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シャハラと兵站皇子の盤上百味録  作者: kiyoaki
第二章 食卓の暗号と亡国の菓子

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第15話 第八皇妃の園遊会と消えたスパイスの王<上>

 現在、アルザ・ヴァーンドの後宮において、事実上の頂点に君臨する女人は誰か。

 それは第八皇妃マリハに他ならない。皇帝の寵愛厚く、第十皇子ネダルの母でもある彼女は、皇帝との間に五人もの子をもうけ、盤石の地位を築いていた。

 今や後宮の女帝と呼んで差し支えない権勢を誇っていたが、国を代表する唯一無二の正妃かというとそういうわけでもなかった。

 現在「皇妃」の称号を持つ皇帝の正室は八人おり、建前上、彼女たちの間に明確な序列は存在しない。

 決定的な差がつくのは、ただ一つ。

 己の腹を痛めた息子が立太子し、次代の皇帝として玉座に就いた時のみである。

 それまではひたすらに、血で血を洗う暗闘の中でライバルの妃たちとしのぎを削らねばならない。実に気の遠くなる陰惨な生存競争であった。


 その第八皇妃が住まう「冠百合(かんゆり)の宮」では、後宮の覇を競うがごとき豪奢な園遊会が開かれようとしていた。

 天上の楽園を模して造られたという庭園には、季節外れの百合や薔薇が咲き、あちこちに吊るされた黄金の鳥籠には極彩色の鳥たちが鼓膜を打つほどに囀(さえず)っている。

 庭園には薄絹の天蓋が張られ、大理石の卓にはきりりと冷えた美酒が並び、柘榴、イチジクといった瑞々しい果実やチーズ、豚や鶏のハムなどが銀の盆に盛られている。

 天蓋の下に集うのは、帝国の有力貴族の妻女や、第八皇妃に媚びへつらう下位の側室たちである。

 楽師たちが奏でる優雅な調べの中、彼女たちが纏う絹と宝石の擦れ合う音が涼やかに響き、むせ返るような香油の香りが退廃的な熱を帯びて漂っていた。

 この絢爛たる宴の裏側で、一つの悪意に満ちた命令が下されていた。

「黄昏の砂宮の女たちを、台所仕事や給仕に駆り出すように」

 それは、慈悲という名目の事実上の見せしめであった。

 最下層に堕ちた女たちを、あえて華やかな宴に引きずり出し、己の惨めな境遇を骨の髄まで味わわせる。圧倒的な富の暴力で打ちのめし、屈辱に耐えかねて涙を流す姿を、葡萄酒を啜りながら眺めて優越感に浸るのだ。

 園遊会の当日。

 砂宮の薄暗い広間では、命令を受け取った女たちが互いの肩を寄せ合ってさめざめと泣いていた。かつては他国の王族や貴族であった彼女たちにとって、宴の下働きを強いられることは大変な屈辱である。

「まさか、この歳になってこんな辱めを受けるなんて……」

「余興の見世物にされるくらいなら、いっそ死んだほうがましだわ」

 怨嗟の声とすすり泣きが響く中、シャハラは一人、壁際で淡々と身支度をしていた。

 下女用の粗末な麻の服に着替え、髪を無造作に束ねる。

 その顔に悲壮感や絶望はなく、あるがままの運命を静かに受け入れたかのようだった。

 そんな殊勝な態度が、逆に周囲の哀れみを誘ったらしい。

 泣き濡れた顔を上げた元貴族の女が、縋るようにシャハラへ歩み寄った。

「アニサ王女、あなたは悔しくないの? ファルハが健在であれば、あなたは女王になろうという身分なのに……!」

 悲痛な問いかけに対し、シャハラは目を伏せるだけで何も答えなかった。

 女たちはそれを「あまりの屈辱に言葉も出ないのだ」と受け取ったが、真実は異なる。

 元から王女ではない一介の料理人なのだから、誇りを傷つけられたという感慨も惨めさも湧きようがなかった。

 むしろ、本宮の厨房ではどんな食材や香辛料が使われているのかという、料理人としての純粋な好奇心すら抱いていた。

 ジリだけは、別の懸念を持ってシャハラに近づいてきた。

「アニサ王女、気をつけて。これから向かうのは、飢えた獣の巣窟みたいなものよ」

 ジリは掠れた声で囁くと、皿に入れて持ってきた灰を指ですくい取り、シャハラの白い頬へ塗りつけた。

「顔や身体を汚して。髪も泥で塗って固めて。肌を見せないようにして」

「……どうして?」

 戸惑うシャハラの肩を、ジリは骨張った手で強く掴んだ。

 落ち窪んだ双眸には、後宮で生きてきた者特有の切実な恐怖が宿っていた。

「あなたのような若い女を連中は放っておかないわ。宴に出されて酒と麻薬で頭の沸いた貴族どもに目をつけられたら、昼間であろうと茂みに引きずり込まれるわよ」

 ジリの言葉は脅しではなく、無数の犠牲者の上に成り立つ生々しい事実であった。

「一度でも目をつけられたら連れていかれる。そうなったら、私にも誰にもあなたを助けてあげられない」

 真剣な顔で警告するジリを見て、シャハラは事の重大さを理解した。女たちの園であっても確固たる身分を持たないこと、若いことは弱点であり命取りなのだ。

「……わかった」

 シャハラは頷くと、自ら進んでかまどの灰や土を顔や手足に擦り込んだ。かくして、下働きの女の姿となったシャハラは、他の女たちと共に本宮の主厨房へ向かったのである。


 本宮の主厨房は後宮の中心に位置し、見習いを含めた料理人だけでも数百人が働いていた。

 主厨房から各宮へ血管のような細長い回廊が伸びており、昼夜を問わずあらゆる要望に従って料理や飲み物が作られ、届けられる。

 宴や園遊会ともなると、働く人員と消費される食材の量は莫大なものとなった。

 厨房に一歩足を踏み入れた途端、熱波がシャハラの頬を打った。

 百を超えるかまどや鉄板から発せられる火の熱気。

 羊肉が串焼きにされて香ばしい脂を飛ばし、無数の包丁がまな板を打つ音が絶え間なく響き渡っている。

 大陸中から集められた極上の肉、希少な海鮮、色鮮やかな野菜などの食材が次々と調理され、目眩がするほどの芳香を放っていた。

 砂宮の女たちが「富の奔流」に恐れおののき、震えながら雑用をこなす中、シャハラだけは違った。

 厨房の片隅に腰かけ、山のように積まれた玉ねぎの皮を剥きながらも、彼女の瞳は水を得た魚のように怜悧な輝きを放っていた。忙しく立ち動く料理人たちや、料理が作られる工程を素早く目で追っていく。

 肉の火入れのタイミング、刻まれる香草の量、鍋から立ち上る湯気の色。

 大料理長ファヒームの指揮の下、料理人たちの動きには無駄がなく、見事に統率されていたが、シャハラの料理人の感覚はその中に潜む「違和感」を捉えた。

 料理人たちの表情は一様に硬く、目は神経質な光を放っている。

 頻繁に冠百合の宮から女官がやってきては、ファヒームと深刻な顔で話し込んでいる。

(何か……変)



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