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閑話:勇者レオンの受難――「当たり前」という名の奇跡


 アルスを追放してから一週間。

 王都の高級宿舎のラウンジには、かつてないほど重苦しい空気が流れていた。


「……おい、マリア。このポーション、本当に最高級品なのか?」


 レオンが、忌々しそうに空の瓶を床に投げ捨てた。

 彼の腕には、昨日の魔物との戦いで負った裂傷が、赤黒く腫れ上がったまま残っている。


「……ええ、そうですわ。王都一番の商会から、金貨五枚も出して買った『ハイ・ポーション』です。でも……」


 マリアが青ざめた顔で自分の手を見つめる。

 彼女の指先は、絶え間なく震えていた。


「でも、何だ!?」


「……効かないんです。いえ、正確には、アルスさんがいた頃のようには……。あの方は、市販のポーションに独自の『触媒』を混ぜていたのでしょう? 今の薬では、傷の表面は塞がっても、中の毒が抜けきりませんわ……」


 レオンは苛立ちを隠さず、ボロボロになった自分の聖剣をテーブルに叩きつけた。


「ふざけるな! 剣だってそうだ。研いでも研いでも、一度の戦闘ですぐに刃がこぼれる。あの雑用係、特殊な『防錆オイル』を塗っていたと言っていたが……まさか、あんな安っぽい脂にそれほどの差があるわけが……!」


 レオンたちは、まだ理解していなかった。

 彼らが「当たり前」だと思っていた快適さは、すべてアルスの細やかな調合によって支えられていたのだということを。


「ゼノ、お前はどうなんだ! 魔力の循環が悪いと言っていたが!」

「……最悪だ」


 魔導士のゼノが、苦しげに胃のあたりを押さえながら呟く。


「アルスの『マナ安定薬』がない。魔法を放つたびに、体内の魔力が暴走して血管が焼き切れるような感覚だ。……あいつ、茶菓子に混ぜて食わせていたと言っていたが、あれは単なる嗜好品じゃなかったんだ」


 昨日、彼らは王都近郊の小規模な森へ、軽い「小遣い稼ぎ」のつもりで出かけた。

 いつもなら一瞬で片付くはずのゴブリンの群れ。

 だが、ポーションは効かず、剣は折れ、魔力は枯渇した。


 結果は惨敗。

 命からがら逃げ出した彼らを待っていたのは、ギルドでの冷ややかな視線だった。


「……ありえない。あんな無能、ただのゴミだったはずだ」


 レオンが拳を血が滲むほど握りしめる。


「明日だ。明日、もう一度腕利きの調合師を雇う。アルス以上の奴など、いくらでもいるはずだ!」


 しかし、レオンの願いが叶うことはなかった。

 王都じゅうの調合師を試しても、レオンの靴擦れ一つ治せず、ゼノの魔力暴走を止められる者はいなかった。


 アルスが去った後の「穴」は、あまりにも大きく、底知れない。

 勇者一行の崩壊は、外敵によるものではなく、自分たちが切り捨てた「日常の守り手」の不在によって、静かに、そして確実に始まっていた。


「クソッ、クソぉぉぉ!! アルスめ、あいつ、何か呪いでも残していったんじゃないのか!?」


 レオンの叫びが虚しく響く。

 その頃、アルスがリーフ村で幸せな朝食を摂っていることなど、今の彼らには知る由もなかった。


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