第56話 食卓の上の軍事裁判
「この塩の出所はどこか」
カムランの鋭い視線が兵部卿を射抜いた。
「ひっ……!」
兵部卿は怯えたように肩をすくめた。
「答えられないか。ならば私が代わりに教えてやろう」
カムランはゆっくりと立ち上がった。
「大帝国が誇る正規の塩田は東の海岸沿いにあり、そこから採れる塩は雑味の一切ない極上品だ。だが、今皆さまの舌の上にある塩は違う。帝国の最南端、瘴気に満ちた熱帯の泥濘の奥深く――地図には存在しない南方の隠し塩田で採取された、赤い泥の雑味を持った粗悪な塩だ」
広間は水を打ったように静まり返った。使節たちの間に、ざわめきが広がり始める。
「地図に存在しない塩田だと……?」
「馬鹿な。帝国の塩はすべて国の専売であるはず……」
その通りだ、とカムランは通る声で応じた。
「兵部卿。私は貴殿の署名が入った前線の補給調書の写しを入手した。そこには『東州産の極上海塩を金貨十万枚で買い上げ軍に支給した』と記録されている。しかし、実際に兵士たちに配給されているのは、今貴公が口にした南方の泥塩だ。原価は海塩の十分の一にも満たない」
カムランは懐から写し取った調書の束を取り出し、最も中立的で発言力のある特命使節の卓へ運ばせた。
「どうか、ご自身の目で確認していただきたい」
使節は眉をひそめながらも調書を手に取り、そこに記された数字と兵部卿の署名を確認した。
内容もカムランが言った通りだった。
「大宰相閣下。そして近くに侍る追従者ども。貴様らは無許可で南方に隠し塩田を囲い、奴隷を酷使して違法に塩を採取し続けてきた。国庫の金で買い上げた正規の海塩を裏で売り捌き、代わりにこの原価の安い赤い塩を流通させて莫大な差額を着服する。さらに塩田を管理しているのは、大宰相閣下の私兵部隊だ。つまり国庫の血税は兵部省を隠れ蓑にして、大宰相の裏金へと還流している。これは帝国の屋台骨を食い破る大規模な横領だ。違うか?」
具体的な数字、第三者たる使節の確認を経た物証、現物の味という動かぬ論理を突きつけられた兵部卿は、脂汗を流して唇を震わせるばかりだった。一言も反論できない。
その沈黙は、雄弁な自白に他ならない。
「デタラメだ。調書とやらもすべて捏造されたものだ」
大宰相の苦しい声に、カムランは毅然と言い放つ。
「デタラメというならご自分で確認されよ。写しはいくらでもある。しかし、貴殿の派閥の貴族どもの顔色を見れば一目瞭然だ。彼らは貴様に阿り、この赤い塩を密かに売り捌き、私腹を肥やしてきた張本人だからな。私はこの粗悪な塩を突き止め、料理に使わせた。貴様らの胃の腑に、己の罪の味を刻み込むためにな」
カムランとシャハラが仕掛けた痛烈な罠。
シャハラの工夫によって、塩の雑味すらも旨味へ昇華されていたが、その根底にある「赤い泥の風味」だけは残されていた。
「なんとおぞましきことか」
カムランは、使節たちに向かって大仰に両手を広げた。
「各国の代表たる皆さま。今、皆さまが口にされた料理の味付けは、大帝国を内側から蝕む『腐敗と横領の結晶』です。大宰相は圧倒的な武力と財力を誇っているが、その実態は国庫の横領で肥え太る卑劣な賊にすぎない」
決定的な一言に、広間の空気が一変する。
周囲には武装した私兵が立ち並んでおり、恐怖が消えたわけではない。
だが、使節たちの目に宿っていた大宰相への畏怖は消えつつあった。次に浮かんだのは、国庫を貪る卑劣な横領犯に対する軽蔑の念であった。
使節たちは次々と三叉匙を置き、大宰相とその一派に向けて冷ややかな視線を向けた。
「ふざけるな。陛下が臨席する神聖な場で、このような讒言は決して許されぬ。今すぐそいつを叩き出せ」
大宰相が怒りに震えながら吐き捨てる。
将軍ヴァイエルが抜剣し、カムランへ歩み寄ろうとした。
だが、カムランは一歩も退かず、覇者のごとく胸を張った。
「慌てるな、大宰相。晩餐会は始まったばかりだぞ」
カムランの挑戦的な瞳が、大宰相を煽る。
「最初の皿で、貴様らの不正な資金源は暴かれた。さて、次なる皿は一体何が供されるのか」
緊迫する場に風を吹き込むように、二皿目の配膳を知らせる銀の鈴の音が鳴った。
女官たちが、颯爽と皿を運んでくる。
蓋が開け放たれた瞬間、広間の空気がまた変わった。
蜜蝋の匂いに似た濃厚な香りが辺りを包み込む。
現れたのは「南風と蜃気楼」と名付けられた琥珀色の煮込み料理だった。
ほろほろになるまでじっくりと煮込まれた柔らかな鶏肉に、大粒のイチジクと杏が添えられ、香ばしく煎った胡桃と松の実が散らされている。数多の香辛料と果実が絡み合う、南方の熱を帯びた艶やかな一皿である。
各国の使節たちは、先ほどの「赤い塩」の告発に肝を冷やしながらも、目の前に放たれた圧倒的な香りに抗えず、恐る恐る煮込みを口へ運んだ。
奥深い甘みが口いっぱいに広がる。
それは単なる砂糖の甘みではない。果実の酸味とスパイスの刺激を優しく包み込む絹のような口当たり……に思えたのは最初だけだった。
咀嚼するほどに、不自然な水っぽさと雑味のある嫌な甘ったるさが舌にまとわりつく。
大宰相派の貴族たち、特に南部総督ザッハームの顔色は真っ青になった。
額からは止めどなく脂汗が噴き出し、震える手から三叉匙が音を立てて皿に落ちる。
「どうした、南部総督。貴殿も顔色が悪いな」
カムランはザッハームの前まで行くと、その顔を覗き込んだ。
「鶏肉や果実がお気に召さなかったか? 違うな。貴公が怯えているのは、この料理の隠し味に使われている糖蜜の方だ」
ザッハームは悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちそうになった。
「この糖蜜の出所はどこか。答えられないなら、私が教えてしんぜよう。帝国の国庫には、貯蔵された最高級の南国産糖蜜があった。これは帝国の大事な特産品だ。ところが貴様らはそれを横領し、水で薄めてかさ増しした上、さらに色付けのために劣化した砂糖を混ぜ合わせた」
カムランの声が、怒りを帯びて一段と高くなる。視線を大宰相へ移した。
「貴様らは、それを市場に流して差額を掠め取っただけではない。ファルハ特産の幻の蜂蜜を使った『ギュル・ベヤズ』の瓶に詰め替えて売り捌いた」
カムランの告発に、使節たちが一斉にざわめいた。
彼らの中には、大宰相の仲介で偽の「ギュル・ベヤズ」を買った者が何人もいた。
金貨十枚という法外な値段を払って買った薔薇の蜜漬けが、南部の安い糖蜜だったとは聞いていない。
「ファルハを滅ぼし、その特産品を独占したと見せかけて、実際には粗悪な偽物を売りつけて暴利を貪っていた。不当な利益のすべてを、己の懐に収めていたのだ」
広間は急に騒がしくなった。使節の何人かが「詐欺だ」「金を返せ」と叫んだ。
「貴様らは国庫を食い物にする寄生虫だ。この料理の甘みは貴様らが帝国民から、そして多くの人間を騙して奪い取った金満の味だぞ」
カムランの容赦ない糾弾に、使節たちも大きく頷いた。
「貴様、言わせておけば……!」
大宰相が反論しようと口を開きかけたその時、間髪入れず扉が開き、三皿目――主菜の配膳が始まった。
給仕長が合図を送ると、銀の蓋が一斉に開かれた。重厚な湯気が立ちのぼる。
運ばれてきたのは「北風の凱歌」と名付けられた羊の熟成肉のステーキだった。
香草とともにじっくりと火を通された分厚い羊肉の塊が脂の照りを放ち、滋味深い根菜が添えられている。とろみのある麦のソースがたっぷりとかかっていた。
炙りニンニクと野草の香りは食欲を刺激し、シャハラとファヒームの卓越した技術によって、見た目は豪華な宮廷料理そのものである。
カムランは自らの懐からさらに一枚の書類を取り出すと、叩きつけるように投げ出した。
「三皿目は一見すると見事な料理だ。だが、この皿こそが大宰相の国家反逆罪を決定づける最たる証拠だ」
カムランは大宰相を射るように睨んだ。
「その肉の質を見ていただきたい。熟成肉といえば聞こえはいいが、それは大宰相が横領し軍へ送るはずの正規品とすり替えた劣悪な保存肉だ。筋張って硬く、噛み切ることすら難しい。そしてソースのベースとなっている小麦。これも精鋭兵団へ送られる精製粉ではなく、等級を落とされた末端の粗悪な粉だ。ろくに乾燥もさせなかったクズ麦だ」
使節たちが目を凝らすと、確かにソースにはボソボソとした粗い麦の粒子が残り、肉はナイフを弾くほど筋張って硬かった。
シャハラがどれほど香辛料を擦りこみ、絶妙な火加減で焼こうとも、素材そのものの劣悪さは隠しきれない。
使節の何人かが肉を口に入れたが、すぐに渋面になった。
噛めば噛むほど滲み出る獣臭と、先ほどの泥混じりの塩の雑味が喉を通ることを拒絶する。
料理人の卓越した技と食材の粗悪さ。残酷な落差が、大宰相の罪深さを物語っていた。
「大宰相メリク。貴様は軍用の兵糧すら横領し、第一皇子アルマンを失脚させるべく、わざと粗悪な糧食を送りつけた。正規軍を飢えさせ、なおかつ毒を送りつけるとは、これはまごうかたなき国家反逆罪だ。アルマンは謀反を起こしたわけではない。貴様の裏切りに気づき、断罪するために上洛を決意したのだ」
続けてカムランは言い放った。
「国のために血を流す兵士たちに腐肉と泥の塩、飼料にもならないクズ麦を食わせ、己は宮殿で美酒に酔う。これが皇帝の威光をかさに着て、帝国を乗っ取らんとする者の正体だ」
「黙れ!」
ついに大宰相が怒鳴った。
紫絹の法衣を振り乱し、顔を青黒く染めて立ち上がる。
「証拠ならみなの舌の上にある」
カムランは一歩も引かず、王者の気迫で怒鳴り返した。
「貴様の罪が全部貴様に返ってきた。これは貴様が為したことだ!」




