第24話 市場の異変と黒カルダモンの苦い罠<下>
「第二皇子派は、秘密の軍事路を用いて物資を密輸し、商会を裏から操ってサフランを転売している。脱税と転売で築いた裏金で軍閥や武官を買収し、軍事力を増強しているとみた。兄のアルマンは辺境にいる。もし中央で反乱が起きてもすぐに駆け付けるのは難しい」
「もし一番上のお兄さんが来て戦いが始まれば、帝国は内乱に突入する?」
シャハラが不穏な想像を口にすると、カムランは深く頷いた。
「だろうな。そうでなくても、武力と財力を誇る両派閥が激突すればただではすまない。宮廷も荒れるはずだ。大宰相やお前の仇であるヴァイエルも、表に引きずり出されるかもしれんが……犠牲者の数も爆発的に増えるに違いない」
「殿下。私たちはこの巨大な炎に油を注ぐの?」
シャハラの静かな問いに、カムランは酷薄な笑みを浮かべた。
「無論だ。派閥の間を泳ぎ回って美味い汁を吸う。私が上に行くためにはそうするほかない」
カムランはシャハラが作った胡桃油の小瓶を持ち、香りを嗅いだ。野草が入ったためか、悪くないものになっている。気を落ち着かせるように深呼吸をした。
「だが、その前に」
カムランは小瓶を置き、顔つきを夜叉のように険しくした。懐から革の袋を取り出してシャハラに見せた。
「片付けなくてはならないことがある。火種と言った方がいいかもしれない。今しがたファヒームから聞いたのだが、白蓮の宮で不審な動きがある」
カムランはことの次第を簡潔に語った。
第二皇子派の者がファヒームを脅し、宴の終わりに出す茶に特殊な液を混入しろと命じたこと、そしてその相手が指定された五人であることを。
「抽出液入りの茶を飲む五人は、東門守備隊長バドル、帝都防衛大隊の次長であるタリム将軍、その副官三人だ。いずれも数多の戦場をくぐり抜けた猛者であり、第二皇子ザイードの陣営を支える重要な戦力だ。当初は毒かと思ったが、わざわざ宴で身内に毒を盛るとは思えない。別の意図あってのことだろう」
「毒ではない……」
「ああ。ファヒームも違うと言った」
カムランは袋の中から、黒く干からびた香辛料を出した。
シャハラは鼻を近づけて匂いを嗅いだ。一粒とると口に入れて噛んだ。
「これは黒カルダモンね」
シャハラは真剣な声で言った。
「普段使っている緑のカルダモンとは違うもの。炭のように燻る香りと、舌が痺れるほどの強烈な苦味、樟脳のような鋭い刺激がある。これを濃縮したものは気付け薬になる。酔って意識が朦朧としても、これを飲めばいっぺんに醒めて……身体がしゃきっと動くようになる」
「武官に気付け薬を飲ませる? 酔いが醒めて、動けるようになる……」
反芻するカムランの顔が青ざめていく。脳裏に凄惨な絵が浮かぶ。
「もしや宮を襲撃する気なのか。宮の外に武装した兵を伏せておく。無礼講で客たちが酔いつぶれた頃、黒カルダモンで覚醒した五人の武官が、伏兵を指揮して襲うつもりか」
「そんな。ラミア皇妃はどうなるの?」
「私がザイードなら、皇妃やヌルルを人質にしてアルマンをおびき寄せるが……。その前に宮は血の海だ。シャハラ」
カムランは鋭い刃のような目で彼女を見つめた。
「この黒カルダモンの液を逆手に取れないか。毒を入れるのはまずい。もし宴で死人が出たり毒物が検出されたりすれば、茶を出したファヒームが罰されてしまう。毒にはならないが、五人の武官の動きを封じられるものを作れないか」
シャハラは腕を組み、厨房の棚に並んだスパイスの壺を睨みながらしばらく考えた。
自らが持つ料理と食材の知識を総動員し、人体に強烈な作用をもたらす食材の組み合わせを探る。やがて、シャハラはきっぱりと顔を上げた。
「クローブとレタスの芯を使えば、なんとかなるかもしれない」
「そんなもので武官の動きが止められるのか」
「クローブをドロドロに煮詰めた濃縮液は、局所麻酔になる。飲ませれば舌と喉が麻痺して、声が出せなくなる。つまり、襲撃を命じる号令が出せない。レタスの芯を刻んだ時に出る白い汁。これを煮詰めたものも強烈に苦い。全身の筋肉を弛緩させる強力な催眠作用がある」
「本当か。知らなかった……」
シャハラの明かした食材の恐るべき効能に、カムランは驚きを隠せない。
「クローブもレタスも、黒カルダモンの苦味と香りで誤魔化せる。入れてもまず気づかれないと思う。これらは時間差で効果が出るはず。最初にクローブが喉を塞ぎ、次にレタスが身体を弛緩させる。傍目には、酒に酔って呂律が回らず潰れてしまったようにしか見えない。身体に害はないから毒にもならない。後から調べられても『風味の強い黒カルダモン茶』でしかない」
「……声なき指揮官と剣を握れぬ武官か。凄まじいな」
カムランの顔に悪魔的な歓喜の色が浮かんだ。
五人の裏切り者は声も出せずに床を這うしかなく、外に待機する兵士たちも上官たちの指示がなければ中に踏み込めない。
うまく立ち回れば襲撃を未然に防げるか。
「クローブもレタスもすぐに用意する。抽出を始めてくれ」
カムランは革の袋をシャハラの手に握らせた。
「頼む、シャハラ。もし襲撃されればラミア皇妃やヌルルの身が危ない。なんとしても食い止めないと」
ヌルルの名が出た瞬間、シャハラの薄緑の瞳に決意の炎が灯った。
自分を助けてくれたヌルルを、危険な目に遭わせるわけにはいかない。シャハラは袋の重みを感じながら、力強く頷いた。
「やってみる」
二人は薄暗い厨房で、来たるべき宴に向けて迎撃の準備を始めた。




