92話 「蒼条海は悪夢から目覚めたい②」
目の前に、男が倒れている。
それも、よく知っている男だ。
「これは……」
「朝、様子を見に来たらこんなことになってて……」
鰆名の自室。造りは俺らの部屋とあまり変わらない。
その部屋の真ん中に、鰆名は倒れていた。
それも、背中に深々とナイフが刺さった状態で。
――いや。
あまりにもおかしすぎるだろ?
昨日まで嫌味を言いまくってきた、あの鰆名が死んでいるなんて――
「鰆名! おい!」
「鰤木くん! もう、鰆名くんは……」
他のゼミメンバーは既に現場に集合していた。
鰤木は鰆名の身体を揺するが、何の反応もない。
――鰆名。
色々あったが、こんなことになってしまうとはな。
嫌味な男だったが、いいところも……
『あーはっはっは! ミソジニーしょくうん!』
いいところも……
『やはりキミはミソジニーだなぁ! こっちに来るな、しっしっ!』
………………
ないな。
いくら走馬灯のように想いを馳せても、アイツの良いところも良い思い出もない。
とりあえず、手だけ合わせておくか。あと、この別荘どうしようか?
「死因は失血死。凶器はこのナイフで間違いない。心臓をひと突き、確実に即死だ。死亡推定時刻はおそらく今朝の五時~六時といったところだろう」
鯖戸は洗ってきたであろう手を拭きながら、部屋に戻ってきた。
いや、お前、勝手に検死するなよ。ってか、そんな技術あったのか!?
と、いらんことをツッコむのはよしておこう。
「そして何より……」
――ん?
全員の視線が、一斉にこちらに集まった。
「なんだ!? 俺が何か……」
「これを見ろ!」
鯖戸が床を指差した。
俺は部屋に入り、鰆名へと視線を落とした。
血で染まった鰆名の指先。カーペットに垂れた血の跡が、思いっきり文字を形成していた。
『蒼条海』と――
「はああああああああああああっ!?」
柄にもなく、俺は声を荒げてしまった。
あからさま過ぎるだろう!? ここまでご丁寧に、しかも漢字で俺の名前が書かれている。
「やはりお前……」
「待て待て待て待てッ! 俺はやってないッ!」
「慌てるところが怪しいな」
皆が俺のことを訝しげな目で見てくる。
――落ち着け。
落ち着け、俺。
さすがにアレすぎるだろ。こんな、いかにもな、その、アレだ。
いかんいかん。ツッコミどころのある状況すぎて、脳が語彙力をシャットダウンしているぞ。
俺はもう一度深呼吸をした。……それでも落ち着かないので、更にもう一回深呼吸をした。
「落ち着いて反論させてもらう。いいか、まず俺はずっと眠っていた。それに、鰆名を殺す理由がない。あと、普通ダイイングメッセージをこんな露骨に書くか? しかもわざわざ漢字で。第一、さっき即死って言っていただろう。死んだ人間が漢字三文字も書けるか! しかもこんな達筆で! 不可能だッ!」
「いや、そんなことはどうでもいい!」
「そうよそうよ! 蒼条くんは怪しすぎるわ!」
――待て待て待て待て待て待て待てッッッッッ!
いくらなんでも理不尽すぎないか!?
なんでここまで俺が言われなければならないんだ!?
どう考えても俺の主張が正しいだろう!
同じゼミの連中が、ここまで思考停止するとは思いもよらなかった。さすがに馬鹿すぎる……こんなのあり得ないだろ……
「こんなの決定的な証拠とは言えん」
「まだシラを切るつもりか。これを見ろ!」
鰤木が当てつけのようにノートパソコンを見せてきた。
画面にはこの部屋、そして鰆名の姿が映っている。動画が進むにつれ、誰かが部屋に入ってきた。
俺、だ――
画面の中の俺は、この世のものとは思えない嫌らしい顔つきをしながら、ナイフを振り上げた。そして、思いっきり鰆名の背中にグサリ、と刺した。
「防犯カメラの映像だ! 寝室に防犯カメラが何故設置されているかはさておき、これでもまだ違うと言い張るつもりか!」
「さておくなあああああああああああッ!」
と叫んでみたものの、ここまであからさまな映像を見せられては、俺もぐうの音も出なかった。いや、いまどきこんな動画ぐらい生成AIで作れそうなものだが。
頭が混乱しすぎて、だんだん痛くなってきた。
「俺じゃ、ない……」
俺が疑われていることは明白だ。皆の震えた眼差しが、そう訴えかけてくる。
「お前しか、いないんだよ」
「だから俺じゃ……」
「そんな、海くん……どうして……」
遂には川辺までもが俺に疑いの視線を向けてきた。
俺は地面に目を向ける。
これは悪夢だ。そうに違いない――
俺は思わず後ずさりする。
「正直に白状しろっ!」
「海くん、見損なったっ!」
「だからキミはミソジニーなのだよっ!」
――俺じゃない。
俺は、俺は、俺は、俺は俺は俺はあああああああああああああ……
……………………………
………………ん?
ちょっと待て。
「今、何故か、変な声が聞こえてこなかったか?」
「誤魔化そうったってそうはいかないぞ!」
――いやいや。
明らかにおかしかっただろう。
そこで死んでいるはずの、鰆名らしき台詞がさらっと流れてきたぞッッッッ!
――落ち着け。
もう一度、この現状を整理して考えよう。
俺は変なキノコを食って、途端に眠りについた。
そして、目が覚めると、部屋で横たわっていて、川辺に起こされて来てみたらこのような状況になっていた。
これは、もしかして……
更に後ずさりした俺は、ゴンッ、と窓枠に肘をぶつけてしまった。
――ん?
痛くない。
いや、結構急所に当たったはずなのに、何の痛みもないのだが。
「そういうことか」俺は眼鏡をクイッ、と直し、「真実は大抵の場合ひとつ、ということか」
「なんだ? 何か言いたいことでもあるのか」
俺はもう一度、深呼吸をした。
これはもはや間違いない。ミステリーとしてはいささか反則な気がするが……
「これは……」俺は唾を呑み、皆をしっかりと睨んだ。「夢、だ……」
そう言い放った瞬間――
俺の視界は、音も立てず一気に崩れ去っていった。まるで、世界の終わりのように、創りあげたジグソーパズルを壊すかのように、視界がバラバラと崩れ去る。
そして――
再び、俺の意識は、まどろみの中に落ちていくのだった。
「……ん?」
俺は上体を起こし、ゆっくりと目を覚ます。
ここはどこだ?
気がつくと、またもや見知らぬ天井。
古い型の電灯が視界に入る。しかも、床が畳。鰆名の別荘に、こんな和室みたいな部屋があったか?
しかも……
俺は、何故かスーツ姿になっている。合宿にこんなものを着てきた覚えはない。
「ようやく目が覚めたか」
……
俺を、誰かが覗き込んできたのだが。
いや、知っている顔か、一応。
「……なんでここにいるんですか? 黒塚先生」
腕を組みながら、俺を見ている黒塚先生。
それよりも、その格好――
「ん? ワシに何かおかしなところがあるのか?」
――いやいやいやいやいやいやいやいや。
まだ、どうやら悪夢は終わっていないらしい。
黒塚先生は茶色い和服を着ている。それはまぁいい。それ以上におかしなのは、ハゲヅラに一本の毛だけがにょきっと生えた、謎の頭になっている。しかも、ご丁寧に鼻眼鏡まで。
「はっはっは、まだ寝ぼけとるようじゃな。ワシじゃよ、カブ平じゃよ」
なんだ、その名前は!
俺が混乱していると、奥から誰かが出てきた。
「あらあら、お目覚めになられたんですね」
現れたのは、影子さんだ。
しかも、何故か白い割烹着の姿で。
「……影子さん?」
「いやぁだ、何をおっしゃってるんですか。私はカネですよ」
――待て待て待て待て待て待てええええええええええっ!
なんだこれは!
いくら悪夢でもこんなのあり得るのか!?
「あ、にいさん起きた!?」
奥からまたもや現れる、黄金井と桃瀬。
って、いや、待て待て……
現れた黄金井は、半袖半ズボンの姿に、坊主頭。そして、桃瀬はギリギリパンツが見えない程度の、短いワンピースに、おかっぱ頭。
これは、まさか……
「ソツオ! ツバメ!」
――だからなんだ、その名前は!?
「マカオにいさん、よく寝てたわねぇ」
――俺の名前、そんなんだったのか。
「仕事で疲れてるんだよ、たまにはゆっくり寝かせてあげよう」
――お前、坊主頭似合ってないな。
どういうわけか、日曜夕方六時半に見たことあるような光景を、オトメリッサメンバーがやっているようなのだが。
この流れでいうと、まさか……
「わぁい、パパが目覚めたデス……」
「あ、ヨラちゃん!」
やる気のない声で現れる、緑山。
後ろに剃り込みのある、子どもっぽい頭に、子どもっぽいサロペット姿。顔はかなり引きつっている。そりゃ、お前も三歳児の役は嫌だよな……
――ってことは。
この流れで、まだ出てこない役といえば。
そして、まだ出てこないメンバーといえば。
「あなた! もう! いくらお休みだからってゴロゴロして!」
……………
白龍が、現れた。
しかも、ピンクの服に、前掛け。おまけにあの形状しがたい独特の、額から横へ流れる、あの髪型。
「……お前」
「お前ってなによ! 私の名は伝説、またの名をユメ田ドザエ! あなた、ちょっとおかしいわよ!」
おかしいのはこっちの台詞だああああああああああああああああああッッッッ!
どうやらまだ、悪夢は続いているようだった。




