第3話の裏話◆ライマを拾った日◆
番外編の番外編。 主にラフォラエル視点から綴る物語。 ライマの初恋中のネタバレがありますので、できれば後からお読み下さい。
その日、往診を終えたラフォラエルは散歩がてら海岸を歩いていた。
今はロアノフ島の生活にも慣れ、昔に比べて穏やかな日々を過ごしていると感じることも増えていた。
少しの間、立ち止まってテノス国の方角を見る。
先日、重要な仕事を行ってきた。
憎いドノマンを陥れるためなら何でもしてやると誓ったはずなのに、罪悪感が胸をしめつける。
この島の病人達を、ほとんど無償で治療してまわっているのは、罪悪感を軽くするためだったのかもしれない。
海鳥の鳴き声が耳についた。
甲高いその声は鼓膜から内臓に入り込み胃の辺りをきゅうと持ち上げた。
ふと視線を海岸に向けると、10羽ほどの海鳥が流れ着いた何かを取り囲んでいる。
それは夏の水面のようにキラキラと光を弾いていた。
「何だ、あれ――っと?」
言いながら近づき、声を失う。
そこにいたのは自分より年下の少女。 透き通るような白い肌と鮮やかな銀髪。 瞳は閉じて唇は青い。
ほんの数秒、彼女に見とれ、そして息を吐いた。
「――漂流死体か」
そしてゆっくりと近付く。
ここに流れ着くためには潮流から計算してテノス国の海岸近辺だろう。 しかも距離から計算して2日はゆうにかかる。 更に途中の潮は複雑で渦が巻いている箇所もあり、生きて流れ着くなんて有り得ない話だった。
流れ着いた女はぴくりとも動かない。 彼が死んでいると考えたのも当然だろう。
墓でも作ってやるかという考えで、すぐ側まで来たラフォラエルは眉を寄せた。
女は全身ずぶぬれでありながらも、その指は水でふやけていない。 何時間も水に浸かったのであれば当然ブヨブヨになっておかしくないのに、あまりにその女は綺麗すぎた。
――生きているのか?
そんな疑問が沸く。
もしこれで生きているとすれば、それは漂流を装った刺客だ。 刺客――? そう、女を与えておけば満足するだろうという考えのドノマンが放った、スパイ。
ラフォラエルはまるでドノマンを睨むかのようにその女を見つめた。 が、次の瞬間、彼女を取り囲む海鳥たちの様子がおかしいことに気付いた。 海鳥はすべて30センチほどの一定の距離を保って彼女を取り囲んでいた。
空から舞い降りてきてそのまま女の体に止まろうとした海鳥が空気の層に邪魔されるかのように距離を保つ。 よく見ると彼女の周囲には薄い結界が張られていた。
「結界を張ってたからここまで流れ着いたってのか?」
それならあり得る話だと思いつつ、ラフォラエルはそっと手を伸ばす。 一切の魔法が効かない特異体質者の彼にかかれば、結界は触れた瞬間に針で刺された風船のように弾けて消え去った。
同時に女はゴホゴホと数回むせ、ぴたりと動きを止めた。
「お、おい、お前!」
ラフォラエルは慌てて女の頬を軽く叩く。 女の体は冷え切っており意識は無い。 この状況下、この女がドノマンの刺客かどうかなんて考える暇は無かった。
「おい、しっかりしろ!」
ラフォラエルはそう言って女を抱き上げた。 思ったより軽くて、――腕の中に思いの外すっきりと収まった。
「……え?」
ラフォラエルはその不思議な感覚に戸惑った。 この腕の中にしっくりと馴染むその感覚。 まるで魂がこうなることを分かっていたような。
「って、何を馬鹿なことを」
頭を振ってその感覚を打ち消すと急いで自宅に向かう。 部屋に入り風呂場に行く。 このままぬるめのお湯につけて温めてやる必要があった。 服を脱がそうとしたが水に濡れてへばりついていたので力で引きちぎる。 そして裸にした女をバスタブの中に横にする。
蛇口をひねり、ぬるめのお湯を出した。 そしてそのお湯がほんの少し彼女の口元にかかった瞬間、意識のないまま彼女は激しく苦しい表情をして暴れるように体をひねった。
その姿を見てラフォラエルは青くなる。
この、水を極端に嫌う症状はラエル3のそれであった。
そんなはずはない、ラエル3は自然界には存在しないし、唯一存在する場所は先日ばらまいてきたテノス国の川の一つだけだ。
しかし、潮流と距離と時間を考えれば見事なまでに一致する。
ラフォラエルはさきほど破いた女の服を手に取ってみた。 その服の隅にはテノス語でライマと刺繍がされていた。 それで確信する。
この少女は川でおぼれラエル3を体内に取り入れた。
結界を張ってそれ以上溺れるのを防いだつもりだったのだろうが、ラエル3は患者の法力も養分にする。 あっという間に彼女の法力はラエル3に吸収され、意識を失うまで体力を消耗したのだろう。
それにしても無意識になってからもここに流れ着くまで最低限の結界を張っていたとは恐るべし法力の使い手だと感心した。 そうでなければ法力が無くなって結界が切れた時点で確実に魚の餌だったろう。
――ラエル3で死者は出さないつもりだったけど、こういうパターンもあるとは正直予想外だったな
冷静に考えながら、ラフォラエルはライマをお湯から抱き上げた。
意識の無い彼女を風呂場の床に横にしたまま脈を見て診察をする。 するとライマは体をガタガタと震えさせ始めた。 ラエル3の症状、悪寒だ。 これから発熱するのは目に見えていた。 一旦発症すると面倒なことになる。
「ちょっと待ってろ」
ラフォラエルは意識のない彼女にそう告げると、書斎の下の研究室からラエル3の活動抑制剤を持ってきた。 人体実験に強力してくれたウズ達は意識があったので液体経口薬しか作っていなかったが、今、ライマは意識が無い。
ラフォラエルは迷うことなく薬を口に含むと直接口移しで飲ませた。
こくん、と喉が上下する。 するとすぐさまライマの体の震えは止まった。
やはり、というべきか。 ライマがラエル3に感染していることは間違いなかった。
活動抑制剤を飲ませて症状が落ち着いているとはいえ、風呂場の水は薬を入れてないので厳禁だ。 下手に飲ませてしまうと症状が悪化する。
「……ベットの方であたためるか」
そう呟きながら彼女を抱き上げて浴室を出ると、正面の鏡に映る二人の姿が目に飛び込んできた。
「!」
生まれたままの姿の彼女と、自分。
「……が、何だってんだ……」
ちらりと沸いた不思議な感覚を打ち消すように呟いて寝室に向かう。
ベットに彼女を寝せ、自らの服を脱いだ。 焦っていたこともありびしょぬれである。
――こいつが気付かないうちに治してしまわないとな。 あとで貯水タンクに薬を入れて……
治療法を考えながら、ベットに入り彼女の上に乗る。
このまま裸で抱きしめて体温をもう少し上げてやる必要があった。
布団を体にかけようとして、思わずライマの体に目が向いた。
均整の取れた、美しい体。
ツンと上を向いた、張りのある二つのふくらみ。
ほのかな色気を内に秘めた、まだ青い腰のライン。
そして――
「……」
ラフォラエルは静かに布団を体にかけ、ライマを抱きしめる。
とても冷たい。
冷たいが、想像以上に柔らかい。
ラフォラエルは顔を少し離してライマの顔を見た。
長い睫。
無防備であどけない表情。
癖のない、極めて珍しい見事な銀髪。
「……アンダーも、シルバーなんだな……。 って、イヤイヤ、そうじゃなくて……」
独り言を言いながら再度ライマを抱きしめる。
自分の体温が彼女の体を温めていく。
体温が、彼女の中に、入っていく。
中に。
「……」
ラフォラエルは少しだけ重なる腰の位置をずらした。 元気になってどうするんだという話である。
冷静さをとりもどしつつ、何度もライマの頬に赤みがもどってこないか目で確認する。
何回目の確認だったか。
ライマの唇が微かに開き、「ん……」と可愛い声で息を吐き、赤い舌が唇の間から微かに見えた。
途端、ラフォラエルの胸がドキリと反応した。
赤い舌が彼を誘った。
唇は、触れて欲しいと訴えているように見えた。
そんなはずは無い、そんなはずは、と思いながらも少し体を離して上から見下ろすと、それは確かに、性行為中に一つになっているときと全く変わらないアングルで――違うことといえば結合していないというだけで――
――ヤバイ
本能と理性が同時に警告を発した。
彼女は俺の女ではない。
抱いて良い相手ではないのだ。
このまま治療目的意外の行為をすることは、ドノマンと同じだ。
しかし、触れてみたい。
なぜか、触れてみたい。
本能に抗うなと、初めての胸の高まりが理性を惑わす。
しかし、触れてはいけないのだ。
どうしてでも、触れてはいけないのだ。
治療目的以外で――
――治療……
ラフォラエルは自らを制する理性を誤魔化す知性を働かせる。
さきほど、薬を口移しで飲ませた。
あれは、治療行為である。
まだ彼女は意識が戻らないので、何か刺激を与える必要がある。
そう、これは治療行為。
彼女の意識を取り戻すための治療行為。
眠り続ける姫は王子からのキスによって目覚める伝説があるように。
彼女の意識を取り戻すために、ありとあらゆる手をつくす、ただの医療行為――
唇が微かに震えた。
欲望なのか理性なのか本能なのか運命なのか。
しかしどんな言葉を考えても何かに抗うことは不可能だった。
そっと、唇を重ねる。
後頭部に突き抜けるような電流にも似た何かが通った。
このまま、もっと……
そう思いながら少し強めに唇を押しつけ、ゆっくりと離す。
やってしまった。
達成感と畏れの入り交じった感情のなか、目を閉じているはずのライマの顔を見ようと、ゆっくり目を開いた。
するとそれは、本当に魔法が解けたかのように。
ライマが瞬きをして、そして――
二人は初めて出会った。
なろうのリニューアルに伴い、続きが投稿できなくなったみたいです。
なので、ライマの初恋【裏話・それから5年後】にて発表しています。