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シャハラと兵站皇子の盤上百味録  作者: kiyoaki
第四章 三すくみの盤上決戦

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第54話 策謀とシャハラの潜入

 大宰相が発表した「万国大晩餐会」。

 表向きは重臣や有力貴族、帝国の属国たる周辺諸国の使節、および帝都に駐在する各国の王族たちを皇宮の「太陽の間」へ招き、帝国の威信と揺るぎない結束を示す華麗なる宴である。

 だが、宮廷の裏側を知る者たちにとって、それがどのような意味を持つかは火を見るよりも明らかだった。

 晩餐会の主賓席には、病に冒され、阿片の煙で自我を奪われた皇帝が「生ける屍」として座らされる。

 その横には傀儡に選ばれた何の力もない幼子が配置される。彼らを補佐する名目で、大宰相が皇帝の代行者として賓客を見下ろし、忠誠を誓う杯を強要する。

 杯を受ける者は、大宰相を「次なる帝国の支配者」として承認したと見なされる。逆に少しでも不満の意を示したり、大宰相の専横を非難したりすれば、待っているのは罷免か粛清。

 これは、宴という名の皮を被った「公開審問」であり、大宰相への忠誠を試される場に他ならない。

 カムランの手には今、影がもたらした万国大晩餐会の詳細な名簿と席次表が握られていた。

 彼は尋ねた。

「兄はどの辺りまで来ている」

「囮を残し、例の裏道に間もなく入られるかと。早ければ明後日あたりには先触れが出てくるでしょう」

「そうか。大晩餐会にギリギリ間に合いそうだな」

 カムランは、蝋燭の火に照らされた名簿を見つめながら冷笑を浮かべた。

「老いた皇帝に幼い傀儡、邪魔な長兄は排除。従わない廷臣は血祭りに上げる宴か。己の優位を確信しているがゆえだろうが……」

 まだこれからだ、とカムランは自身に言い聞かせる。

 影が去ると、今度は覆面をしたビジャンがやってきた。

「殿下。バルト将軍の一隊が動き始めました。気取られないよう夜陰に紛れて少数で抜け出しています」

「わかった」

「殿下はどうされるおつもりですか」

「このまま手をこまねいているつもりはない。晩餐会を内から引っ掻き回す」

「それは……危険なのでは?」

 ビジャンは動揺したのか声が上擦った。

 なんといってもカムランはまとまった兵を持っていない。数十人の護衛程度ではあっという間に叩き潰される。

「案ずるな。丸腰で挑むような真似はしない。もし諸国や廷臣が事実上の皇帝として大宰相を認めてしまえば、首尾よくいったところで我々は反逆者として処理されてしまう。大宰相は諸国の支持を盾にして、ますます強固な独裁体制を築き上げるだろう。……つまり」

 カムランの瞳に鋭い光が宿った。

「晩餐会こそが、大宰相の恐るべき大罪――正規軍への裏切り、国庫の横領、私兵を養うための備蓄基地の存在を暴き出す最初で最後の好機だ」

 大宰相の私兵を武力で打ち破るだけでは不完全だ。

 野望を打ち砕くためには、彼がこれまで築き上げた「大義名分」と「正当性」を粉砕しなければならない。

 問題は「いかにして告発するか」だった。

 カムランは、自ら書き写した皇宮の警備の配置図を指差した。

「太陽の間の入り口には、隻眼の将軍率いる精鋭部隊が立つ。少しでも不審な動きを見せた者は叩き出されるだろう。私が広間へ乗り込み、大宰相の罪を叫んだとしても、使節たちの耳に届く前に『錯乱した皇子の戯言』として処断されてしまうだろうが……」

 カムランはしばらく思案し、それから顔を上げた。

「やはり厨房から攻めるか」

 言葉は、剣によって断ち切ることができる。

 証拠の書状は、火にくべれば灰になってしまう。

 だが、舌に刻み込まれた「味」と感覚を揺さぶる「香り」、目の前に差し出される「事実としての料理」はどうだろうか。

 皇宮の門は兵士によって封鎖できても、大晩餐会の酒食を用意する主厨房への食材の運搬と、下働きの出入りを止めることは不可能だ。

 数百人分の料理を一度に供するには、外からの助っ人や臨時雇いの人間が大勢入り乱れる。

 大宰相も、皿の上に「告発」が乗せられて運ばれてくるとは思わないだろう。だからこそ意表をつくことができる。

 加えて、有力な情報もあった。

 外廷の主厨房に、内廷の大料理長ファヒームが駆り出されたという。

 大晩餐会で出す料理について、カムランは一つの決断を下した。

 自室にシャハラを呼ぶと、早々に切り出した。

「頼みがある」

「どんなこと?」

 シャハラは真剣な顔でカムランを見つめた。

「お前に大宰相を追い詰める皿を作って欲しい。宴を彩るためではなく、大宰相の罪を白日の下にさらけ出すための仕掛けだ。料理人の流儀に反するものになるだろうが……」

 カムランの声には、シャハラの料理を告発の道具にしてしまうことへのかすかな痛みが混じっていた。

 対してシャハラは、ゆるゆると首を振った。

「構わない。私の料理が現状を打破する力になるのなら、好きに使って」

「いいのか?」

「うん」

 シャハラは迷いなく頷いた。

 カムランはシャハラに、主厨房で働く下女の格好をさせた。シャハラは髪をまとめて結い上げ、ヴェールを被って顔を隠した。

 ビジャンの手引きで地下水路に潜ると、裏門から運び込まれる大量の食材を積んだ荷車に紛れ込む。麻袋の陰に隠れ、厳重な警備の目をすり抜けて主厨房に入った。


 主厨房は、凄まじい熱気と掛け声が飛び交う戦場と化していた。

 数日後に迫った晩餐会に向けた仕込みに追われている。

 各国の使節を含め数百人の賓客をもてなすという重圧が、厨房全体と料理人の胃の腑をぎりぎりと締めつけている。

 厨房の天井や壁のあちこちに、生々しい黒焦げの跡が残っていた。

 先日のミフラーン軍来襲の際、主厨房から火が出て、逃げ遅れたり煙に巻かれたりして料理人が何人も死んだ。

 今は逃亡した外廷の大料理長に代わり、ファヒームが臨時で指揮を執っている。

 シャハラは、慌ただしく立ち回るファヒームに気がつくと、まっすぐ彼の元へ行った。

「大料理長」

 小さな声で呼ぶと、彼はシャハラに気づき目を見開いた。

 慌てて辺りを見回し、シャハラを誰もいない食材庫の奥に連れていった。

 改めてシャハラを前にすると、ファヒームは感極まったように声を震わせた。

 顔は憔悴し、深い皺と疲労が刻まれている。

「アニサ王女! ああ、よかった。ご無事だったのですね」

「はい、なんとか」

「先日は砂宮までミフラーン兵に襲撃され、あなたさまは賊軍に略奪されてしまったと聞きました。ファルハ滅亡に続いて、つくづくご不運な方と噂になっています」

 それなら、自分を略奪した賊はカムランということになるのだろうか。シャハラはおかしかったが、気を引き締めて真面目な顔をした。

「私は大丈夫。殿下の元に匿われています。大宰相に見つかるとまずいので、噂の通りにしておいてください」

「もちろんですとも。後宮を出ることができて本当にようございました」

「後宮は……今どんな様子ですか」

 シャハラが顔を近づけて尋ねると、ファヒームは力なく首を振った。

「まるですべての火が消えたようです。皇妃さま方も大宰相の監視下に置かれ、事実上の軟禁状態にあります」

「白蓮の宮も?」

「はい。どなたも宮からは一歩も出られません。常に兵士がうろついていて締め付けも厳しく……。こう言ってはなんですが、第三皇妃が脱出したのは正しい選択でした」

 さらにファヒームは、自分の身に降りかかった災難を悲痛な面持ちで語った。

 突然外廷に連れてこられ、寄せ集めの素人ばかりで晩餐会を回さねばならないという。

「弟子たちとは引き離されました。手足を奪っておきながら、数百人分の料理を作れとはあんまりです。料理人をなんだと思っているのか……」

 しきりに嘆くファヒームに、シャハラはカムランから授かった「計」を打ち明けた。

 大宰相の横領や裏切りを、賓客の目と舌に焼き付けるための料理を供すること。そして、その機に乗じてカムランが断罪する作戦である。

「大料理長、どうか私に協力してくれませんか。大宰相の目を欺き、この料理を主賓席へ送り届けるためには、現場を仕切るあなたの力が必要です」

 それは、もし発覚すればファヒームの首も飛ぶ反逆の誘いだった。大宰相が行ってきた苛烈な粛清は、宮中の誰もが知るところである。

 ファヒームは、前掛けを握りしめる手を震わせた。

「……わかっています。このままでは埒があかないことは」

 ファヒームの目にも鋭い光が宿る。

「ダーリシュ師は帝国を追われ、逃げて逃げてファルハまで逃げた果てに殺された。どれほど無念だったことでしょう。帝国随一の百味師の仇が取れるなら、喜んで力を貸しましょう」

「ありがとうございます。助かります」

 シャハラはファヒームの手を握った。

 ダーリシュの孫弟子と最後の直弟子、二人の料理人の意志が固く結びついた瞬間だった。

 ファヒームが声を潜める。

「皇帝陛下もなんとかお救いできればいいのですが。陛下が正気に戻れば、大宰相の専横をお許しにならないはず……」

「それについては、私に考えがあります」

 シャハラはファヒームの耳に何ごとか囁いた。


 その日のうちに、シャハラは助っ人として宴のために組まれた「特別調理区画」に配置された。

 大宰相の息のかかった監視兵たちが厨房の出入り口で目を光らせているが、猛烈な熱気と煙が立ち込める奥には入ってこなかった。

「さあ、始めましょう」

 ファヒームの掛け声と共に、シャハラは形見の包丁を取り出す。

 ファヒームもまた長年の相棒である分厚い鉄鍋を火にかけた。燃え盛る赤々とした炎が、二人の顔を照らし出す。あとはひたすら食材に向き合うだけだった。

 互いの包丁がまな板を叩く小気味よい音、鍋を力強く振るうリズム、香辛料の芳醇な香りが二人を包む。

 シャハラが食材に手を加え、ファヒームが宮廷料理の体裁にするべく緻密な仕込みを進めていく。

 二人は流れるような動きで、決戦の一皿を作っていった。

 決行の日は三日後。晩餐会へ向けた準備は、着々と進んでいった。




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