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第14話:魔神の力を得た勇者と、辺境に迫る大軍勢


 王都へと続く街道を、不気味な黒い霧が覆い尽くしていた。

 その中心を突き進むのは、かつて民衆の希望であった勇者レオンの駆る馬車である。だが、その中から漏れ聞こえるのは聖歌ではなく、地獄の底から響くような呪詛の言葉だった。


「……あはは、あはははは! 力が、力が溢れてくるぞ!」


 レオンは、自身の右腕を見つめて狂喜の声を上げた。

 かつて白皙だったその腕は、今や赤黒い血管が浮き出し、指先からはどす黒い魔力が絶え間なく溢れ出している。彼が握りしめているのは、勇者ギルドの最深部に封印されていた禁忌の宝玉『魔神の心臓デモンズ・コア』だ。


「レオン……もう、やめて……。その力は、人間が扱っていいものじゃないわ……」


 馬車の隅で、魔術師のゼノが震える声で懇願した。彼女の目には、今のレオンがもはや人間にさえ見えていなかった。彼の背後には、かつての神々しいオーラなど微塵もなく、ただ形を成さない怨念の塊が蠢いている。


「黙れ、ゼノ。お前も見たはずだ。あの魔族の女の力を! ……今の俺なら、あんな女、指先一つで捻り潰せる。そしてアルスを引きずり戻し、一生俺のために薬を調合させる奴隷にしてやるんだ!」


 レオンの瞳は完全に濁り、その奥には赤い燐光が宿っていた。

 彼は御者台に向かって怒鳴りつけた。


「急げ! 夜明けまでにリーフ村へ到着させろ! 邪魔をする辺境伯の兵など、一人残らず塵にしてやる!」


 勇者の暴走を止める者は、もう誰もいなかった。

 聖騎士のマリアは既に、レオンのあまりの変わり様に恐怖し、王都へ逃げ帰っていた。残されたゼノとバルガスも、禁忌の力に支配されたレオンの圧倒的な暴力の前に、ただ従うことしかできなかった。


 ***


 一方、嵐の予感を知る由もないリーフ村の夜は、驚くほど静かだった。

 アルスの屋敷の工房では、新しい試作品の完成を告げる、チリンという涼しげな音が響いた。


「……できた。リリス、これだよ」


 アルスが差し出したのは、銀色の液体で満たされた小さなスプレーボトルだった。


「ほう。これが、昨日言っていた『美容ポーション』か?」


 リリスは興味深げに、その美しいボトルを手に取った。


「うん。ただの保湿だけじゃなくて、外部からの魔力干渉を遮断して、肌の細胞を活性化させる成分を配合したんだ。……いわば『絶対防御のスキンケア』かな」


「ぜ、絶対防御のスキンケアだと……? お前、またとんでもない理論を料理に使うような感覚で放り込んだな」


 リリスは呆れたように笑いながらも、そのボトルを大切そうに胸に抱いた。


「……ありがとう、アルス。お前が私のために作ってくれたものなら、たとえ世界を滅ぼす毒であっても、私は愛おしく思うぞ」

「あはは、毒じゃないから安心してよ。さあ、もう遅いし寝ようか」


 アルスが寝室へ向かおうとしたその時。

 リリスの表情が、一瞬にして戦士のそれに変わった。

 彼女は窓の外、王都へと続く街道の方向を鋭く睨みつけた。


「……リリス? どうしたの」

「……来るぞ。酷く不快な、ドブネズミのような気配だ。それも、以前よりもずっと醜く、歪んだ力がな」


 リリスの背中から、漆黒の翼が音もなく展開された。

 アルスもまた、窓の外の異常な雰囲気に気づき、表情を引き締めた。

 村の遠くの方で、夜鳥たちが一斉に飛び立ち、不気味な静寂を破るような、禍々しい遠吠えが聞こえてきた。


「……レオンかな」

「ああ。おそらく、まともな手段では勝てぬと悟り、禁忌に手を出したのだろうな。……哀れなものだ。アルスの隣に立つ資格など、最初からなかったというのに」


 リリスの言葉には、敵意よりも冷ややかな蔑みが混じっていた。


「リリス。……村の人たちに被害が出ないようにしたいんだ。僕に、何か手伝えることはあるかな?」


 アルスが尋ねると、リリスはフッと口角を上げた。


「お前は、そこで私のために最高の『勝利の美酒ポーション』を用意しておいてくれ。……あのような汚物、私一人で十分だが……お前のサポートがあれば、私は無敵になれるからな」


 その時、地平線の彼方から、夜の闇を切り裂くような赤い光の柱が立ち昇った。


 狂った勇者の再来。


 それは、リーフ村を揺るがす戦いの始まりであると同時に、アルスという存在が世界にその「真の価値」を知らしめる、決定的な瞬間でもあった。


 アルスは工房の棚から、自作の最高級フラスコを一つ取り出した。


「わかった。……最高のやつを、今から調合しておくよ」


 黄金のマナが、深夜の工房を眩く照らし出した。

 追放された調合師と、懐かれた魔王軍幹部。二人の「偽装された王道」は、ここから真の輝きを放ち始める。


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