武道場にて 其の5-英子の落語 其の3-
英子の落語の続きです。今回は、古典落語の『死神』のネタバレを含みます。なお、ここなろうサイトにて、その『死神』のパロディを自作として公開していますので、そちらも併せてお読みいただけたら幸いです。
「ふう、二度あることは三度あるというけれど、今週はどうだろうねえ」
「師匠、おーい、師匠。何をしてんですかい。今さらおいら以外の車に乗るなんて、無しにしてくださいよ、師匠」
「やれやれ、やっぱりこうなっちまったかい」
「師匠、お待たせいたしました」
「別に、待っちゃあいないよ。それより、車屋さんのほうこそ、あたしを待ってたんじゃあないのかい」
「何水臭いこと言ってるんですかい、師匠。もうね、おいらは、土曜になると師匠の専属車引きになると決まっちまったんですからね」
「決まっちまったのかい、車屋さん。でも、あんた、あたしのお車代受け取りやしねえじゃあないかい。そのうえ、あたしにお代を下さるときてる。そんなんじゃあ稼ぎにならないでしょう。あんたのかかあに怒られちまうんじゃあないかねえ」
「とんでもないです。かかあに師匠を叱らせるなんて、そんな、恐れ多いったらありゃあしねえ」
「いや、あたしじゃあなくて、車屋さんが怒られちまわねえかと心配してるんだけどね」
「へへっ、おいらたち夫婦のことまで心配してくれるなんて、さすがは師匠だ。大した器だねえ」
「いや、そこまでのものじゃあないけれどね」
「で、師匠。今日の演目は何になさるんですか」
「そうだね、車屋さん。今日はちょいと気合を入れて、『死神』でもやろうと思っちゃあいるんだがね」
「『死神』かい。ううん、そうきなすったかい、師匠。うん、それがいいや。師匠みたいな一流どころが『まんじゅう怖い』みたいな前座話をやるっていうのも味があっていいですけどね、やっぱり、師匠には、『死神』といった名人芸が一番ですよ。おいらが言うんだから間違いないや。おいらだって、師匠の『死神』聞きてえもんな」
「おや、うれしいこと言ってくれるねえ」
「なんてったって、死神みてえな化け物を、どう演じるかっていうかが見ものだよね。そんな演技、少しばかり落語をかじった程度の前座連中にはとてもじゃないけど、できやしないよ。やっぱり、師匠のような名人がやってこそだよねえ。最初に自殺志願者の男が、へんちくりんなじじいに出会う。そのじじいが死神だっていうんだから。その死神のこの世のものとも思えぬ不気味さっぷりに、聞いているお客さんは、落語の世界にすっかり入り込んじまうんだなあ」
「ずいぶん褒めちぎってくれるじゃあないか」
「それでもって、男に人の生きるか死ぬかがわかるようになったとたん、話がどたばた喜劇になっちまうんだからねえ。やっぱり笑いっていうのは緩急だよねえ。最初から、話を面白おかしく話しちゃったらこうはならないよ。まず、客を怖がらさせて、そして笑わせるからこそ、ぐっと面白さが引き立つものなんだよねえ。名医と人にちやほやされるようになった男が調子に乗っちゃうところとか、そのあと一転して、手のひらを返されるように、藪医者だとけなされて落ち込む男の様子とか、もう笑っちゃうよ」
「えらくわかったようなことを言うねえ」
「なんといっても、金に目がくらんだ男が、金持ちの病人の頭と足をひっくり返すところだよねえ。あそこで、噺家さんが派手な身振りをしてくれるのがまた格別じゃあないか。若い前座さんが、実力もないのに変に張り切っちゃって、やたら動きだけは大げさになっちまうのは、見るに堪えねえけどさ、ちゃんとした腕があるお人がやるとね、違うんだなあ。それまではこじんまりとしていた話のやり方が、ここで、盛大に動いてくれるのが感動ものだよね」
「なんだか、見習いの時に、芸について諭されたことを思い出しちまうよ」
「最後に、ろうそくの一件があるからねえ。さっきまでおおいに笑っていたお客さんは、ここで笑っていいのか、怖がっていいのかわからなくなっちまうんだ。そりゃあ、男がろうそくの火を何とかしてつぎ足そうとしているんだ。その悪戦苦闘っぷりを笑うのは当然だよ。でも、そこを、おどろおどろしい死神が気味悪く、『消える、消えるよ』なんて言っちゃうものだから、これは怖くて怖くて仕方がないよねえ。この、愉快さと恐怖さの加減が絶妙なんだよなあ」
「あんた、本当にただの車屋さんなのかい」
「そして、サゲがたまらないんだよなあ。普通、落語っていうのは、誰がやっても話の筋は違わねえんだ。まあ、だからこそ、噺家によるやり方の違いを楽しむなんて、玄人の楽しみ方もあるけどね。そういや、先週の『出来心』は人によって落とし方が違うねえ。それでも、二種類だ。それなのに、この『死神』ときたら、やる落語家の数だけ、そのサゲがあると言っても過言じゃあないときてる。ああ、楽しみだなあ、師匠の『死神』。師匠のサゲ、聞きてえなあ」
「車屋さん、そんなにあたしの『死神』、聞きたいのかい」
「ああ、だって、おいら、師匠の『死神』、まだ聞いたことねえもん」




