武道場にて 其の5-英子の落語 其の1-
今回は、登場人物が落語を行うという話ですが、その落語内に『まんじゅう怖い』のネタバレが含まれます。ご了承ください。なお、ここなろうサイトにて、その『まんじゅう怖い』のパロディを自作として公開していますので、そちらも併せてお読みいただけたら幸いです。
「古典落語というものは、同じ話を大勢の人がやってきたものでして、そんなものをわざわざ聞きに来てくれるんだから、大変噺家冥利に尽きますね。中には、あたしが何度も同じ話をやるのを、それこそ何度も聞きにいらっしゃってくれるお客さんもおりまして、これは大いにありがたいものですなあ。そのうえ、『この話は、やっぱりこの噺家がやるのに限るねえ』なんて言われた日には、こりゃあ、飛び上がるほどに、心が弾んじまってしょうがなくなっちまいますね」
「やれやれ、昨日はあちらの村、今日はこちらの町。あっちに呼ばれ、こっちに呼ばれ、西へ東へ。せわしないねえ。ま、呼ばれるうちが花ですからね、落語かなんて商売は。ここはあたしみたいなのをみたい毎週呼んでくださる大事なごひいき筋ですからね。ありがたい、ありがたい。おっと、すいません、そこの車屋さん、人力車に乗っけておくれよ」
「はいはい、お客さん、気を付けて、お乗りくださいね。怪我なんてしちゃあだめですよ」
「そうかい、運転手さん。どうもお気遣いすまないねえ。じゃあ、向こうの集会所までやってくれるかねえ。近場で済まないけれど、どうも年でねえ」
「いえいえ、お客さん、全然構わないですよ。近かろうとなんだろうと、お客さんはお客さんですからね。そういえば、お客さん、知ってます? お客さんの向かわれる集会所で、今日、噺家さんが落語を一席披露してくださるみたいなんですよ。いいなあ、行きたかったなあ。お客さんも落語を聞きに行くのかい」
「いえ、あたしは別に落語を聞きに行くわけじゃあないのだけれども……」
「へえ、落語って、いいもんですよ。お客さんも一回ぐらい聞きに行ったらどうですかねえ。って、あれえ? お客さん、ひょっとして、師匠、師匠じゃあないですか。今日、一席やってくれる、毎週この土曜に、こんなへんぴなところにわざわざ来てくれる。いや、こいつは師匠にとんだ無礼をはたらいちまったったみたいだね。師匠に落語を一回ぐらい聞いたらどうだなんて、釈迦に説法もいいところだよ」
「ああ、そうだけれどね。まあ、釈迦に説法云々は構わないよ。車屋さんも落語が好きみたいであたしはうれしいよ。それより、車屋さん、前を向いておくれよ。危ないじゃあないか」
「やっぱりそうだったんだ。いやあ、感激だなあ。師匠をお乗せできるだなんて。じつはね、おいらは、師匠の落語、毎週聞きに行っていたんですよ」
「おや、そうかい、車屋さん。そいつはどうもひいきにしていただいて」
「だけどね、師匠。おいら、師匠に一つ謝らなきゃあいけないんだよ。すまねえ、この通りだ。許してくれ、師匠」
「だから前を向いてくれって、運転手さん。危ないったら。それより、いきなり謝られても、あたしには何が何だかわからないよ。とりあえず理由を聞かせておくれよ、理由を」
「ああ、それというものね、師匠。おいらは、土曜日は師匠の落語の日って前々から決めていてね、師匠が初めてここの集会所で高座を披露してくれた時から、毎回欠かさずに集会所に足を運んでいたんです」
「ああ、そいつはさっき聞きましたけどね、車屋さん」
「ところがだよ、師匠。それだっていうのに、かかあのくそったれがよ、『土曜も働け』、なんて言いやがるんだ。おいらは、土曜は落語に行かなけりゃならないってごねたんだけどさ、うちはかかあ天下でさ、やっぱりかかあの命令にはさ、逆らえなくってさ、だから、すまねえ、師匠」
「いや、いいよ、車屋さん。仕事だっていうのなら仕方がないよ。だから、ほら、頭を上げて、前を向いて」
「ところがどっこい、こうして師匠をお乗せできたんだから、世の中ってものはどう転ぶかわからないねえ。いや、まったく、かかあのやつにはいくら感謝しても感謝しきれないよ」
「夫婦仲がよろしくて大変結構ですなあ、車屋さん」
「へへっ、どうも、師匠。ところで、今日は、いったい高座で何をやるつもりなんですかい。おいらはこうして聞きには行けないからさ。せめて、何をやるかだけでも教えてくれよ、師匠」
「そうかい、車屋さん。本当はそんなことしたらまずいんだけれどね。しかし、そこまであたしの落語を聞いて下さるお客さんを、むげにしちまうのも無粋だしねえ。いいかい、車屋さん。あんたとあたしだけの秘密っていうことなら、特別に教えてあげてもいいよ」
「師匠と、おいらの、二人だけの秘密。する、するよ。断じて、ほかのやつにはしゃべったりするものか。おいら、こう見えても口は堅いんだ」
「とてもそうは見えないけれどねえ、まあいいや、実は今日はね、子連れがたくさん来ることになっているんだ。だから、そうだね、子供にもわかりやすい『まんじゅう怖い』なんてやるつもりなんだけどねえ」
「『まんじゅう怖い』ときましたか、師匠。うん、そりゃあいいや。確かに、前座話で、たいていへたくそな前座のやつがやるから、世の中にはまずい『まんじゅう怖い』があふれちまっている。それで、『まんじゅう怖い』はありきたりな」よくある大して面白くない話だ、なんていう連中もいるけどさ、そんな輩は、一度も師匠の『まんじゅう怖い』を聞いたことがないに決まってるんだ。師匠みたいな名人がやっちまうと前座話の『まんじゅう怖い』だって、立派に真を打つにふさわしい落語になっちまうんだからなあ」
「そいつはどうも、車屋さん」
「それにしても、師匠、去年の今頃にも、うちの集会所でやってくれたよね、『まんじゅう怖い』。いやあ、あれは格別だったなあ、始めに、めいめいが自分の怖いものを言い合うところがいいね。『蜘蛛だ』、『蛇だ』、なんてね。あそこを怪談話みたいにおどろおどろしくやっちゃうお人もいるけどね、おいらは、やっぱり師匠がやるみたいに面白おかしく話してくれるほうが好みだな。うん。だって、落語を聞きに来てるんだから、大いに笑わしてほしいもんなあ」
「ほう」
「そして、『怖いものなんてないよ』、なんて言っていた男が、『まんじゅうが怖い』、なんて言っちゃうんだからねえ。聞いている客は、『ええっ、まんじゅうなんて怖いの』ってなっちゃうんだなあ。話の筋なんて百も承知なのにだよ。そいつが、師匠の芸が師匠の芸たる由縁なんだろうなあ」
「へえ」
「それでもって、まんじゅう攻めにあった男が、そのまんじゅうをたいらげるところと言ったら、落語を聞いている最中だっていうのに、思わずまんじゅう屋さんに走りたくなっちゃうね。師匠ったらそれはもうおいしそうに食べちゃうんだものなあ。どうだい、師匠、いっそのことまんじゅう屋さんと組んで売り出しちゃったら」
「悪くないねえ」
「それでもって、サゲがまた格別なんだよねえ。『しぶーいお茶が怖い』ってあれがさ。落語を聞きに来る客なんて、『まんじゅう怖い』がどう落ちるかなんてとっくの昔にご存じだっていうのにさ。師匠がやってくれると、みんながみんな、大喜びしちゃううんだものなあ。こいつが素人と玄人の違いっていうやつなんだろうねえ」
「そうですかい」
「いやあ、やっぱり、師匠の『まんじゅう怖い』はいいねえ。はいよ、これ、お代」
「えっ、お代かい。どうしてまた、車屋さん」
「どうしてって、師匠の『まんじゅう怖い』で楽しませてもらったからさ。ほら、受け取っておくれよ」
「いや、あたしの『まんじゅう怖い』と言ったってさ、全部お前さんが話しちまったじゃあないか。サゲまで全部。むしろあたしが払うくらいじゃあねえのかい」
「何を言ってるんだよ、師匠。そりゃあ、しゃべったのはおいらだけどさ、そいつも師匠の『まんじゅう怖い』があってこそじゃあないかい。だから、おいらは、師匠の芸で楽しいひと時を過ごさせてもらったんだよ。なあ、頼むよ、師匠。このお代、受け取っておくれよ。おいらを師匠の芸をただで楽しんじまうような野暮天にしないでおくれよ」
「わかった、わかったから、車屋さん。受け取るよ、受け取ればいいんだろう。はい、確かにちょうだいいたしましたよ」
「そうこなくっちゃあ、師匠。おっと、そうこうしているうちに集会所に到着だよ、降りてくんな、師匠」
「はいはい、車屋さん。で、車代のほうは……」
「そんなものいらねえよ。じゃ、師匠、最高の『まんじゅう怖い』やってくんな。じゃ、おいらはこれで」
「いやはや、何なんだろうねえ」




