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黒い人影ーその3ー

 ドアはスロー再生のように開いていく。次第に黄色い何かがワンピースの裾であること、その上には黒くて長い髪の毛が垂れ下がっているのが分かった。

 トイレの中に女性がいる。ソレがゆっくりと、時間をかけて姿を現そうとしているのだと気がついた。

 これ以上見たくない!

 刹那、私たちはトイレに向かって全速力で駆け出した。中の女性の顔を見る前に両手いっぱいにドアを閉めた。ドンと派手な音が廊下に響き渡る。すると驚いたことに、中からドアを開こうとする強い力を感じた。ドアノブが何度もガチャガチャと空回りしている。


「中に誰かいる!」


 先ほど目撃したものを二人に知らせながら、私は懸命にドアを押し返した。ミノリとアンちゃんも決死の表情でドアを押している。あの女性は私だけでなく、二人にも見えていたのだと悟った。と、アンちゃんがくるりと向きを変え、背中でドアを押し始めた。何をしているのかと見ていると、彼女はスカートのポケットからスマホを取り出し、画面を何度かタップすると耳に当てた。


「じ、事件です! 誰かが家に侵入してます! 今すぐ来てください! 住所はーー」


 ダンダンダンダン!

 ドアが激しく叩かれている。中から鬼気迫った怒声が、狂わんばかりに叫んでいる。


「出せーーーーーー!!!! 出せ出せ出せ出せ!!!!」

「きゃああぁぁぁぁぁ!!」


 ドアを抑える手に力を込める。胸と顔をドアにピタリと貼り付けて、両足で踏ん張り、全身で受け止める。


「出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ!!!!」


 激しい抵抗に体が悲鳴をあげる。

 もうダメ、抑えられない! 

 諦めかけた刹那、背後からガチャリと大きな音が聞こえた。


 ドタドタドタドタドタドタドタ!


 考える間もなく、複数の走る音が迫ってくる。

 私たちはまだドアを閉めている。この状況で新たな何かが背後から現れることに眩暈を覚えそうなる。

 嫌な予感がよぎり、今にも発狂しそうだった。隣でドアを抑えているアンちゃんとミノリの顔を見やると、二人は廊下の先を見て、目をみはっていた。私の背後には、いま誰がいるの?


「警察だ! 通報したのは君たちか!?」


 見返るのと同時に、トイレのドアがピタリと静まった。目の前には警官の格好をした男性たちが三人いた。


「その中に人が?」


 ひとりの警官に訊ねられ、アンちゃんが頷いた。

 ドアを抑えるのは残りの警官たちに代わってもらい、私たちは一旦リビングへ連れて行かれた。

 助かった。

 けれど、なぜこうなったのか訳が分からない。そのまま横一列に並ばされると、ことの経緯を訊ねられた。これが警察ドラマや映画でよく見かける、いわゆる事情聴取・・・なのだろうか?


♦︎


 私とアンちゃんは代わる代わる事情を説明した。その間ミノリは目に涙を浮かべながら何度も頷いていた。と、リビングのドアが開いた。

 ドアを開けたのは別の警官だった。彼は犯人が出てきたので顔を確認してほしいと告げた。

 犯人? いったい何の話?

 疑問を抱きながらも、私たちは促されるがままついていき、リビングをあとにした。


 廊下に出た瞬間、私はびくりと飛び跳ねてしまった。

 二人の警官の間に、見知らぬ女性が立っていた。三十代に思える。彼女の黄色いワンピースと長い黒髪はずぶ濡れだった。トイレの中でちらりと見えたのは、この人の髪とワンピースだったんだ。

 私たちと一緒にいた警官が訊ねた。


「この女性は知り合いですか?」


 一斉に首を横に振った。否定の言葉が出てこなかったのだ。だってそうでしょう? 幽霊かもしれないと疑っていた人影は、実在する生身の人間だったのだから。幽霊の方がまだマシだった。


♦︎


 激しく降り続いていた雷雨は、いつのまにかピタリと止んでいた。窓には雨粒が残っているが、明るい日差しがリビングに差し込んでいる。外は気持ちがいいくらいの青空が晴れ渡っているのだった。


 警官たちは女性を逮捕していったのだけれど、家を出て行く前に、何が起きていたのか詳細を教えてくれた。

 彼らの話によると、女性は一時間ほど前に近くのコンビニで傷害事件を起こし逃げていたそうだ。警察はこの近辺を捜索しており、隠れる場所を探していた女性は、この家の鍵が開いていることに気がついた。そこで気づかれないようにそっと侵入し、身を潜めていたということだった。

 時おり物音が聞こえていたのは、そのためだったのだと納得がいった。誰かの視線を感じたり廊下から頻繁に音が聞こえていたのは、あの女性が私たちの動きを監視していたからなのだろう。

 通報した時に連絡を受けた警官が近くにいたのは、不幸中の幸いだった。おかげですぐ現場に駆けつけることができたらしい。でも、もし助けに入るのが少しでも遅れていたら。

 ・・・これ以上は考えないことにした。


♦︎


 私たちはリビングのテーブルを囲みながら、アイスコーヒーを飲んでくつろいでいた。壁掛け時計の針は十六時半をさしていた。グラスの氷は既に溶けていたため、アンちゃんが入れ直してくれた。すごろくは手付かずの状態でテーブルに放置している。片付けるのが億劫だった。

 私はグラスを口につけると、安堵のため息混じりに言った。


「・・・はぁ。怖かったね。まさかこんなことになるなんて。最初は幽霊かと思ってたけど、全然違った」

「だね。途中で黒い影が見えるとか言うから、マジでそっちの可能性もあるとは思ったけど。ねぇ、みのりん?」

「ごめんって。でも本当なんだよ・・・それに、まだ見えるの」

「またまた! 怖がらせようとして〜」


 笑い飛ばすアンちゃんに対して、浮かない顔のミノリ。私もそうだけど、相当怖い思いをしたから、まだ引きずっているのかもしれない。不安を感じると、何か見えると訴えるタイプなのだろうか。今まで一緒にいて、全く気づかなかった。

 アンちゃんがスマホを操作しながら言った。


「さっきママに連絡したら、すぐに帰るって返事がきたよ。でさ、お願いがあるんだけど。ママが帰ってくるまでの間、ふたりとも一緒にいてくれない?」

「もちろん。アンちゃんママが戻るまでは、みんなで一緒にいよう。ねぇ、ミノリ?」


 もしかしたら三人の中で一番怖い思いをしたのはアンちゃんかもしれない。だって自宅でこんなことが起きたのだ。当然一人になりたくないと心の底から思うだろう。

 ミノリの返事が聞こえないことに気づいた。チラリと顔をうかがうと、すごろくのボードを見つめたまま、小さく頷いていた。

 

「うん、そうしよう。ところで、私からもお願いがあるんだけど・・・」

 

♦︎


 私たちはトイレの前にいた。というのも、ミノリがトイレに行きたいのを我慢していたことが分かったからだ。なんでもさっきの出来事があって、ひとりでは行く勇気がなかったそう。そりゃそうだよね。

 私とアンちゃんはスマホをいじって待っていたが、静かすぎることに不安を覚えはじめた。


「みのりん、まだ〜〜?」


 ドアに向かってアンちゃんが呼びかけたが、返事がない。今度は私が声をかけた。


「いつまで待たせるの〜!?」


 大声で呼びかけるが返事はない。ふと、黒い影がたくさん見えると怯えていたミノリの姿を思い出した。今回のことで相当参っている様子だったミノリ。途中で大泣きしていたし、さっきまで幻覚が見えると言っていたことを思い出した。

 幻覚だと思うけど、もし本当だったら?

 アンちゃん家のリビングは十畳はあるように思えた。その部屋いっぱいにいた黒い影は、なぜそこにいたのだろうか? もしかしたら、私たち三人のうち、誰か一人をつけ狙っていたのかもしれない。でも、どんな目的で?

 胸騒ぎがした。

 今日は部屋に集合してから、三人でずっと一緒にいた。けれど今、ミノリは一人きりだ。もしかしたらトイレの中で黒い影に襲われていたり、気を失って倒れているかもしれない。考えすぎかもしれないけど、ミノリの元気な声が聞きたくてたまらなくなり、トイレに向かって再び声をかけた。


「ミノリ、まだなの!? ドア開けてもいい!?」

「ちょっ! そこまでする!? トイレ中に開けたら、さすがのみのりんも怒るんじゃ・・・」

「中で倒れてたらどうするの!?」

「え!? 倒れてるって・・・」


 そんなわけないと言いたげな顔をしているアンちゃんを横目に、私はドアノブに手をかけ、ガチャリと回して開いた。全開になったトイレの中には、誰もいなかった。

 待って、誰(・)も(・)い(・)な(・)い(・)?


「・・・どういうこと?」


 思考停止した私の代わりに、アンちゃんが呟いてくれたのだった。

次の更新は0時です。よろしくお願いします。

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