第27話 宴の暗闘、朝焼けを映すバミヤと完熟トマトの清澄ショルバ<三>
「第十二、皇子。なぜ、貴様のような無能が……」
自らのどす黒い血の海に這いつくばりながら、タリム将軍が怨嗟の声を絞り出した。血の泡が唇から吹きこぼれる。
これまで全く眼中になく、まともに言葉を交わしたことすらなかった脆弱な皇子。冷酷な策士の貌を隠し持っていたとは夢にも思わなかった。
「その無能が、貴様らの謀反を読み解き、先手を打ったのだ」
カムランは倒れ伏した将軍を眺め下ろす。
「ラミア皇妃に危害を加えるは、皇帝陛下に刃を向けるも同然。帝室に反逆してまで、ザイードがばら撒く黄金が欲しいのか」
「小僧が、知ったふうな口を。ザイード殿下が即位されれば、我らは帝国を立て直した忠臣にして英雄よ!」
「簒奪者が英雄だと? 笑わせるな。皇帝を弑して皇位を奪ったところで誰がついてくる」
「ふん、何も知らぬ馬鹿め。陛下はもはや玉座の飾りに過ぎぬ。ただの傀儡よ。宮廷を、帝国を牛耳っているのは大宰相だ。あの男に好きにされるくらいなら、力ある新皇帝を据えた方が、余程――」
そこでタリムは気道に血が入ったのか、激しくむせ込んだ。
大宰相の専横に対する武官たちの憂慮、それがザイードの野心と結びつき、決行に及んだと言いたいようだった。
だが、いくら動機を正義で装おうとも、取った手段は卑劣極まりない。
「憂国を騙るな。貴様らの決起は慢心に満ち、あまりにも拙速だった。宴の場で、相手は女子供と侮ったのが運の尽きだ。第二皇子に伝えておけ。帝国の玉座はスパイスの苦味程度で動かせるほど軽くはない、とな。……いや、貴様はこれから地獄へ行くのだったな」
カムランの声が低まる。タリムを生きて帰すわけにはいかなかった。末端の兵はともかく、頭である彼らはここで確実に潰しておかねばならない。
もし逃げられれば、何倍もの苛烈な報復になって返ってくる。
カムランが合図を送ると、兵がタリム将軍の心臓へ刃を突き立てた。彼は呻きながらゴボリと血を吐き、少しの間痙攣した後、静かになった。
かくして、第二皇子派の軍事的支柱であった五人の将たちは、誰一人として朝の光を見ることなく、物言わぬ肉塊に成り果てた。
生温かい血の臭いの中、カムランは感情を殺した声で兵たちに命じた。
「夜明けまでに処理するぞ。一滴の血すら残すな」
カムランの指示の下、下僕たちが迅速に動き始める。
巨大な麻袋と分厚い敷布が運び込まれ、将軍たちの遺体が次々と押し込められていく。強力な薬液が撒かれ、石の隙間に染み込んだ血までも徹底的に拭き取られる。
彼らがこの地下室に存在し、息絶えたという事実が跡形もなく消し去られていく。
五人の骸は、帝都の地下を走る水路を抜けて外へ運び出され、砂漠の奥深くに埋められる手はずとなっていた。
あとは、ザイードから何を言われようとも「知らぬ存ぜぬ」を貫き通すだけだ。
公式には「五人の将軍は宴の途中で姿を消し、何らかの理由で逃亡した」として処理される。
これで第二皇子は、莫大な資金と兵を持ちながらも、それを統率する将を失った。第一皇妃に対する武力行使の企ては頓挫し、両派閥は再び危うい均衡状態へ引き戻される。
カムランは懐から、液が底に残る小瓶を取り出した。
シャハラが作った特製の黒カルダモンの抽出液だった。
ファヒームが厨房で用意した茶にこの液を入れ、指定通りに五人に出した。第二皇子派の指示に従ったのだから、彼が裏切りを疑われることはないだろう。
深夜を過ぎ、もうすぐ夜が白み始める頃。
白蓮の宮で繰り広げられた暗闘と、血塗られた結末を葬り去ったカムランは、ひんやりとした朝霧を纏いながら、黄昏の砂宮へと続く人気のない回廊を歩いていた。
再び皇子の衣装に着替えた彼の足取りは、一見すると優雅であったが、その内側では張り詰めた神経が悲鳴を上げていた。死の冷気と途方もない疲労感が、重い鉄網のように彼の四肢に絡みついている。
(これが私の初陣か……)
ふと空を見上げたカムランの、血の気のない唇が自嘲めいた弧を描く。
帝室に生まれた皇子の初陣とは、たとえ前線に立とうとも、勝利が約束された陣容で行われる。
金や宝石で飾り立てた白馬に跨り、白銀の鎧を輝かせ、守り役の老将や十重二十重の精鋭たちに守られた安全圏から、翻る錦の旗の下で剣を掲げて兵を鼓舞する。
陽の下で正々堂々と敵を討ち、凱旋の折には民衆から嵐のような歓声を浴びる。それが、アルザ・ヴァーンドの皇子に相応しい門出だった。
……だが、自分にそのような日が訪れることはない。
この勝利も自分の力で勝ち取ったわけではない。
ファヒームの命懸けの密告があり、シャハラの香辛料の知識があったからこそ、最悪の事態を防ぐことができたのだ。
もし彼らの存在がなければ、今頃白蓮の宮はどうなっていたことか。皇妃やヌルルは囚われ、自分は首を刎ねられていたかもしれない。夢見るだけの栄光と、己の無力さがカムランの胸を重く締め付けた。
木の扉を押し開け、見慣れた厨房へ足を踏み入れる。
カムランの目に、暖色の光が飛び込んできた。
かまどに火がついている。
手燭の素朴な光の傍ら、粗末な木の椅子にもたれかかるように一人の少女が座っていた。
シャハラだった。彼女は一睡もせず、宮へ行ったカムランが戻ってくるのを待っていた。
扉が開く音に気づくと、シャハラは弾かれたように立ち上がった。
皇子の衣装を纏い無傷で立つカムランをじっと見つめる。その瞳に安堵が浮かび、華奢な肩から力が抜けた。
「……遅いので心配していた」
シャハラの声は、かすかに震えていた。
無事を喜びつつも、言葉にできぬ恐れが混ざった不器用な響き。
その声を聞いた瞬間、カムランの顔に張りついた冷酷な策士の仮面が剥がれ落ちた。
ただの疲れた青年に戻ったカムランは、扉を閉めると、彼女を安心させるように微笑んでみせた。
「後始末に時間がかかってな」
血生臭い事実を薄皮一枚で隠し、カムランは心からの称賛を込めて続けた。
「お前の作った黒カルダモンの抽出液は、恐ろしいほどよく効いた。あれがなければ、今頃白蓮の宮は血の海に沈んでいただろう」
その言葉でシャハラはすべてを悟った。
カムランは、ザイードが仕掛けたクーデターを防ぎ、勝利を収めたのだと。
「……お腹、空いてる?」
日頃と変わらぬシャハラの問いかけに、カムランは子供のようにこくりと頷いた。
「ああ、腹ペコだ。考えてみれば、昨夜の宴から何一つまともに口にしていない」
「少し待っていて」
シャハラはかまどに近寄り、とろ火にかけていた土鍋の蓋を取った。
たちまち、厨房いっぱいに馥郁たる湯気が立ちのぼる。




