第52話 砂漠の宝石・透かし彫りのマハシーと母の思い出<上>
狂乱と血に塗れた夜から、数日の時が流れた。
帝都は、表面上は平穏を取り戻しつつあった。
ミフラーン軍はパルヴァネを連れて西方に逃げ、領地に籠もっている。次の皇帝が立ち、体制が整うまで彼らが動くことはないと思われた。
大宰相は暗殺劇を巧妙にすり替え、第二皇子ザイードの謀反を未然に防いだ功労者として、自らを英雄の座に押し上げた。宮城は新たに入城してきた大宰相の軍によって管理され、華やかな喧騒は恐怖と沈黙に塗り替えられてしまった。
ビジャンたちは、しばらく白蓮の宮に身を隠していたが、隙を突いて外廷に出てきた。彼らはアニサ王女のドレスや宝石が詰まった荷物を、密かにシャハラの元へ届けてくれた。
しかし、大宰相も安穏とはしていられない。
第一皇子アルマンの率いる地方軍が帝都を目指して進軍している。
真正面から戦っては分が悪いため、帝都へ通じる三つの関所のうちの第一の関門「黄鉄門関」でアルマン軍を足止めさせていた。
守備兵は頑なに門を開かず、アルマン軍と小競り合いを繰り返している。黄鉄門関を突破されても、第二、第三の関門がある。
時間稼ぎの間に大宰相が企てるのは「新たなる傀儡の擁立」であった。
傀儡は幼ければ幼いほどいい。
目をつけたのは、第八皇妃マリハが産んだ第二十三皇子のヤーヤ。わずか三歳の幼子である。
もっとも力を持っていた第二皇子が、屋敷の人間ごと惨殺されたのだ。大宰相の手に落ちて生かされる保証はどこにもない。マリハは必死に抵抗したが、兵士たちは泣き叫ぶ母親の腕からヤーヤを奪い取った。ヤーヤは外廷に連れていかれ、大宰相の監視下に置かれた。
数日後に大宰相は、大規模な「宮廷晩餐会」を催す。
そこに病身の皇帝とヤーヤを引きずり出し、居並ぶ廷臣の前でヤーヤの立太子と譲位を宣言する手はずとなっていた。
ヤーヤを皇太子に据えれば、帝都へ軍を進めるアルマンは正当な皇位継承者を脅かす「逆賊」へ転落する。
また新皇帝の命令とあらば、バルト率いる帝都防衛大隊も都に戻ってくるだろう。大貴族を味方につけ、彼らの軍を動員すればアルマンに対抗できるという腹づもりだった。
何より皇帝と第一皇妃ラミア、ヌルル皇女は宮城にいるため、いざという時は彼らを人質にできる。アルマンが両親と娘を見捨てるのかどうかも見ものであった。
「……大宰相め。どこまでも狡猾な」
カムランは、居室に引き籠もったまま悔しそうに呟いた。今では、外廷内を歩き回ることも難しくなっている。
出られることは出られるが、常に尾行されている気配がするし、監視の目も厳しくなっている。放った間者は王宮の地下水路を通って報告に来るが、大抵は深夜だった。
どうにも暇を持て余したカムランは、隣の控えの間を覗き込んだ。
開け放たれた窓の下に火鉢が置かれ、その前にシャハラがうずくまっている。彼女はカムランの部屋に匿われ、外に出られずにいる。
かまどがないため料理はできない……はずだったが、シャハラは暖を取るための火鉢の炭火を利用して食事を作ろうとしていた。
低い平台には、主厨房から密かに運ばせた食材やスパイスの袋が所狭しと並べられている。
「何を作っているんだ」
カムランがなんとはなしに尋ねると、シャハラは振り返った。
「マハシー。野菜が貰えたから」
「マハシー?」
「砂漠の宝石」
彼女が作ろうとしているのは、砂漠の宝石と称される宮廷料理「野菜の肉詰め」だった。
シャハラの手には、形見の包丁が握られている。調理器具はこれしか持ち出せなかった。
丸々としたナスや、緑色や黄色のズッキーニのヘタを手早く切り落とす。
「ファルハでは定番の料理で、宴のたびに作った。強火が出せないなら、煮込み料理を作ればいいと思って」
「こちらでは見ないな」
「なら北の方の料理なのね」
シャハラの手は、楽器を奏でるかのように軽やかかつ正確に動いた。
包丁の刃先や角を使って、てきぱきと野菜の中身をくり抜いていく。これはただのくり抜きではない。彼女は野菜の表面に「透かし彫り」を施していった。
「ただ煮るだけじゃ、味が染みるまで時間がかかるから」
説明しながら、シャハラは包丁の刃先を器用に操る。
刃を滑らせるたび、ナスの深い紫やズッキーニの鮮やかな緑の表面に、夜空に瞬く星々を模した多角形や花、流麗な唐草模様が次々と浮かび上がっていく。
数ミリ間隔で入れられた切れ込みは、熱の通り道を広げる。この細工により、強火が出せない火鉢でもスープが野菜の内側まで浸透し、かつ加熱による皮の破れを防ぐことができる。野菜の器は煮崩れることなく、レースを纏ったかのように優雅な姿を保つ。
そして、シャハラの創意工夫は、詰め物にも生きていた。
「お肉に少しだけ刺激と精のつくものを。木の実の香ばしさと果実の甘酸っぱさを加える」
シャハラはスパイスの袋を取り出し、深皿に入った豚のひき肉と混ぜた。
カルダモンにコリアンダー、肉の旨味を底上げするナツメグとクローブ。さらに粗挽きの黒胡椒と微量の赤唐辛子、細かく刻んだニンニクを加え、肉に粘り気が出るまでしっかりと練り込んだ。
スパイスが豚肉と馴染んだところで、生米を投入する。
さらに粗く砕いたピスタチオと、細かく刻んだ干し杏を加え、今度は米粒や果肉を潰さないよう指先でさっくりと混ぜ合わせた。
淡白で上品な味付けのマハシーの常識を覆し、野性味あふれる力強い詰め物に昇華させた。
豚肉の濃厚な旨味に、ピスタチオのカリリとした食感を加え、干し杏の凝縮された甘酸っぱさがスパイスの刺激を中和する。単調になりがちな肉料理に、鮮やかな変化をもたらす魔法の隠し味である。
シャハラはくり抜いた野菜に具を詰めると、鍋に隙間なく並べた。
くり抜いた野菜の中身も無駄にしない。
細かく刻んで少量のオリーブオイルで炒め、潰したトマトの果汁、レモン汁と共に鍋に入れた。
ちろちろとした炭火が、鍋底を優しく撫でる。部屋にコトコトと穏やかな沸騰音が響き始めた。じわじわと芯まで届く弱火だからこそ、中の米がスープを吸い込んでふっくらと輝く。
頃合いをみて蓋を開けると、マハシーはきれいに煮上がっていた。火鉢しかない環境とは思えないほど、立派な主菜が完成した。
シャハラの料理を食べるのは幾日ぶりだろうか。
期待と興奮で、カムランの腹がぐううと鳴る。彼はハッとし、気恥ずかしそうに腹を押さえた。
「さあ、できた」
シャハラが鼻歌交じりにマハシーを盛りつける。
やがて、カムランの部屋に色鮮やかな食卓が整えられた。
深紅のトマトソースを纏い、透かし彫りの細工が施されたマハシーは、いちょう切りのレモンが散らされ、皿の上で本物の宝石のように輝いている。
彫り込まれた模様の隙間からは、肉汁と香辛料を吸って飴色に染まった米粒が覗き、燭台の光を浴びて艶やかに瞬いている。深い紫、鮮やかな緑、黄色といった野菜の美しい彩りは、食べるのが惜しいほどだった。
主菜の他にも、香草と色鮮やかな柘榴の実を散らしたサラダ、主厨房から持ってきた薄焼きのパン、バターや蜂蜜、山羊の乳から作られた熟成チーズがたっぷりと添えられている。
カムランが早速、ナスのマハシーにナイフを入れる。
しなやかな野菜の皮が抵抗なく裂け、中から肉汁を吸った熱々の詰め物があふれ出した。




