第18話:王都決戦、そして聖騎士の脱走
王都を囲む第一防衛線は、開戦からわずか三時間で無惨にも瓦解した。
地平線を埋め尽くす魔物の軍勢に対し、迎え撃つ騎士団の消耗はあまりにも早すぎた。
「……ぎゃあああっ! 回復だ、早く回復を回せ!」
「ダメです、ポーションが底を突きました! マリア様の治癒魔法も、もう魔力が……!」
戦場には、絶望に満ちた悲鳴が絶え間なく響き渡っていた。
かつてなら、アルスが調合した「高純度魔力回復薬」があれば、マリアの魔法はすぐに再発動できたはずだった。
だが、今彼女の手元にあるのは、王都の調合師が急造した、不純物だらけの濁った液体だけだ。
「……くっ、こんな泥水……! 魔力が、ちっとも戻りませんわ!」
マリアは忌々しげに空の瓶を投げ捨てた。
不純物が多い薬は、飲むたびに内臓を焼くような不快感をもたらし、精神を摩耗させる。彼女の自慢だった銀の甲冑は魔物の返り血で汚れ、聖騎士としての気高さは、もはや生存本能に塗りつぶされようとしていた。
ふと横を見ると、魔術師のゼノが、杖を支えに膝をついていた。
「……もう、無理よ、マリア。……結界が持たない。……アルスの『防腐処理』がされていないこの城門は、魔物の酸ですぐに溶けてしまうわ」
ゼノの言葉通り、王都の象徴である巨大な鉄門は、酸を吐く魔物の攻撃を受け、無惨に形を崩し始めていた。
「ゼノ……。私は、もうここを見捨てますわ」
「……え?」
「このまま戦い続けても、全滅するだけです。……私は、自分の命を、こんな無意味な場所で捨てるつもりはありません」
マリアは、腰に下げた聖騎士の紋章をむしり取り、ぬかるんだ地面に叩きつけた。
「私はアルスさんのところへ行きます。……あの方なら、きっと私を……」
「待ちなさい、マリア! それは反逆よ!」
「……勝手に言えばいいですわ。……さようなら、ゼノ。あなたも、死にたくなければ逃げることですわね」
マリアは振り返ることなく、戦場の混乱に乗じて馬を走らせた。
***
一方、リーフ村では、アルスが「新しい家庭用洗剤」の調合に成功していた。
「見てよ、リリス。この石鹸、泡立ちがすごくいいんだ。汚れも一瞬で落ちるし、何よりリリスの好きなラベンダーの香りがするよ」
アルスがタライの中で泡を立てると、リリスは興味深げにその泡を指で突いた。
「……ほう。香りが良いな。……お前は本当に、私の好みをよく分かっている」
「あはは、毎日一緒にいるからね。……リリス、お風呂、先に入る?」
「……な、何を言う! お、お前と一緒に……いや、私が先でいい!」
リリスは顔を赤くして、バタバタと屋敷の中へ入っていった。
アルスはその後ろ姿を微笑ましく見送っていたが、ふと、南の空から届く不気味な震動を感じ取った。
それは、王都の城門が崩壊した音だったかもしれない。
「……大変なことになってるみたいだね」
アルスは一瞬だけ、かつての仲間たちの顔を思い浮かべた。
だが、すぐに首を振る。
自分を捨てた場所。自分を必要としなかった人々。
彼らのために、今のこの穏やかな時間を犠牲にするつもりは、アルスには一ミリもなかった。
「アルス! いつまで外にいるのだ! 早く入れ!」
屋敷の中から、リリスの呼ぶ声が聞こえてきた。
「今行くよ、リリス!」
アルスは空を見上げるのをやめ、温かい光が漏れる我が家へと足を向けた。
王都が炎に包まれようとしているその夜、アルスはリリスが焼いてくれたパンを食べ、穏やかな眠りにつくのだった。
それが、彼が選んだ「幸せ」の形だった。
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