91話 「蒼条海は悪夢から目覚めたい①」
俺の目の前に、男が倒れている。
「海……お前……」
そして、周りの連中が、青ざめた表情で俺を見てくる。
男の背中には、ナイフの柄がしっかりと立っている。
「俺じゃ、ない……」
俺が疑われていることは明白だ。皆の震えた眼差しが、そう訴えかけてくる。
「お前しか、いないんだよ」
「だから俺じゃ……」
「そんな、海くん……どうして……」
俺は地面に目を向ける。
これは悪夢だ。そうに違いない――
一体どうして、こんなことになったのだろう……
「えー、大変難しい事件ですメ。今回の事件、犯人はおそらく蒼条海に間違いありませんメ。証拠はありませんメ。ですが、ヒジョーに怪しすぎますメ。さて、彼は一体どうしてこんなことをしたのでしょうか……? みなさんおわかりですメ。メパ畑メメ三郎でしたメ」
「この裏切りものおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
何の脈略もなく現れたメパーに苛立ちを覚えながら、俺はこれまでの経緯を思い返していた。
遡ること、数時間前――
「はーはっはっは! ミッソジニー諸君! 僕に感謝したまええええ!」
――出たな。
うちのゼミきっての、鬱陶しい男、鰆名井手郎。
鰆名は七三に分けた赤い髪をかき上げ、見下げるように俺たちを見下げた。
揺れるバスの中、しかもそこそこ高度のある山を走っているときに、コイツの顔を見たら余計に頭痛が酷くなりそうだ。
「はいはい、感謝してます」
俺は溜息を吐きながら、奴の嫌味を適当にあしらう。
「なんだ、その気の抜けた返事は!? それよりも、蒼条! 君は何故隣に川辺さんを座らせている!? 女性の隣にふてぶてしく座るとは、下心丸出しだろう!」
「適当に座ったらたまたまこうなっただけだ」
「だーから君はミソジニーなのだよ! しかも君が窓際の席とは! そっちは女性に譲るのがマナーじゃないのかい!?」
「あ、私が譲ったの。蒼条くん、乗り物酔いしやすいみたいだから」
「いいや、窓際は女性のための席だ! あと、さっきも女性に荷物を持たせていただろう!」
「それは自分の荷物だから……」
「いいや、男のほうが持ちたまえ! 川辺さんも優しいのはいいが、こんな男を甘やかすのは辞めた方がいい」
――うるさいな。
俺は苛立ちを抑えながら、じっと窓の外を黙って眺めていた。
「気にしなくていいからね、蒼条くん」
こっそり耳打ちで気を遣ってくれる川辺。
「大変だな、蒼条」
「鰆名のヤツ、ホントにウザいよね。いくら今回の合宿の場所を手配してくれたからって」
席の前後から、俺に囁いてくれるゼミのメンバー。
今回のゼミ合宿の場所は鰆名の家が所有している別荘らしい。まぁ、おかげで費用もさほど掛からずに済んでくれたのはありがたい話ではある。
が、コイツに恩を売ってしまったような気分にさせられたのは悔しいところもあるわけだが。
どうにもこうにも先が思いやられる気分だ。
だが――
この合宿が、とてつもない悪夢の始まりになってしまうとは――
このときはまだ思いもよらなかったのだ。
合宿所は思いのほか綺麗な別荘だった。
木造建築の趣のある造りで、庭も広い。
俺たちは荷物を降ろした後、
「ただいまー!」
「お、たくさん採れたな!」
「こっちも飲み物たくさん買ってきたぜ」
川辺と他のゼミメンバーが続々と戻ってくる。
折角の山の別荘なので、夕食はバーベキューをしようという話になった。買い出しや釣り、キノコ狩り、そして調理班に分かれてそれぞれ作業をしている。歩いて行ける距離にコンビニがあるようだし、キノコ狩りや釣りができるエリアもある。
「頼んだぜ、鉄板名人」
結局俺が調理担当になってしまったわけだが。
既に鉄板とコンロは準備してある。早めに買っておいた食材も切っておいた。
「ふっふっふ、女子の諸君! 良い物を持ってきた! ウチのシェフ御用達の、最高級飛騨牛サーロインステーキ肉! どうだい!? 美味しそうだろう?」
どこからともなく現れた鰆名。
「お前、今まで何をしていた? 俺たちを手伝ったわけでもないし、食料調達に行ったようにも見えなかったが」
「なーにを言ってるんだ、キミは! 僕はね、今はこの別荘の主なんだよ。肉もこうやって調達してきた。これ以上僕に労働させる気かい?」
「……女子たちも働いたんだが」
「なんだと!? まったく、相変わらずミソジニーだな。女性たちに重労働させるとは、けしからん」
――はぁ。
俺は心の中で「お前もだろ」と言ってやりたかったが、やめておいた。反抗したいのは山々だったが、コイツにイチイチ突っかかると面倒なことになりそうだ。
「んだよ、結局女子にカッコつけたいだけじゃんか」
ゼミメンバーの一人、鯖戸が悪態を吐いた。
「まぁいい。とりあえず焼くからその肉よこせ」
「フンッ! キミに食わせる肉はない! これは女性のみんなで分けるがいい!」
「なんだよ、けちぃ!」
「いいぜ、こっちはこっちで勝手に焼くから」
――やれやれ。
俺は首を振りながら、他の食材を見た。
ふと、笊に盛られた大量のキノコに目がいった。確か川辺たちが採取してきたものだったな。図鑑を見てきちんと確認したと言っていたから、おそらく毒キノコは混じっていないはずだが……
ひとつだけ、怪しいキノコがあった。
緑と紫のまだら模様が目に痛い、いかにも気持ち悪い代物。
「おい、これこっそり食おうぜ」
男子の一人、鰤木が言ってきた。俺たち男子だけに聞こえる声で。
「いや、いかにも怪しいだろ。やめとけって」
鯖戸が制止した。
「だったらさ、こういうのはどうだ? これを焼いて、最初に鰆名のヤツに毒味させよう。んで、大丈夫そうなら俺らも食うってことで」
――おいおい。
さすがに酷すぎる。いくら鰆名でも、下手したら只事じゃ済まないだろう。
「あのなぁ……」
「大丈夫だって。川辺さんたちがちゃんと調べて採ってきてくれたキノコだろ? 問題ないって!」
――ううむ。
生憎、俺はキノコについては詳しく分からない。これで問題なければ良いのだが。
ここは川辺のことを信用してみるか。
俺はキノコを薄切りにして、焼きはじめた。思ったより香ばしくて良い匂いがしてくる。
しばらく焼いていると、気持ちの悪いまだら模様が消えて普通に茶色い色へと変化した。
「本当に変なキノコだな」
とはいえ、見た目の違和感は消えた。
これなら大丈夫……だよな? 多分。
「お、焼けた?」
「あぁ、一応な」
「ウマそうじゃん! あの変な模様もないし。そんじゃ、まずは……」
鰆名のほうを見据えた。あの男はこちらのほうには目もくれる様子もなく、ずっと女子たちとの会話に夢中になっていた。女子のほうは若干引きつった表情をしているが。
「さーわーらな!」
「ん? なんだい? こっちは今取り込み中なんだ」
「キノコ焼けたぜ。ほら」
皿に盛られた焼きキノコを見せる鰤木。
「キノコだとぉ? ふん、そんなもの……」
「酷いなぁ。女子たちが頑張って採ってきてくれたキノコだぜ。食べなきゃバチが当たるぞ」
「そ、そうか。それは失礼。女性の皆が採ってくれたものなら美味しくいただけるだろう。それじゃあ、ひとつ……」鰆名はキノコを口に運び、「うむ、旨い! キミたちが頑張って採ってくれたキノコは別格だねぇ!」
――ううむ。
ひとまず大丈夫そうか。見たところ鰆名の様子に変化はなかった。
「んじゃ俺らも食うか!」
「おう!」
鰤木と鯖戸がキノコを口に運んだ。
二人の様子にも異変はない。これなら大丈夫だろうか?
不安は残っているが……
「川辺たちが採ってくれたものだし、無駄にするのはもったいない、よな……」
意を決して、俺も思い切ってキノコを口にした。
なるほど、コリコリと歯ごたえが良い。味も悪くはない。
「うめぇ! こんなキノコ食ったことがない」
「いやぁ、これ採ってくれた、じょ……し……は……」
――ん?
なんだか、鯖戸の様子がおかしい。
いや……
俺も……
「な……なん……か……」
「ねむ……た……」
――ぐっ。
俺の視界が一気に揺らぎだした。
全身から眠気が湧き上がり、椅子から転げ落ちる。
夜空が見える。星が綺麗だ。だが、どんどん星の光がぼやけてくる。
そして……
俺の意識は、完全に無くなったのだった。
……
「……きて」
――う、うん?
微かに、誰かの声が聞こえる。
「……起きて!」
――かわ、べ?
「起きて! 蒼条くん!」
その言葉に気付き、俺ははっと目を覚ました。
身体はまだダルい。頭も少しガンガンする。
「う、うう……」
なんとか身体を起こし、俺は起き上がった。
いつの間にかベッドの上だった。傍らに俺の荷物があるから、おそらく俺の部屋だろう。
「良かった、蒼条くん」
「川辺? 俺は、一体……」
「バーベキューの後で倒れたの! 良かった、無事で……」
そうだった。
俺は、あのバーベキューで変なキノコを食った後、そのまま気を失ったのだった。
「そうか、ここまで運んでくれたのか……すまない、川辺」
「いいの。でも……」
――なんだ?
川辺の様子が何故かおかしい。険しい顔を浮かべながら、俺のほうを見ている。
「……何かあったのか?」
俺はおそるおそる聞いてみた。
川辺は顔を青ざめながら、じっと俺のほうを見つめてきた。
「事件……」
――なっ!?
「事件って、おい! 何があった!? おい!」
川辺は涙を浮かべながら、俺の肩に手を添えてきた。
「……ろされたの」
「へ?」
唇を震わせながら、川辺は俺に向けて、こう言い放った。
「鰆名くんが……殺されたの! 下の部屋で!」




