第39話 第二皇子の鷹狩りと天空のスムマーン・ファルシー<一>
夏の名残を惜しむような乾いた風が、初秋の澄んだ気配を連れて平原を吹き抜けていく。
帝都郊外の広大な狩猟地。
地平の彼方まで続く荒野と、峻険な山々を背景に、色鮮やかな吹き流しが幾流もはためいていた。
これは大規模な狩りが行われている印で、近隣住民は吹き流しが出ている間は決して近づかない。
宮廷の伝統的な狩猟は鷹を使って行われる。
帝国において、鷹狩りは単なる遊興ではない。鷹は天空を統べる猛禽類の王であり、地上においても王権の象徴である。鷹狩りは、主催者の威信がかかった軍事訓練に他ならなかった。
招かれた皇子は、おのおのの護衛や私兵を引き連れて参戦する。角笛が吹き鳴らされると一斉に狩りが始まる。
各陣営の騎馬隊が四方に展開していく様は壮観だった。一日かけて獲物の大きさや数を競い、順位を決める。
狩りにはカムランも参加していた。
主催者である第二皇子ザイードに招待されたからである。
これまでザイードとは宮中行事で顔を合わせ、儀礼的な挨拶をする以外に交流はなかった。
なぜ今、自分を招待するのか。もしや白蓮の宮での武官抹殺に気づかれたのだろうか。第二皇子の意図がわからず、彼は誘いを受けるか悩んだ。鷹狩りにかこつけた罠の可能性もあった。
といっても、断るのも難しかった。
宮廷という魔窟において、正当な理由のない辞退はそれだけで敵対行為とみなされることがある。立場の弱い皇子は尚更で、メンツを潰したと言い掛かりをつけられることもある。もし何らかの誤解を生んでいるのなら、自ら出向いて解くほかない。カムランは熟考した上で、あえて不穏な招待に応じることにした。
馬上のカムランがまとうのは、豪奢な狩猟服であった。
ラピスラズリを溶かしたような深い瑠璃色のシルクには金糸で疾走する獅子が刺繍され、乗馬のために膝丈で断たれた裾が翻るたび、裏地に張られた極上更紗の文様がきらめく。腰をきつく締め上げる金作りの腰帯には、愛用の短剣が差され、冷たい光を放っている。
そして、彼の左肩から腕を覆う黒革の肩当ての上には、雌の鷹パルヴィーンが傲然と羽を休めていた。
彼女の羽毛は鈍い鉄色に輝き、鋼のように湾曲した嘴は幾多の獲物の骨を砕いてきた凄みが宿っている。金色の眼は常に周囲を警戒し、カムランの佇まいに猛々しい気品を添えていた。
皇子は必ず相棒の鷹を持っているが、パルヴィーンは元々アルマンの鷹であり、カムランが幼い時分に譲り受けたものだった。
アルマンは気性の荒いパルヴィーンに少しずつカムランの匂いを覚え込ませ、徐々に慣れさせて、ついに弟のものにしたのだった。
鷹は長命であり、飼育されるものは人間と同じくらい長く生きる。パルヴィーンはカムランよりも三歳年上で、長年連れ添った姉さん女房のような風格を漂わせていた。
伝書鷹でもあり、定期的に都とアルマンがいる北辺を往復している。
カムランのすぐ斜め後ろには、鷹匠のビジャンと張り詰めた面持ちの護衛たちがぴたりと従っていた。
ビジャンは、低く抑えた声でカムランの背中に語りかけた。
「殿下、お気をつけください。ここは見晴らしが良いように見えて起伏が激しい。どこから流れ矢や暗器が飛んでくるかわかりません。特に第二皇子の配下がこちらの動きを窺っております」
カムランは前を向いたまま皮肉っぽく笑った。
「地上の毒蛇にも気をつけないとな。どこに牙が潜んでいるかわからん」
カムランの視線の先、高台の天幕の前には豪華な一団が陣取っていた。
帝国の黒い軍旗とミフラーン家の真紅の旗が交互に並べられ、風にはためいている。
騎士たちに囲まれた中心にいるのが、白馬に跨った第二皇子ザイードである。カムランはなんでもない顔をしつつも、高台から睥睨する兄の視線を意識せざるをえなかった。
「殿下、前方に獲物の影。大ぶりのウズラかと」
ビジャンの指摘に、カムランは右腕を水平に突き出した。
「行け、パルヴィーン。お前の力を見せつけてやれ」
囁きとともにカムランは腕を振り上げた。
次の瞬間、パルヴィーンは天空に躍り出た。
重力を嘲笑うかのような雄大な飛翔。彼女が翼を広げて大気を打つたび、風圧が地上の草を揺らす。その姿は空に吸い込まれ、あっという間に米粒ほどの大きさとなった。
だが、鷹の眼は地上を疾走する獲物の動きを捉えていた。
茂みから飛び出した大きなウズラが必死に駆けていく。パルヴィーンの影が天空で反転した。一気に降下する。翼を折りたたみ、弾丸と化したパルヴィーンは、風切り音を響かせながら一直線に落下した。それは神が放った黒い雷撃のようだった。目で追うのが困難なほど速い。
ウズラが逃れようとした瞬間、パルヴィーンの爪が閃いた。鈍い衝撃音が響く。彼女の強靭な爪が、ウズラの背骨を一撃で粉砕した。
鮮血と羽毛が舞い散り、彼女は仕留めた獲物をしっかりと掴んだまま、優雅な弧を描いてカムランの元へ舞い戻ってきた。カムランの腕の中にぼとりと獲物を落とす。
「次! ウサギだ」
ビジャンの声に、パルヴィーンが呼応した。
枯れ草の間を駆け抜ける野ウサギの姿が見えた。パルヴィーンはカムランの腕に止まる間もなく、再び空へ身を翻す。
今度は低空を滑空した。音を立てない暗殺者のごとき飛翔で、地面の起伏を巧みに利用し、野ウサギの死角から一気に肉薄する。
野ウサギが気づいたときには、頭上から巨大な影が覆いかぶさっていた。逃れるすべなどあろうはずもない。パルヴィーンの容赦ない一撃が、野ウサギの首をへし折った。
周囲からどよめきと歓声が起きた。
この日、連続で獲物を仕留めたのはパルヴィーンが初めてだった。
「よくやった」
カムランは戻って来たパルヴィーンを褒め、細く切った生肉を与えた。
パルヴィーンはカムランの肩の上で肉をついばみ、どうだとばかりに誇らしげに鳴いた。
「見事なものだね。胸のすくような活躍だ」
周囲の喧騒を割るようにして、甘く優しい声が響いた。
絹のようになめらかで、耳の奥をくすぐる心地よい音色だった。
いつの間にか馬を寄せてきたのはザイードだった。
彼は周囲のむくつけき男たちとは対極の、女性と見紛うばかりの柔和な顔立ちをしている。
第三皇妃パルヴァネと同じ赤茶色の髪は陽光を受けて黄金色に透け、整えられた眉の下に切れ長の艶やかな瞳が光っている。口元には、穏やかな微笑を浮かべていた。
高台から、カムランの狩りの様子を見ていたらしい。
カムランは第二皇子の眩しさに、思わず目を眇めた。
ザイードがまとう狩猟服は純白だった。
白銀のビロードには、真珠と銀糸で蔓草の文様が縫い込まれ、肩口には白貂の毛皮があしらわれている。帯に差した短剣の柄には、雪の結晶のようなダイヤモンドが散りばめられていた。
白革で覆われた彼の左肩には、主と同じく真っ白な雌鷹がとまっていた。純白の羽毛に、ルビーのような赤い双眸。
野生の荒々しさを失ったその姿は、生き物というよりは氷を彫り出して作られた精巧な美術品のようだった。
「お前の鷹は当代随一の勇猛さだ。うちの子はパルヴィーンに恐れをなして飛ぶことすらできなかったよ」
「恐れ入ります。鷹匠が優秀なのです」
カムランが謙遜すると、ザイードはいざなうように馬の手綱を操った。
「ここは猟犬や鷹匠たちが騒がしくて落ち着かない。少し離れるとしよう。カムラン、お前に話があるのだよ。ついておいで」




