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シャハラと兵站皇子の盤上百味録  作者: kiyoaki
第二章 食卓の暗号と亡国の菓子

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25/31

第25話 宴の暗闘、朝焼けを映すバミヤと完熟トマトの清澄ショルバ<一>

 三日後の夜、白蓮の宮は、この世の贅を尽くした光の海と化していた。

 水を湛えた白大理石の池には、蝋燭が乗った皿が浮かべられて星空のように輝き、水面には細かく砕いた珊瑚の砂が天の川のように散らされている。

 吹き抜ける夜風は、瑞々しく甘い果実と高価な沈香の香りを運んでくる。

 広間の中央では薄絹を纏った踊り子たちが妖艶な舞を披露し、幾重にも重なる弦楽器の調べが客たちの耳を楽しませていた。

 ラミア皇妃が主催する交流会は、帝国の文官や武官、諸外国からの使節が一堂に会する盛大なものだった。

 山海の珍味が銀の器に盛られて運ばれ、葡萄酒の入った酒瓶が瞬く間に空になってゆく。

 華やかな席の一角に、招待されたカムランの姿もあった。

 彼は金糸の刺繍が施された豪奢な宮廷衣装に身を包みながらも、顔は蝋細工のように青白かった。

 宴が始まってしばらくした頃、突如としてカムランは顔をしかめ、痛みに耐えるように腹を抱えてうずくまった。

「うっ……はっ」

 額に玉のような脂汗を滲ませ、小刻みに肩を震わせるその姿は、温室育ちの脆弱な皇子そのものであった。

 彼の不調に対し、周囲からは心配の声よりも失笑と侮蔑の囁きが波のように広がった。

「見ろ、また第十二皇子の持病だ」

「武の誉れ高き帝国に生まれながらなんと無様な……」

「もしや酒の匂いにすら耐えられぬのか。あれは本当に男なのか」

 客たちは極彩色の酒杯を片手にせせら笑った。

 だが、さすがに「皇帝の胤(たね)ではないのでは?」とまでは言わなかった。

 カムランの容姿は、サーマド二世の若かりし頃にそっくりだからである。情けない姿を晒しつつも、彼が皇帝の子であることは確かだった。

 カムランは屈辱に耐えるように顔を伏せ、ひどく恥じ入りながら宮の者たちに告げた。

「腹が痛くてこれ以上は耐えられそうにない。来て早々だが、皇妃さまには失礼するとお伝えしてくれ」

 カムランは弱々しく立ち上がると、数人の護衛に両脇を抱えられ、身体を引きずるようにして宴席を後にした。

 白蓮の宮の正門を出、外廷へ通じる長い回廊をよろよろと進んでいく。わざとゆっくり歩き、自分が帰ってゆくところを多くの者に目撃させる。

 そして後宮の門の近く、月明かりすら届かぬ深い木立の陰に入った瞬間、彼の足取りは急に力強いものになった。

「ここでいい」

 カムランが命じると、護衛たちは彼を囲むようにして立ち止まった。

 茂みの奥から、一人の兵士が音もなく歩み出てきた。背丈から肩幅までカムランとよく似た年恰好の男である。

 カムランは羽織っていた外套と、身分の高さを示す宝飾品を素早く剥ぎ取り男に与えた。兵士はそれらを身に纏うと、俯いて腹痛に苦しむ皇子に化けた。

「声は出さず、このまま私の部屋へ戻れ。朝まで誰も近づけるな。寝所の扉は内側から鍵をかけて窓から抜け出ろ」

 影武者の兵士と護衛たちが去っていくのを見届けると、カムランは兵士が置いていった漆黒の装束に素早く着替えた。頭に黒い布を巻き、口も覆って夜の闇と同化する。

 彼は一度出たはずの白蓮の宮へ密かに戻った。

 今度は正門ではなく、警備の目をかいくぐりながら裏口に回る。蔦の絡まる裏木戸を軽く叩くと、扉が音もなく開いた。中にすべり込むと、するりと柔らかいものが寄って来た。

「叔父上」

 息を押し殺すような声はヌルルだった。

 彼女は胸に小さな手燭をかかえていたが、やはりカムランと同じく黒っぽいドレスに身を包み、明るい髪をヴェールで隠している。

 可憐な顔には平時のあどけなさはなく、死線をくぐる者の決意が宿っていた。

 ヌルルは宮殿の構造と使用人の動線を知り尽くしており、カムランは彼女の案内で宮の裏手を中腰で駆け抜けた。

 幾つもの角を抜け、喧騒の裏側にある細い通路を通り、宴席の背後に垂れ下がる厚手の絹の帳の中へ忍び込んだ。

 そこは、宴の熱気と光が遮られた薄暗い闇だった。

 カムランは息を潜め、帳のわずかな裂け目から、きらびやかな宴の様子を眺めた。

「殿下」

 今度は男の低い声がした。カムランが視線だけを向けると、壮年の男が傍にすり寄って来た。

 鷹匠のビジャンだった。元々アルマンの屋敷にいた使用人で、カムランも幼い頃から見知っている忠臣だ。

 普段は外廷にいて鷹を飼育しつつ、外部との連絡係を果たしているが、今夜は第一皇子の目と耳としてこの場に潜伏していた。

「外はどうだ」

 カムランの問いに、ビジャンは重々しく答えた。

「庭園の暗がりや厩舎に分散しておりますが、ざっと三十ほど」

 五人の武官が宮の外に潜ませているらしき兵の数である。納入業者や馬車の御者を装い、あるいは荷台の荷物に隠れて後宮に入ってきたようだった。

「三十か。多いな」

 カムランはマスクの下で苦い顔をした。宮の中にいる護衛と去勢兵をかき集めても二十人にも満たない。

 女たちが暮らす後宮に、まとまった兵を置いておくことはできない。相手は将軍配下の選び抜かれた精鋭だろう。正面から打ち合えば、こちらが押し負ける。

「今のうちに外の連中を消しますか。あるいは外廷の兵を呼んで摘発させる手もございますが」

「いや、騒ぎになれば宴席の五人に察知され、逃げられる。最悪の場合、客を巻き込んだ乱戦になる。一網打尽にしたいところだが……手足は放っておけ。頭を潰す方が先だ」

 ビジャンは無言で頷き、再び影の中へ身を沈めた。

 宴は夜更けとともに、さらに狂熱を増していった。

 酔った客たちの笑い声が響き渡る。

 やがて、上席に君臨し挨拶を受けていたラミア皇妃が優雅に扇を揺らした。彼女は傍らに控える侍女に手を貸され、ゆっくりと立ち上がった。

「昔は陛下と共に夜通し遊んだものだけど……歳には勝てないわね。わたくしはもう休みます。皆さまはどうかごゆるりと」

 皇妃の言葉に、客たちは一斉に頭を垂れた。皇妃が奥へ退室していく。皇妃は寝所に入る振りをして、ヌルルと共に分厚い石壁に守られた隠し部屋に籠もる手はずになっていた。カムランは自分が迎えに行くまで、決してそこを出ないよう厳命している。

 主催者が去ったことで、宴席は一気に無礼講の空気に傾いた。給仕たちが手際よく動き回り、卓の上には色鮮やかな菓子や蜜漬けの果物が並べられる。

 大きな銀の湯沸かしから注がれたばかりの、湯気を立てる茶が運ばれてきた。この茶は高級食材である茶葉(緑茶)を煎じたものであり、給仕が客の要望に従って塩や砂糖、温めた乳などを入れて回る。

 カムランの視線は、特定の五人に釘付けになった。

 席はそれぞれ離れているが、東門守備隊長バドル、そして帝都防衛軍の重鎮たるタリム将軍ら第二皇子派の武官たちである。彼らの目は酒の酔いとは異なる、野に放たれた獣のようなぎらついた光を放っていた。

 彼らは第二皇子ザイードが仕掛けた恐るべき密命を帯びていた。

 無礼講となり、宴の警備が緩むこの時間帯に運ばれてくる「黒カルダモンの抽出液入りの茶」を飲み干す。

 これが襲撃開始の合図だった。茶の強力な作用によって一気に意識を覚醒させ、外に潜ませた精鋭たちを宮内へ引き入れる。白蓮の宮を制圧して、ラミア皇妃を人質として確保する。これはアルマン対策で、皇妃以外の者の生死は問われない。

 そのまま外廷に乗り込み、多数の配下と合流し、今度は皇帝の身柄を押さえる。皇帝さえ押さえてしまえば、こちらのものだ。帝国の心臓部を乗っ取るクーデターのシナリオが、今まさに始まらんとしていた。

 ファヒームが用意した茶が運ばれてくる。タリム将軍は茶杯を手に取り、他の四人と目線を交わした。

 不敵な笑みは、勝利を確信した者のそれであった。

 五人は同時に杯を掲げ、黒カルダモンの抽出液が入った茶を一気に飲み干した。

 ゴクリと喉が鳴る。飲んだ瞬間、五人の全身を突き抜けたのは、事前に知らされていた通り、炭のように燻る香りと脳髄を震わせるほどの強烈な苦味だった。

「くうっ、これは効くな」

 バドルが低く呻いた。

 強烈な刺激によって、それまで思考を霞ませていた酒の膜が一気に吹き飛んだ。五体の隅々にまで気力が満ちていく感覚があった。

 ザイード殿下が用意させた気付け薬は本物だ。

 五人は、決起の時が来たことを悟った。

 バドルが、外に待機している配下の兵たちを呼ぶべくどっしりとした身体を起こした。

 彼は他の客たちに怪しまれぬよう外に涼みに行くふりをして、千鳥足で薄暗い庭園に足を踏み出した。


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