第19話:逃亡者マリアの到着と、リリスの冷遇
王都が魔物の軍勢に飲み込まれ、悲鳴と火炎に包まれてから数日が過ぎた。
リーフ村の入り口に、一匹の痩せこけた馬に跨り、今にも崩れ落ちそうな人影が現れた。
かつての白銀の甲冑は泥と返り血で黒ずみ、聖騎士の象徴であった純白のマントはボロボロに引き裂かれている。
馬から転げ落ちるようにして地面に降り立ったのは、マリアだった。
「……はぁ、はぁ……。ここ、なのね……。アルスさんが、いる場所……」
彼女の頬は痩け、瞳にはかつての勝気な輝きなど微塵もない。
王都からここまでの数日間、まともな食事も摂らず、魔物に怯えながら逃げ続けてきた彼女の精神は、すでに限界に達していた。
マリアは這いずるようにして、村外れにあるアルスの屋敷へと向かった。
門の前に辿り着いた時、庭で薬草の手入れをしていたアルスが、異変に気づいて顔を上げた。
「……マリア、さん?」
アルスは驚き、手に持っていたジョウロを置いた。
「アルス、さん……! ああ、よかった……! 生きて、いらしたのね……!」
マリアはアルスの姿を見るなり、その場に膝をついて号泣した。
「お願い……助けて……! 王都はもう、おしまいですわ……! レオン様も、ゼノも、みんな……! 私、もう怖くて……! あなたのポーションさえあれば、私はまた戦えますの! だから、お願い……!」
彼女はアルスの足元に縋り付き、泥に汚れた手で彼の服を掴んだ。
かつて「無能の荷物持ち」と蔑み、冷たい視線を向けていた相手に対し、今は命を乞うている。その姿は、あまりにも無惨で、滑稽ですらあった。
アルスが困惑して言葉を失っていると、屋敷の中から冷ややかな殺気が放たれた。
「……どの面下げてここへ来た、出来損ないの聖騎士め」
リリスが、不機嫌を絵に描いたような表情で現れた。彼女の背後からは、黒い魔力が揺らめき、周囲の空気を重く沈ませている。
「リ、リリス……」
「アルス、離れろ。その女の汚れが伝染するぞ」
リリスはマリアの手を無造作に振り払うと、彼女をゴミを見るような目で見下ろした。
「王都を見捨て、仲間を見捨て、自分の命惜しさにアルスを頼るか。貴様ら勇者パーティーのプライドとは、その程度のものだったのか?」
「ち、違いますわ……! 私はただ、正しい道を選ぼうと……!」
「正しい道? 笑わせるな。貴様が選んだのは、ただの『保身』だ。アルスを追い出した時、貴様は何と言った? 『あなたの代わりなどいくらでもいる』……そう言ったはずだな?」
リリスが一歩踏み出すたびに、マリアは恐怖に顔を歪ませて後ずさりした。
「アルス、この女はどうする? 今すぐ首を撥ねて、村の肥料にしてもいいが」
「……いや、リリス。そこまでする必要はないよ」
アルスは静かにマリアを見つめた。
かつて自分を傷つけた相手ではあるが、今の彼女には、怒りを感じるほどの価値さえ見出せなかった。
「マリアさん。……僕は君を助けない。君に渡すポーションも、ここには一滴もないんだ」
「そ、そんな……! アルスさん、あなたはお優しいはずじゃ……!」
「優しいから、断るんだよ。君を助ければ、君はまた『力』を手に入れて、同じ間違いを繰り返すだろう? ……それに、今の僕には、君を助けるよりも優先すべきことがたくさんあるんだ。リリスと一緒に、この村で静かに暮らすという、大切な時間がね」
アルスの言葉は、怒号よりも深くマリアの心を抉った。
「無能」と切り捨てたはずの相手に、今や自分の存在そのものが「優先順位の低い、どうでもいいもの」として扱われている。その事実が、彼女のプライドを粉々に砕いた。
「リリス。彼女を村の宿屋まで連れて行ってあげて。……一晩泊まるくらいの金貨なら、昔の給料の余りから出してあげるから。……それが、僕ができる最後の情けだよ」
「……ふん。お前は甘すぎる。だが、お前がそう言うなら運んでやろう」
リリスはマリアの襟首を乱暴に掴むと、まるで荷物でも運ぶかのように彼女を引きずっていった。
「離して……! 嫌……! アルスさん、行かないで……!」
マリアの虚しい叫びが、平和なリーフ村に響き渡ったが、アルスが振り返ることは二度となかった。
彼は再びジョウロを手に取り、瑞々しく育った薬草に水をやり始めた。
足元に落ちたマリアの涙の跡は、乾いた土に吸い込まれ、すぐに消えていった。
かつての因縁が、音を立てて断ち切られていく。
アルスにとってのマリアは、もはや通りすがりの旅人以下の存在でしかなかった。
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