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武道場にて 其の8

しかしながら、遊と英子の二人はさっきまでとは打って変わって、意味ありげに顔を見合わせます。


「ところで、英ちゃん。あたし、さっきから気になることがあるんだけれど」

「奇遇ね、遊ちゃん。わたしもよ。入り口のあたりに妙な気配がするのよねえ」

「気配がしますか、英ちゃん。それも、ここ海応学園に編入したばかりのあたしにも、どうも覚えがあるような気配が」

「編入生の遊ちゃんにも覚えがある気配ですか。今にして思えば、昨日の保健室のドアのあたりもこんな感じだったりしたのかしら」

「そうなるのかしらね、英ちゃん。で、いい加減に出てきてくれませんか、柄見先生」

「そこにいるんでしょう、怜先生」

「いやあ、失敬、失敬。ついつい若いお二人さんに夢中になっちゃってね」


どうやら、怜先生が昨日の保健室に引き続き、今日も遊と英子の二人をのぞいていたようです。ですが、結構な荷物を持ってきていました。


「だけどね、遊さん、英子さん。一応先生は柔道教諭で、ここ武道場の責任者みたいなものだからね、生徒だけで、使いっぱなしにさせるわけにはいかないのよ」

「で、いつからいたんですか、柄見先生」


遊がもうどうでもいいやという様子で、怜先生に問いかけます。


「いえね、校舎の方に用事があるというのは本当なのよ。ちょっと取りに行くものがあってね。で、それを持って、すぐに武道場に引き返してきたのよ、遊さん」

「はあ」

「おかげさまで、英子さんの新作落語を、思う存分堪能できちゃったわ」

「ちょ、ちょっと待ってください、怜先生。わたしの落語、聞いていたんですか」


英子は慌てふためきますが、怜先生はどこ吹く風といった風情です。


「そうね、だいたい、車屋さんが『まんじゅう怖い』についてああだこうだくっちゃべっているところあたりからかしらね、英子さん」

「ほとんど最初からじゃあないですか、怜先生」

「そうよ、だけどずるいじゃあない、英子さん。あれだけ、よくできた落語を遊さんに披露しちゃう癖に、先生にはちっとも見せてくれないんだものなあ。先生、英子さんが調子悪そうにしているたんびに、『なんだか疲れているみたいね、何か没頭しているものでもあるの』と聞きはするものの、英子さんったら、その都度言葉を濁しちゃうんだもん。それなのに遊さんには、落語、やっちゃうんだもんなあ」

「だって、怜先生、それは、その」

「まあいいわ、それはそれとしてね、校舎から何を持ってきたかというとね、はい、遊さん、あなたの柔道着よ」

「ああ、柄見先生、わざわざ持ってきてくれたんですか」

「ええ、遊さん。結構荷物になるから、学校に置いておいて構わないわ。まあ、月に一度は洗濯しないと、カビが生えちゃうけど」

「うえっ、カビですか、柄見先生」

「後ね、遊さん。各教科の教科書とか、参考書とかは、最初の授業の時に、その教科を受け持つ先生が持ってきてくれることになっているわ。遊さんとその先生のお互いの顔見せでも兼ねてね。さっきも言ったでしょう。春休みの間に、中等部からの内部進学組は、実力テストを受けているって。たいてい、高校で最初の授業は、そのテストの返却と、解説になるから、予習だとかはそこまで考えなくてもいいわ」

「どうも、わざわざありがとうございます、柄見先生」

「ということで、ささ、武道場の鍵を閉めちゃうから、遊さんと英子さんのお二人は帰った帰った。そうだ、遊さんの柔道着は、教室のロッカーにでも置いておくといいわ。でも、遊さん、編入したばかりで、迷っちゃうかもしれないわねえ。そうね、英子さん、遊さんを教室まで連れて行ってあげなさい」

「えっ、いや、そこまでしてもらわなくてもいいですよ、子供じゃあるまいし。それに英ちゃんにそこまでしてもらうのも悪いし、ねえ、英ちゃん、迷惑じゃない?」

「べ、別にわたしは、迷惑だなんて、そんな」


とりあえずの遠慮をする遊、そしてそれを聞いてどぎまぎする英子、二人を感慨深そうに見て怜先生は遊と英子をけしかけます。


「ほら、遊さん。英子さんもああいていることだし、若い娘さんがそんな遠慮なんてしちゃあいけません。英子さん、とっとと遊さん、じゃなかった、遊ちゃんを連れて行っちゃいなさい」

「柄見先生まで私をちゃん付けしないでください。どうせ何から何まで見ていたんでしょうけども。でもまあ、そうですか、柄見先生。それじゃあ、英ちゃん、頼んじゃってもいいですか」

「は、はい、遊ちゃん。この英子さんに、どんと任せておくのよ」

「それでは、柄見先生、さようなら」

「はい、さようなら、遊さん」

「あっ、れ、怜先生、わたしも、さようなら」

「はいさようなら、え・い・こ・ちゃん」

「れ、怜先生、なんてことを言うんですか」

「はいはい、さようなら、英子さん」


こうして武道場を去っていく遊と英子を眺めながら、怜先生はぽつりと呟くのでした。


「いやはや、世話がやけるったらありゃしない」



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