の子の口元に、自作の最高級栄養剤を含ませた。
数秒後、女の子の顔に赤みが戻り、穏やかな寝息を立て始めたのを見て、母親は地面に膝をついて号泣した。
その様子を屋敷の陰から見ていたリリスが、呆れたように、けれど愛おしそうに溜め息をついた。
「……お前という奴は。あんな、何の特にもならない約束で、世界一高価な薬を配って回るのか」
「リリス。……僕はね、誰かの未来を買うために、この力を使いたいんだ。……王都での仕事は、誰かの『死』を先延ばしにするためのものだった。でも今は、誰かが『生きる』ための手助けができる」
アルスの瞳は、夕日に照らされて黄金色に輝いていた。
「……ふん。お前がそう言うなら、私も付き合うしかないな。……おい、アルス。次の釜が沸いたぞ。……今度は、心まで温まるような薬でも作ったらどうだ?」
「いいアイデアだね。……ハチミツを多めに入れようか」
アルスとリリス。
追放された二人が、滅びゆく王国の難民たちを救い、新しい「希望」の形を作っていく。
アルスの評判は、今や辺境伯の領地を超え、隣国や魔王軍の耳にまで届こうとしていた。
だが、その救済の手が届かぬ場所で、一つの黒い意志が蠢いていた。
王都の廃墟。魔物たちが跋扈する王宮の深奥で、一人の男が立ち上がった。
「……アルス……。お前が、お前がすべてを独り占めしているから……。俺は、こんな姿に……」
それは、魔神の力に浸食され、人間を辞めたレオンの執念だった。
物語は、平穏な救済劇から、再び激動の渦へと巻き込まれようとしていた。
だが、アルスはもう一人ではない。
隣には最強の魔族が、背後には彼を慕う多くの人々がいる。
彼は静かに釜を混ぜながら、次に来る嵐を見据えるのだった。
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