武道場にて 其の6
「ありがとうございました」
英子は遊に礼をします。その表情には、少し不安な様子がうかがえます。
「どう、かな、遊さん」
「どうと言われますと、ううん、そうですねえ、英子さん」
遊はひどく考え込んでいるようです。それを見て、英子はますます不安になってしまいます。ややあって、遊が英子に疑問を口にします。
「その、ちょっと質問させてもらってもいいかな、英子さん」
「え、ええ、どうぞどうぞ、遊さん」
「その、最後のサゲなんだけど」
「う、うん」
「あれは、師匠の『死神』を聞いたことがない車屋さんがその『死神』を面白がってるよ。師匠の落語だったらなんでもいいのかよ。ということなのか、それとも、師匠ったら、集会所ではでは、まだ『死神』やってないことに気が付いてないよ。そもそも、いくら師匠が落語のお師匠だからって、師匠が今から落語をやる、その演目は何々だ、と言ってもですね、それを聞いた人が、ああ、師匠の何々は最高だ。あそこがああなってこうなってそうなっちゃうんですよね。となって、師匠の芸は最高だ。はいお代、なんていうふうになるわけないだろ、最初から師匠が車屋さんにからかわれてたんだよ、ということなのか、わかりません。
どっちなんですか、それともどちらでもないんですか、英子さん」
「ええとね、そのね、遊さん。実を言うとね、さっきの落語ね、元ネタがあるの」
「元ネタ、ですか、英子さん。前の『時そば』みたいにアメリカンジョークなんですか」
「うん、そうだけど、遊さん。えっと、そのう……」
「あの、英子さん。一ついいですか」
「うん、何なに」
「英子さんって、ひょっとして、芸をした後に、その芸の解説をうんぬんかんぬんすることは無粋だなんて思っていますか
「えっ、それって、駄目かな、遊さん」
「いや別に、駄目とかそういう話じゃあないですけどね、英子さん。保健室での『時そば』の時も、あたしがその『時そば』のここが面白かった、あそこが素敵だった、なんて言うと、英子さんは恥ずかしそうにしていたから、そうじゃあないかなあと思っただけで」
「え、ええ、その通りなの、遊さん。わたし、やっぱり芸はその芸の中で完結すべきだ、なんて考えちゃったりしてて、だから、その後にしたり顔で、説明しちゃたりするなんて、どうにもこうにも恥ずかしくなっちゃって……」
「まあその気持ちもわかりますけどね、英子さん。ですけどね、あたし、以前テレビで、落語家さんが『死神』をやった後に、大学の先生が、『このように、昔は誰でも医者の看板を掲げることができたんですなあ。でも、それはそれでうまく行ってたんだから、今みたいに、医師免許なんてものが本当に必要なのかどうかわからなくなってしまいますね』って言う風に、江戸時代のいろんなことを解説してくれるのを見たんですね。実際、昔では当たり前だったことが、今じゃあ常識外れになるなんてことはよくある話だから、落語をやって、その後に、文化的背景だとかそういったものを説明するって言うことは、とっても素敵だなって思うんです」
「でもそれは、しっかりした大学の先生がやるからであって……」
「いいですか、英子さん」
「は、はい、なんでしょうか、遊さん」
「あたし、英子さんのこと、本当にすごいと思っているんですよ。尊敬しています。この前の『時そば』だって本当に楽しかったし、今回の落語だってそうです。最高です」
「ど、どうもありがとうございます、遊さん。でも遊さんだってたいしたものだと、わたし、思うわ。さっきのわたしの落語、一回ざっと聞いただけなのに、二種類解釈できちゃうんだから」
「あたしのことなんて、どうでもいいんですよ、英子さん。そのうえ、アメリカのジョークにも通じているなんて、やっぱりすごいです、英子さん」
「い、いや、通じるだなんて、そんな大層なものじゃあ」
「だから、あたし、英子さんに、落語、教えて欲しいです。お願いします、英子さん、いや、師匠。どうかあたしを弟子にしてください」
「で、でも、遊さん。私はそんな、師匠だなんて、正式に落語を修行したわけでもないのに……」
「わかりました、英子さん。じゃあ、こうしましょう。英子さんに大勢の客の前で落語をしてもらって、その後でその落語について解説しろだなんて言いません。ですけど、相手があたし一人だったら、英子さんと二人きりだったら、あたしに、英子さんの落語、教えてください」
「ふ、ふ、二人きりで、わたしが、遊さんに、教える、ですって」
「駄目ですか、英子さん」
「だ、だ、駄目なものですか。こちらこそ、是非お願いするわ、遊さん」
「はい、お願いします、師匠」
「だ、だけど、その師匠というのは勘弁して欲しいと言うか、なんと言うか……」
「だったら、なんとお呼びすればいいんですか」
「できれば、そのかしこまったものの言い方もやめて欲しいんだけど、ま、まあいいわ。じゃ、じゃあ、そのう、英ちゃんって呼んでくれるかな、遊さん」
「はあ、英ちゃんですか。それだったら、あたしも遊ちゃんって呼んでください、英子さん、じゃあなかった、英ちゃん」
「ゆ、ゆ、遊ちゃん! いいのね、本当にそう呼んじゃっていいのね」
「ええ、あたしだけ遊さん、なんてさん付けされるのは、どうにもこうにも」
「で、では、失礼させていただいて、遊ちゃん」
「はい、英ちゃん」
「え、英ちゃん……わたしが遊さ、もとい遊ちゃんにそう呼ばれる日が来るなんて、前世のわたし、徳を重ねてくれてありがとう」
「何か言いました、英ちゃん」
「いえ、なんでもないわよ、それじゃあ、その、遊ちゃん、二人で、落語の稽古、始めるわよ」
「はい、英ちゃん」
こうして、二人だけのお稽古が始まるのでした。




