第12話 冬瓜の白蜜フェルニと胡麻塩引きサハレブの土産、第十皇子ネダルの挑発<上>
その夜も、カムランは黄昏の砂宮の厨房で温かな食事を堪能した。シャハラの作る食事はいくら食べても胃がもたれることなく、穏やかな温もりに満たされた。
天窓の外を見上げれば、厚い雲に半分以上身を隠した月が、銀の光を細く投げかけている。もう間もなく自室に戻らねばならない。カムランの胸には、厨房を去ることを惜しむ思いが燻っていた。
「シャハラ」
カムランは、皿を下げようとするシャハラに向かって言った。
「一つ、頼みがある。ヌルルに、何か土産を持っていってやりたいのだ」
カムランは、後宮と自分を繋ぐ連絡係を果たしている姪について手短に語った。ヌルルにも、シャハラが作り出す美味なるものを食べさせてやりたかった。
「お土産ね。何がいい?」
「そうだな、菓子あたりが持っていきやすいだろうか。あの子はまだ子供なのに、日々私のために頑張ってくれている。せめてもの労いだ」
カムランは、指先で眉間を軽く揉んだ。
「だが、ヌルルは後宮の女たちが好む砂糖たっぷりの甘い菓子が苦手でな。食べると胸やけがするらしい」
「あなたと同じね」
「いや、私は甘いものは好きだ。砂糖は問題ない」
そこは譲れないとばかりにきっぱりと断言し、カムランは小さく息をついた。
「油やスパイス、香料を過剰に効かせた物が堪えるというだけだ。ヌルル向けの、甘すぎず、それでいて心が華やぐような菓子はないだろうか」
シャハラは唇に指を当て、少しの間考えていた。
「お姫さまのお口に合うかはわからないけれど、作ってみたいものがある」
「なんだ」
「冬瓜を使った甘すぎないフェルニ」
フェルニは、米粉と乳を煮詰めた冷たい菓子である。
通常は砂糖と薔薇水をたっぷり入れて作り、宴や祭りなどの祝いの席で供される。
シャハラは手際よく火床の熾火を調整すると、小さな鍋に新鮮な乳を注ぎ、そこに乾燥させたイチジクの葉を数枚沈めた。微弱な熱で時間をかけて乳を温めていく。
しばらくすると、甘い香りが湯気とともに立ち上った。
香りが十分に引き出されたところでイチジクの葉を取り除き、あらかじめ冷たい乳に溶かしておいた米粉の液を注ぎ入れた。
木匙を握り、鍋の底を一定の速度で擦るように混ぜ続ける。火床の残熱だけを頼りに、米粉の澱粉質をゆっくりと糊化させていく。
熱によって乳と米の粒子が密接に絡み合い、鍋の中身は徐々にぽってりとしたビロードのような質感へと変化していく。
仕上げに、極上の白蜜をほんの数滴入れる。乳のコクに気品ある芯を通すための隠し味である。
シャハラは鍋の中身を幾つかの小碗に注ぎ、布を被せると厨房に隣接する食料貯蔵庫兼冷暗所へ運んだ。冷たい石台に小碗を並べた。
フェルニが冷え固まるのを待つ間、冬瓜の調理をする。
冬瓜の硬い外皮のすぐ内側にある、わずか数ミリの「翡翠の層」を小刀で薄く削ぎ落とした。
削り取った緑の果肉をすり鉢の中で潰し、冬瓜から水分が溢れ出したところに白蜜を加えて軽いジュレに仕立てた。完全に液化させるのではなく、シャキシャキとした歯触りを残してある。
「ついでだから乳を使った飲み物も作る」
そう言うと、シャハラは火床に細く割った薪をくべた。
手にしたのは、香ばしい匂いが立つまで深く煎った大麦の粉だ。この焼き麦の粉を冷たい乳の中に振り入れながら均一に溶かし、小さな土鍋を火にかける。
熱が加わるにつれ、大麦の澱粉質が膨らみ、急速に重みを増していく。鍋の中身は、うねるような重いとろみを帯びていく。とろみが最高潮に達した瞬間、シャハラは土鍋を火床から素早く遠ざけた。
そこに、あらかじめ米を寝かせて発酵させておいた米麹の液を入れる。強い熱に晒されると、麹の持つ繊細な風味と発酵のコクが一瞬で飛んでしまう。
だからこそ、火から下ろす絶妙なタイミングが求められる。仕上げに、小さな陶板で白胡麻を軽く煎り、熱いうちに石臼で擦り潰した。胡麻の内部から黄金色の油が滲み出し、しっとりとしたペースト状になったところで、ほんのひとつまみの粗塩を混ぜ合わせる。これが「塩引き胡麻」だった。
「はい、どうぞ」
土産として用意されたのは、一皿の冷たい菓子「冬瓜と米粉の白蜜フェルニ」と、温かい乳飲料「薫り焼き麦と米麹の濃密サハレブ、白胡麻の塩引き」であった。
「まずはあなたが味見をして。口に合わなければ、お土産にはできないでしょ」
「ああ、そうだな」
予期せず出てきたデザートと飲み物に、カムランの胸は高鳴った。
純白のフェルニの上には、きらめく翡翠色の冬瓜のジュレがかけられている。白と緑の二重の層が美しかった。
シャハラに促されるまま、カムランは小碗に入ったフェルニを匙ですくった。
口に含んだ瞬間、これまで食べたことのない味と食感が駆け抜けた。
濃厚なクリームのようななめらかさを持っていたフェルニは、口に入るやいなやサラリと溶けて消えた。鼻腔をくすぐる甘い香り。それは宮廷の宴席で嫌というほど嗅がされる薔薇水の芳香ではなかった。
もっと奥深く、ココナッツやバニラに似た芳醇な香りである。
「この香りはなんだ?」
「イチジクの葉。新鮮な乳に浸して、時間をかけて香りを移した」
「イチジクの葉はこんな香りがするのか」
「それに米粉でとろみをつけたの。冬瓜は緑の層だけをすり潰してジュレにした」
冬瓜の持つ水分と爽やかな食感が、濃厚な乳の重さを払拭し、清涼な風のように抜けていく。熱に浮かされた身体の細胞一つ一つを優しく静めるような極上の官能であった。
カムランは、続いて温かいサハレブの杯に唇を浸した。シャハラが説明する。
「サハレブは蘭の球根から作るものだけど、ここには蘭の球根はない。だから代わりに大麦を香ばしく煎って粉にし、乳と練り上げたの。シナモンではなく、天然の米麹液を混ぜてある」
最初に届いたのは、表面に浮かんだ白胡麻の香ばしさとかすかな塩気だ。塩気が味覚の神経を心地よく刺激した直後、大麦の香ばしいコクと、米麹の滋味深く優しい甘みが怒涛のように押し寄せる。初めに混ぜてから煮てしまうと、この劇的な立体感は生まれない。
最初に塩の鋭さで舌を叩くからこそ、砂糖を使っていない穀物の甘みが、脳内で何倍もの濃密な甘さとして完成するのだ。飲むごとに、身体を芯から包み込んでいくような安心感があった。
「なんと複雑で巧妙な味だ。砂糖の甘さがなくても美味い。これはヌルルも喜ぶだろう」
カムランは深く息を吐きながら、杯を置いた。
「それならいいんだけど」
シャハラは安堵したように頬を緩めた。
彼女の横顔を見つめながら、カムランの胸に割り切れぬ疑問が浮かび上がった。
「シャハラ」
「なに?」
「お前は、料理を通して私に至高の味と癒やしを与えてくれる。ヌルルに対しても同様だ。だが、不思議でならない。お前は帝国に故郷を滅ぼされ拉致されてきたのだろう? 私を含めた帝室や、帝国が憎くないのか?」




