黒い人影ーその2ー
結局ミノリの気のせいだと話を切り上げ、すぐごろくに戻ることにした。
アンちゃんのオススメする、スネーク&ラダーという名前のすごろくは、ゴール直前になると蛇の口のマスがやたらに多くなる。そこに止まると前のマスまで戻ることになるのだが、例に漏れず、私たちはゴールする期待を何度も抱いては、ガッカリしたり笑ったりを繰り返した。けれど終止符が打たれた。私のコマが一番最初にゴールにたどり着いたのだった。
「やったー!」
「ええ〜〜!? もうゴールしちゃったの!? ってことは、あとは私とみのりんのどっちかが二位と最下位になるわけだ。負けらんないね!」
「いえいえ、アンには勝たせてもらいます。それに早くゴールしてダンスも撮らなきゃだし」
「それな」
「ふたりとも頑張って」
応援すると、ミノリがサイコロを振った。
出た目は四。コマの行き先はゴールの一歩手前だったが、そこには蛇の口が待ち構えていた。
「ゴール目前なのに戻っちゃうの!!?」
青いコマはヘビの口から腹を伝い尻尾へ移動する。と、悲痛な叫びが。細長い尾っぽの先はスタート地点だった。
がっくり肩を落とすミノリとは対照的に、両手にピースをつくって歓喜するアンちゃん。
「イェーーイ!!」
「もう勝てないかも・・・」
私は落ち込むミノリに声を掛けた。
「大丈夫、大丈夫。アンちゃんもヘビに食べられちゃうと思うから、まだ挽回できるチャンスはあると思うよ」
「そうかなぁ?」
小さな声で言ったつもりだけど聞こえてしまったようで、アンちゃんがムッとした表情でこちらを睨みながらサイコロを振った。出た目は「五」だった。
獲物を待ち構えるヘビの口の数は、針のむしろのようにあった。その合間を黄色いコマが悠々と進み、あっという間にゴールへひとっ飛びしてしまった。
「やったー! 私の勝ち!」
本当にゴールするとは思わなかった。唖然としていると、大喜びするアンちゃんの横で悔しそうな表情のミノリに気づいた。結局、一位は私、二位はアンちゃん、最下位はミノリの順でゴールしたのだった。
両手をあげて喜ぶアンちゃんの声の向こうから、またしても音が聞こえた。
カタン・・・
音はドアの向こうからだった。何かが床に落ちたような、固いものと物がぶつかったような印象を受けた。
ミノリが言った。
「また聞こえた。アン、本当に家に誰もいないの?」
「そうだよ」
「でも私、すごろくをやってる間ずっと音が聞こえてたよ」
「はぁ? 何も聞こえなかったよ。みのりん怖いこと言わないでってば!」
「嘘じゃないよ。っていうか・・・」
突然口をつぐむミノリ。私たちは言葉の続きが気になって、早く言うように急かした。すると彼女は部屋の隅を指差した。
「あそこにいるのって、なに?」
「え・・・?」
一瞬頭がまっ白になった。私とアンちゃんは、ミノリの指さす先をおそるおそる振り返った。怖い何かが居るのかと思ったが、そこには何も無かった。部屋の隅にはテレビ台と棚があるだけだった。とくに生き物がいるようには見えない。
「みのりん、さっきからマジでどうした? なにもないけど」
「いや、いるでしょ!?」
何もない空間を指さすミノリの顔は真っ青だった。その様子を見て嘘をついているのではないと悟り、自分の見ている現実とミノリの見えている現実が異なることに、頭の中が激しく混乱するのを感じた。つまり私は動揺していた。
それはアンちゃんも同じようだった。ひどく困惑した様子のアンちゃんが、ミノリにおそるおそる質問した。
「何も見えないけど・・・ミノリには、何が見えるの?」
私は唾を飲むと、自分の喉からごくりと大きな音が聞こえ、ひどく緊張しているのだと気づいた。
ミノリは言った。
「影・・・人の形をした黒い影が、テレビの前に立ってこっちを見てる」
「見てるって・・・うっそだ〜! それに影ってことは目がついてないんでしょ? なのになんでこっちを見てるって分かるの? 変じゃん!」
「そうだよね。変だよね。でもなんとなく分かるの。目も耳も口もない真っ黒い影なんだけど、不思議と生きてる人と同じ気配がするの。それが私たちを見てる。なぜかは分からないけど、視線を感じるの」
みのりんの言ってることが事実だとしたら、けっこう怖い。でもそんなわけないから、もしかしたら熱でもあるのかもしれない。
私はミノリの額に手を伸ばそうとした。
ギシ・・・ミシ・・・ミシ・・・
再びドアの向こうから床が軋む音が聞こえた。誰かが歩いてるような音だ。
私は手を下げ、他のふたりと顔を見合わせた。そして誰も口を開かないのに、同じことをことを考えているのが分かった。
この家に私たち以外の誰かがいるかもしれない・・・
しばらく誰も喋らなかった。緊張を孕んだ沈黙が続いたが、最初に口火を切ったのはアンちゃんだった。
「見に行ってみよう」
「え・・・怖いから嫌なんだけど。ミノリは?」
「私も怖い」
「でも泥棒かも」
「えぇ・・・? そんなわけないじゃん」
言いながらアンちゃんの顔を見た。彼女は言い出したら聞かないところがある。その強情さが見え隠れしている今、もしかしたら一人で偵察しにいくかもしれない。
もし本当に泥棒だとしたら・・・一人では危ないだろう。危害を加えられるかもしれないからだ。けれど万がいち幽霊だった場合は、驚くだけで実害はないと思う。たぶん。
私は後者であることを願いながら、口を開いた。
「分かった、行こう」
「ありがとう!」
怖いからアンちゃんと手を繋ぎ、ドアに向かって歩き始めた。するとドアの向こうから、ミシ、ミシ、ミシと床の軋む音が。
何かが存在するのは間違いないと悟り、生唾を飲んだ。
「二人とも待って」
後ろからミノリが追いかけてきた。結局私たちは三人でドアの向こうに行くことになったのだった。
数センチあいたドアの隙間からは廊下の一部が見えている。三、四センチの隙間。そこからは二階に伸びる階段と手すりに暗い影が落ちている様子がうかがえる。
激しい雨音はまだ続いている。リビングよりも廊下の方が、はっきりと雨音が聞こえる。
先頭を行くアンちゃんがシルバーのドアノブに手をかけ、下に押した。音もなく動いたノブが手前に引かれ、ゆっくりとドアが開き始めるや否やーー
ドタドタドタドタドタドタ!!!!
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
一斉に悲鳴をあげてしまった。
だって仕方がない。私たちは黒い影がドアの向こうを駆け抜けるのを目撃してしまったのだから。
アンちゃんが尻餅をついたため、うしろにいた私は下敷きになり、情けない声をあげてしまった。
「い、痛い〜・・・」
「あぁ、ごめんごめん! いまどくから」
顔を上げると心配そうに私を見下ろすミノリが見えた。すぐ横には「本当ごめん」と謝るアンちゃんの姿。幸い痛むところはなくて、私はよろめきながら立ち上がって言った。
「さっき何かいたよね」
「見た。足音も聞こえた。マジで泥棒だったらヤバいかも・・・」
「ねぇ、ここにいる黒い影が増えてる」
「はぁ!? 怖いこと言わないでよ、みのりん!」
私は背後を振り返り部屋の中を見回した。私たち以外誰もいない。けれど心なしか、空気がどんよりと重い気がする。と、すすり泣く声が聞こえた。ミノリだった。
「ぐすっ。怖い怖い怖い・・・ねぇ、部屋から出よう」
「待ってよ、廊下にも何かがいるんだよ!? どっちに行っても怖くない?」
「でも数がおかしい。たくさんの影がこっちを見てるって! 廊下の方がまだいいよ!」
「たっ、たくさん!? ねぇ、ミノリ。たくさんって、どれくらい?」
私とアンちゃんはミノリを振り返った。彼女の顔は相変わらず真っ青だし、眉をへの字にして泣いていた。ふと、彼女からカチカチと聞こえてくることに気がついた。数秒見つめて、ようやく音の正体が分かった。恐怖のため震えているミノリの奥歯がカチカチと鳴っているのだった。
彼女の恐怖が私に伝染したのだろうか。突然全身の血が凍りつくのを感じた。
アンちゃんの質問を受けたミノリが、聞き取るのが難しいくらいの、蚊の鳴くような声音でこう言った。
「部屋いっぱいにいる」
体中の血が抜けた気がした。
瞬間、アンちゃんが勢いよくドアを開けた。私たちは雪崩れるように廊下に転がり出た。背後にある部屋を振り返りたかったが、怖くてできない。ただならぬ気配を背中いっぱいに感じながら、逃げ道を探すため左右を見回した。
正面に階段、左奥は玄関、右の突き当たりはトイレ。階段には人影はなく、玄関にはきれいに並べられた靴が二足。トイレのドアは閉まっていた。
私たちは泣きじゃくるミノリをなだめながら、玄関へ向かおうとした。が、足を止めた。
なぜか玄関から廊下にかけて床が濡れていた。ところどころ、ポタポタと雫が垂れている。雫は、階段とトイレの前にも続いていた。何者かが移動した跡のように思えた。
ふとトイレの方を見やると・・・ほんのわずかだが、ドアが開いていた。
「あ」
私の声に気がついたアンちゃんが立ち止まった。
「どしたの?」
疲れた様子のアンちゃんの顔を横目に見ながら、私は声を落として伝えた。
「さっきドアが閉まってたのに、今は開いてる」
「見間違いでしょ?」
「ううん。絶対に違う。さっき見た時は閉まってた」
私の声が聞こえてしまったのか、ミノリの泣き声がピタリと止んだ。彼女は両手で涙を拭っていたが、濡れた右手の五指のうち、人差し指をゆっくりと突き出した。
「いる」
みんなの視線が指差した先ーートレイのドアに集中した。瞬間、ゆっくりとドアが開き始めた。
ギィ、ギギギ・・・
ドアの隙間が広がっていく。その隙間の奥から、黄色い何かが小さく揺れていた。
次の更新は27日の22時、0時です。
次話も読んでくれたら嬉しいです。よろしくお願いします。




