積川和枝 其の3
遊の驚きの声に、和枝は淡々として答えます。
「そうだよ、遊君。ここは落語研究会だ。僕もメンバーだし、そこにいる、英子君に、高子君も会の一員だ」
「そうなんですかあ。だけど、英ちゃんはともかく、高子さんまで、落語研究会に属しているだなんて、なんだか意外です」
高子が落語研究会の会員であることを、遊がそのように評したところ、高子は、あっけらかんとして答えます。
「ああ、遊さん。それはね、こういう部室があるとね、いろんな資料を置いておけて、わたくしの趣味において、大変助かるんだ。あまり活気がある部活動だと、そうそう部室を私物化できないしね。柄見の怜ちゃん先生に『会員の数が、物足りなくて、今にも、潰れちゃいそうな研究会があるの、特に活動に参加はしなくていいから、籍だけ入れてくれないかなあ。部室は、普段はほとんど使われていない教室だから、大荷物になりそうな、書籍類なんか、結構な量を保管できるわよ』、なんて言われちゃって、二つ返事で会員になっちゃったんだ。まさか、米村君が会員だなんて、思いもよらなかったよ。一度、引き受けたことを、やっぱり嫌ですなんて、とても言えやしないしねえ。そんなこと言った日には、怜ちゃん先生にどんなおしおきをされるか、わかったものじゃあないからね」
「ふん、わたしだって、高子、あんたが来るなんて知っていたら、研究会に入りはしなかったわよ」
英子と高子の間に、またまた険悪な雰囲気を遊は感じ取り、話題をそらすことにしました。
「そ、それで、和枝さんは、どうして落語研究会に入ってるんですか」
「ああ、それは、制服を脱ぎだすことを、柄見先生にとがめられてね、『この部室以外では、上はカッターシャツ、下はスカートは最低限着ていなさい。だけど、落語研究会に入れば、この部室には出入り自由になるし、この教室は、ほとんど人気が無いの。言ってる意味、わかるわね』、なんて言われては、逆らえるはずもないさ。それより、今大事なのは、お礼だよ。遊君へのお礼だ。さあ、好きな要求をしてくれたまえ」
「いやあ、それは、その。そうだ、この教室が落語研究会の部室だって、和枝さんが教えてくれたじゃあないですか。それがあたしへのお礼だということでいかがでしょう」
「なにを、この積川和枝を、そんなに安い女だと思っては困る。それっぽっちのことでは、僕の感謝の気持ちは、とても表現しきれはしないのだ」
「そ、そうですか、和枝さん。ええと、じゃあ、落語研究会に入っているんだったら、落語の一つや二つできるんじゃあないですか。せっかくだから、和枝さんの落語、聞かせてくださいよ」
「こら、藪から棒に何を言い出すんだ、遊君。そんな、僕の落語なんて、ありはしないよ。僕は落語の創作なんて、しちゃあいないのだから」
「あら、和枝さん。確かにあたしは、”和枝さんの落語”とは言いましたがね、”和枝さんの創作した落語”だなんて言っちゃあいませんよ。なにがしかの古典落語の演目を和枝さんが一席やったとしたら、それだって、”和枝さんの落語”と言えるんじゃあありませんか。ほら、『品川心中』はやっぱり、あの師匠の『品川心中』に限るねえ、なんて言うじゃあありませんか。でも、和枝さんが、創作をまず引き合いに出すということは、和枝さん、ひょっとして、少なくとも、創作をしようとしたことくらいはあるんじゃあないですか」
「そ、そんな、名探偵が犯人を追い詰めるような、物言いはしないでほしい、遊君」
「ま、和枝さんがあたしには、自分の落語を見せたくないなんて言うのなら、それはそれで構わないですよ。わたしは、ここが落語研究会の部室であることを、和枝さんが教えてくれただけで十分なんですから。それで、和枝さん、どうしますか」
「ぐぐぐ、だけど、だけどね、遊君。実際のところは、僕が創作した落語がないわけじゃあないんだ。でめ、その内容が、少し一般的でない知識に偏っているというか、不特定多数に対して披露するには、適切でないというか……それにまだ未完成で」
「はあ、特に問題ないんじゃあないですか、和枝さん」
「そう、なの、かな、遊君」
「少なくとも、あたしはそう思いますよ、和枝さん。そりゃあ、お金をいただいて、お客さんの前で芸をやるというんだったら、客に芸をあわす、ということも必要でしょう。不十分なものをやるなんてもってのほかです。だけど、ここは、落語研究会の部室ですよ。そこで行うリハーサル、という事でしたら、自分のやりたいようにやる事もいいんじゃあないですか。創作のたたき台として一度やってみて、そこから完成品を作り上げていくこともありだとは思いますよ。それに、あたしは、和枝さんがどんな落語を創作するのか、興味ありますし」
「遊君が、そこまで言うのだったら……」
「やった! それじゃあ、お願いします、和枝さん。ほら、英ちゃんも、高子さんも聞きましょうよ」
遊にうながされて、英子と高子も、和枝の落語を聞くことにします。二人は、それぞれ別のことを思いながら
「遊ちゃんったら、わたしが保健室でやった『時そば』とか、武道場でやったやつだけじゃあ、物足りないのかしら。未完成でもいいなら、そう言ってほしかったわ。私がいくらでも見せるのに」
「ふうん、米村君に引き続き、和枝君まで、遊さんに落語を見せちゃうのかあ。やっぱり、遊さんには、何かあるみたいだなあ。この高子さんも、遊さんに色々聞かせちゃうことを妄想してはいたけど、実際に、遊さんに聞いてもらおうかなあ」
動機は違えど、英子と高子は、遊に自分の話を聞かせたいと思うのでした。




