積川和枝 其の2
和枝のひと騒動があったその翌日の放課後となりました。遊が、荷物がいろいろ詰まったリュックサックを背負うと、まず同じクラスの英子の手を引っ張って、和枝が待っているであろう場所に、連れて行こうとします。
「さ、英ちゃん。放課後よ、行きましょう。和枝さんにいいもの持ってきたんだから」
「う、うん、わかった、遊ちゃん。でも、手を引っ張られると、痛いというか、でも、だからといって、遊ちゃんに、引っ張ってもらいたくない、ということでは、けしてなくて……」
「何意味が分からないことを言っているんですか、英ちゃん。ささ、高子さんも連れていきますよ。高子さんのクラスはどこですか」
「えっと、高子のクラスはね……」
英子の返答も待たずに、遊が英子を連れて、教室を出ていこうとするところで、高子と鉢合わせをします。
「わあ、びっくりした。おや、遊さんに、米村君じゃあないか。今、遊さんを誘いに来たところなんだが……」
「あっ、高子さん。ちょうどよかった。これから高子さんのクラスに、行こうと思っていたんです。一緒に行こうと思って、さあ、行きましょう」
こうして、遊は、右手で英子を、左手で高子を引っ張っていきます。思わぬ遊の積極的さに、とまどう高子なのでした。
「おいおい、遊さん、今日は馬鹿に大胆じゃあないか、いや、白状すると、この高子さん、こういうのも嫌いじゃあなくて、むしろ、好きと言えるんだけど……」
「はいはい、そうですか。じゃあ、いきますよ。ついてきてください」
英子と高子は、思わず、二人で顔を見合わせるのでした。それを見て、教室の女子生徒達は、またもや、口々に噂しあうのです。
「まあ、高子様ったら、相変わらずお優しいことですね。昨日に引き続き、今日もまた、編入生を御案内して差し上げるだなんて」
「ですが、今日は、編入生さんのほうが、高子様ともう一人を、連れて行ったような気がするのですけれども
「気のせいじゃあなくて」
英子と高子、そしてその二人を引っ張て行く遊の三人が、昨日、和枝が下着姿でいた教室に向かいます。今日のところは、廊下に何も落ちていません。そして、遊が、和枝がいるであろう教室のドアを開けると、教室の中には、すでに和枝がおりました。制服を着ている姿で
「ああ、よかった、和枝さん。今日は下着の上に制服を着てくれていたのね」
「まあ、遊君の頼み事だからね。何か見せてくれるみたいだし。それで、何を見せてくれるんだい」
「そうです、そうですよ、和枝さん、昨日、家の押し入れから、引っ張り出してきたんです」
そういうと、遊は、英子と高子の手を放し、リュックサックを下ろします。英子と高子は、心なしか、残念そうな面持ちです。
「ほら、これ、あたしが小学生の時に来たいた甚平です。えっと、薄手の袖が短いジャケットと、ハーフパンツの和服バージョンみたいなものですが、素材は麻が混ざってるし、この上着のわきの部分、タコ糸で編んであるでしょう。洋服のベストに短い袖をタコ糸で繋げている形になってて、すっごく風通しが良くて涼しいんですよ。着心地もゆったりしていて、締め付けられる感じもしないんだろうし、とりあえずでいいから、着て見てもらえませんか。和枝さん」
「ほう、遊君が小学生の時に来ていたものかね」
「あっ、いや、それはその、和枝さんの体型がどうこうという話をしたいのではなくて……」
「まあ、遊君がこの、えっと、甚平だっけ、を持ってきてくれたことには礼を言おう。そのわざわざ持ってきてくれた甚平を、着ないというわけにもいくまい。遊君の頼みを無下にはできないからね」
「はい、ありがとうございます、和枝さん」
遊が持ってきた甚平に着替えようとする和枝の様子を、遊は嬉しそうに、英子と高子は興味深そうに見ていますが、和枝が恥ずかしそうに抗議します。
「その、三人とも、できれば、せめて後ろを向いてはもらえないだろうか。見たままで着替えるというのは、どうも……」
「ああっ、これはとんだ失礼を、ほら、英ちゃん、高子さん。女の子の着替えを見ちゃうだあ何て、いけないことですよ」
遊のごく常識的な発言に、英子と高子も同意します。
「そ、それもそうね、遊ちゃん。ほら、高子も、後ろを向きなさいよ。それにしても、和枝ったら、そういう羞恥心は持ち合わせているんだな」
「あ、ああ、そうだな、遊さん。後ろを向いていなくてはなるまいな。女の子の着替えは、犯すべからず神聖なものだからな」
後を向くことになった、遊と英子と高子ですが、その耳には、和枝が着替える際の衣擦れの音が、しっかると聞こえているのでした。それを聞いて、三人はひそひそ話をするのです。
「遊さん、米村君、和枝君は今、靴下を脱いだようだぞ」
「靴下を脱ぐくらい普通のことじゃないか、高子。おや、和枝は制服の上を脱ぎにかかったみたいじゃあないか、遊ちゃん、高子」
「で、でも、英ちゃん、高子さん。それでも、下にはカッターシャツを着ているんじゃあないですか。それなら、別になんということは、あああ、カッターシャツまで脱いじゃった。ということは、今や和枝さんの上半身は……」
「落ち着き給え、遊さん。それに米村君も、和枝君のブラジャー何て、昨日も見たじゃあないか。ややや、今度はスカートを脱いでいるぞ、和枝君ってば、とうとう下半身にまで」
「た、高子。スカートを脱いじゃったのか、和枝は。で、でも、今から、遊ちゃんが持ってきてくれた、甚平を着てくれるんじゃあないのか、ねえ、遊ちゃん。あ、あれっ、和枝のやつ、まだ何か脱いでいるようだぞ。カッターシャツも、スカートも脱いだというのに、今さら、何を脱ぐというんだ」
「え、英ちゃん、高子さん。和枝さんったら、今現在、どんなあられもないお姿になっちゃっているんでしょうか」
「見てはいけない、断じて見てはいけないぞ。遊さん。それに米村君もだ」
「そうよ、遊ちゃん。けっして、見ちゃあだめなんだからね。高子、あんたも、見るんじゃあないんだからね」
遊と英子、そして高子が大いに顔を赤らめていると、能天気な和枝の声がするのです。
「着終わったぞ。もう、こっちを向いても大丈夫だ。三人とも」
それを聞いて、遊と英子、そして高子の三人は、和枝の甚平姿を見ながら、こっそり耳打ちしあうのです。
「ねえ、英ちゃん、高子さん。和服って、中には、下着も何にもつけない、みたいな俗説があるじゃあないですか。ち、違いますよ。あたしが、あの甚平を小学生の時に、着る場合は、しっかり下にキャミソールと、パンツ、つけてましたし」
「ああそうだ、遊ちゃん、それが当然だとも。そんな当然のこと、いちいち確認することもないだろう。そうだろう、高子」
「それもそうだな、米村君。そのようなあまりにもわかりきったことを、わざわざ、和枝君に問いただすのも、無礼と言えるし、ここは、暗黙の了解、ということでいいんじゃあないかな。ねえ、遊さん」
三人の、こそこそした態度に、和枝は異議を唱えます。
「三人とも、いったい何をささやきあっているんだ。しかし、これはいい。うん、実にいい。以前浴衣を試したことがあったが、あれは、見た目はともかく、着ているほうにとっては、あんまり涼しいものじゃあなかったな。帯で締め付けるのも、妙に息苦しいものだった。感謝するぞ、遊君」
「えっ、いやいや、どういたしまして、和枝さん。でもですね、そのう、確かに、帯は締めなくてもいいんですがね、上着は、羽織るだけ、というものでもなくてですね……」
「ほほう、それはどういう事だね、遊君」
和枝は、甚平が相当気に入ったのか、変にはしゃいで、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、興味深そうに優に質問をします。遊は目を背けながら、答えるのでした。
「あの、和枝さん。あんまり飛び跳ねられると、その、上着の前合わせの部分が、はだけてしまいかねませんので、できれば、大人しくしていただけると」
「そうか、それならそうするとしよう。で、上着を羽織る以外に、僕は何をすべきなんだ」
「ああ、それはですね、襟の部分と、前合わせの部分に、ひもがついているでしょう。それで、右前にして、ひもを結んじゃッて下さい。そうしないと、すぐに、上着の中身が丸見えになっちゃいますから」
「なるほど、これでいいのか」
和枝は、甚平の付紐を結んで、前合わせを、しっかり右前にしました。これで、もうまるはだけになることはありません。遊も一安心です。
「はい、ばっちりです、和枝さん。それで問題ありません」
「ふむ、帯を結ばずに、上着の前合わせを、直接、付紐で結ぶのか。これは機能的だ。大変よくできている」
和枝は、すっかり、甚平のとりこになり、いろんなポーズをとりながら、その着心地を堪能しています。ややあって、遊にあらたまった態度をとるのでした。
「こんなに素晴らしい、贈り物をしていただいたんだ、これはぜひとも、遊君にお礼をしなくてはならないなあ」
「いやいやそんな、お礼だなんて。もともとあたしのお古だし」
「何を言う、遊君。お古だろうとなんだろうと、いいものはいい。最早、僕はこの甚平なしでは、生きてはいけない体になってしまったよ。制服なんて、ごみ箱に捨ててしまいたいくらいだ」
「いや、甚平って、あまりフォーマルな装いではないので、制服を着るべき時は着てほしいんですが……」
「そうなのか、遊君。まあ、とにかく、僕にできることはないかね。さあ、何でも言ってくれたまえ」
「何でもと言われましても……あっ、そういえば、そもそもこの教室っていったい何なんですか。英ちゃんに高子さんも、昨日、あたしを、ここに連れて来たみたいだったし」
「この教室かい? ここは落語研究会の部室だよ」
「落語研究会ですか?」
遊は驚きの声をあげるのでした。




