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第16話:アルスなき王都の凋落  


 勇者レオンがリーフ村で敗北し、変わり果てた姿で王都へ連れ戻されたというニュースは、瞬く間に国中を駆け巡った。

 

 かつて国の英雄として讃えられた『黄金の盾』の崩壊。それは、王都の平穏が終わりを告げる前触れでもあった。


 王立ギルドの会議室では、重苦しい沈黙が続いていた。

 

 円卓を囲むのは、ギルドの幹部たちと、残された勇者パーティーのメンバー、魔術師ゼノと聖騎士マリアだ。


 彼女たちの顔には、リーフ村での一件以来、深い疲弊の影が張り付いている。


「……報告によれば、東部の防衛ラインが魔物の大氾濫スタンピードによって突破された。これまではアルスの調合した『広域忌避薬』のおかげで、魔物は村を避けて通っていたはずだが……」


  ギルド長が、震える手で報告書を叩いた。


 「アルスがいた頃は、彼が定期的に結界石のメンテナンスを行い、薬を散布していたのです。……今の私たちには、その薬の成分さえ分かりません」

 

 ゼノが、消え入りそうな声で答えた。


 王都が抱えていた最大の問題。それは、アルスが行っていた「地味で目立たない仕事」のすべてが、実は国家の防衛基盤そのものだったという事実だ。

 

 道中の安全を確保する消臭剤。

 武具の腐食を防ぐ防錆液。


  そして、何より戦士たちの疲労を根こそぎ取り除く回復薬。

 それらすべてが枯渇した今、王都の騎士団は、ただの行軍でさえ脱落者を出すほどに弱体化していた。


「代わりの調合師はどうした! 国内の腕利きを総動員したはずだろう!」

「……無駄でした。彼らが作るポーションは、アルスのものに比べれば泥水も同等。効き目が遅く、副作用も酷い。騎士たちの間では、もはや『あいつの薬でなければ戦えない』という、一種の禁断症状のようなものまで蔓延しています」


 その時、会議室の扉が激しく開かれた。


 現れたのは、伝令の兵士だ。その顔面は蒼白で、全身が返り血に染まっている。

 

「報告します! 王都南方の魔の森より、かつてない規模の魔物群が北上中! その数、推定三千! 先遣隊は既に壊滅しました!」


「なっ……三千だと!? レオンはどうした、動けるのか!」

「……無理ですわ。レオン様は今も、隔離病棟でうわ言を繰り返すばかり。魔力回路が焼けた彼は、もはや剣を持つことさえ叶いません」


  マリアが俯きながら言った。


 王都を包む絶望。

 かつてアルスという「安全装置」を自らの手で外した代償が、今、巨大な厄災となって彼らに襲いかかろうとしていた。


 ***


 同じ頃。リーフ村のアルスの屋敷では、そんな混乱とは無縁の時間が流れていた。

 アルスは庭に新しく作った温室の中で、リリスと共に珍しい薬草の苗を植えていた。


「アルス、この青い葉の植物は何だ? 触れると、指先が少しピリピリするのだが」

「それは『雷光草』だよ。育つと微弱なエネルギーを発するんだ。これを加工してそのエネルギーを貯蓄するようなものを作れば、夜でも屋敷を明るく照らせるようになると思ってね」

「ふむ……。お前は本当に、戦いよりも生活を豊かにすることにしか興味がないのだな」


  リリスは微笑ましそうに、アルスの手元を見守っている。


 アルスは、温室の隅にある大きな水槽に目を向けた。そこには、辺境伯から譲り受けた希少な水草が、透き通った水の中で美しく揺れている。

 

「平和だね、リリス。……王都にいた頃は、毎日誰かのために、必死に間に合わせるように薬を作っていたけど。今は、リリスや村の人たちが喜んでくれる顔を想像しながら作れる」

「ああ。それが本来の『調合』の姿なのだろう。……だがアルス。王都の空気が、少しずつ淀み始めている。おそらく、大規模な魔物の動きがあったはずだ」


 リリスは、魔族特有の鋭い感覚で、遠方の異変を察知していた。

 アルスは手を止め、少しだけ寂しげな表情で空を見上げた。

 

「……そうなんだ。でも、僕にはもう、彼らを助ける義務はないからね。僕は僕の場所で、やるべきことをやるよ」


 アルスの決意は固かった。


  彼は復讐を望んでいるわけではない。ただ、自分を必要としてくれる場所で、自分らしくありたい。そのささやかな願いが、結果として王都を見捨てる形になったとしても、彼はもう後悔しないと決めていた。


「リリス、お昼にしようか。今日は辺境伯からもらったハムを使って、サンドイッチを作ったんだ」

「おお! それは楽しみだ。お前の料理は、どのポーションよりも私に活力を与えてくれるからな」


 二人は並んで、緑豊かな庭へと歩いていく。

 

 王都を襲う未曾有の危機。そして、それを「終わりの始まり」として見つめる人々。

 

 アルスとリリスの新しい日常は、世界の混乱を余所に、さらに深く、穏やかに根を張っていくのだった。

 

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