高子と和枝の勝負 其の4
和枝の『初天神』が終わると、怜先生が手をたたいて、遊達、落語研究会の部員を促します。
「はい、皆さん。それじゃあ場所移動だ。和枝君の落語に関しては、言いたいこともあるが、それも高子君の落語が終わってからだ。ああそうだ、和枝君、君はどうするね。審判役は、先生と遊君と英子君の三人だけど、高子君が落語している間、和枝君はどうしてる?」
「高子君だって、僕の落語を聞いてくれたんだ。僕だけ聞かないというわけにいはいかないよ。もちろん、高子君が了承すればの話だけどね」
武道場に向かいながら、先ほど和枝の『初天神』の前に、高子が和枝にしたような言い回しを、和枝がすると高子も、その時の和枝と同じような答え方をするのです。
「当然、この高子さんが、和枝君に自分の落語を聞かせないような、けち臭い真似をするはずがない。和枝君、この高子さんの落語を、大いに楽しんでくれたまえ」
和枝が『初天神』の前にしたような不敵な笑みを、高子もまた浮かべるのです。和枝と高子が、そのような好敵手どうしのやりとりをするのをよそに、怜先生が、遊と英子に注意をします。
「遊君、英子君、君達も、和枝君の落語に対して、なんやかんや思うところはあるだろうが、二人でそのことを話したりしちゃあだめだよ。高子君の落語が終わってから、和枝君と高子君の落語に関しての、論評をするから、その時まで、我慢してね。そうだ、遊君も、英子君も、それに高子君も、和枝君が落語をしている間、静かにしていたのはえらい。マナーがきちんとしていたよ。先生も、いちいち小学生にやるような注意をしなくてよかった」
怜先生が、遊と英子、そして高子の和枝の落語を聞く態度を誉めると、高子が、そんなことは当たり前だというような返事をします。
「先生、この高子さんが、勝負の相手である和枝君に対して、落語の妨害をするみたいな卑劣な真似をするはずがないだろう」
高子がそう言うと、怜先生はうれしそうな顔をして、落語の聞き方について一説述べるのです。
「そうだね、せっかく人が落語をしているというのに、それを悪意を持って邪魔するというのは、論外だ。だけど、悪意ではなくとも、聞いている人のすることが、演者に対して困ったことになるのは往々にしてあるからねえ」
怜先生が言ったことに対して、遊が質問します。
「先生、それって、善意が、相手に対して迷惑になることもあるってことですか」
「そうなるね、遊君。別に落語、というか、芸事に限った話でもないけどね。ありがた迷惑とか、押しつけがましいという表現もあるし。長くなるから、落語の場合に限定しようか。例えばね、落語の中に、芸者さんが歌を披露するシーンがあるとしよう。当然、落語家が歌うわけだけど、それを聞いているお客さんが、手拍子をしてくれたとする。さあ、遊君。このお客さんの行動を、君はどう思うかい」
「そりゃあ、歌にあわせて、手拍子をしてくれると言うことは、話をしている落語家にとって、いいお客さんってことになるんじゃあないですか、先生」
「まあ、そういうお客さんに、悪気がある人は少ないだろうね。でも、その手拍子が、著しくリズムを外していたらどうかな。想像してごらん、遊君。君が、カラオケか何かで、歌っているすぐそこで、調子がひどくずれた手拍子をされたら。しかも、手拍子をしている当人は、全く悪気がなさそうに見えるときた日には」
「それは、歌いにくいことこの上ないでしょうねえ。かと言って、『その手拍子、やめてください』とも言いづらいですし……」
「そう言うことだね、遊君。ちなみに、客席と落語家に距離があると、音の速さがネックになるんだ。空気中の音速は、大体秒速三百メートルだから、客と落語家が五十メートル離れていると、往復で百メートル。三分の一秒ぐらいずれちゃうねえ。音楽の世界だと、これはかなり致命的になるんだ。大物アーティストだと、ドームとか、かなり規模の大きい場所でコンサートをやるだろう。そう言う場合、遠くのお客さんの手拍子で、却って調子が狂う、なあんて言う裏話があったりするね。だから、遊君、コンサートで、ピカピカ光るサイリウムをお客さんが振っているの、よく見るだろう」
「ああ、あの、蛍光色の光るやつですか」
「そう。あれは、サイリウムを振ってくれていたら、演者の耳を悩ますことがない、と言う側面もあるんだ。まあ、部室でやる仲間内の、落語発表会なら、そんな心配ご無用だけどね、遊君。とは言え、君達のような学生さんならいざ知らず、本職の落語家さんなら、お客さんと一緒になって、場を盛り上げるなんてこともあるね。何か思いつくかい、遊君」
「『寿限無』で、子供の名前を演者と一緒に聞いているみんなで言っていくとかですか、先生」
「まさにそれだね。教育テレビのおかげで、『寿限無』の名前を言うことが、子供達の間で流行った結果、小学校なんかでは、演者が、聞いている子供達に『みんな、たんこぶができたのは誰かな』なんて言って、その場にいる全員で、『寿限無寿限無……』と言うようになる感じだね。古典落語をやっている寄席に、遅刻してきちゃったおばあちゃんが入ってくると、落語家が話を中断して、『ああ、おばあちゃん、あせらなくていいよ、ゆっくり、ゆっくりね。話の内容なんて、聞いているみんなは百も承知なんだから』なんて言って、場を盛り上げた、なんてこともあって。おやしまった。勝負の最中に、とんだ余談をしてしまったよ。話を逸らすのはこれくらいにして、高子君の落語を楽しもうかな」
「そうだよ、先生。この高子さんの落語が今から行われるというのに、あまり、話をかき乱さないで欲しい」
高子はそう言って、自分の『出来心』の発表に備えるのです。




