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未満の妻 連載版  作者: うえの彩月


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3/4

始められない男 前編

 ノルエナは戸惑っていた。

 女の革命を起こすべく、まずは同志たりえるであろう同性の面々へ(つて)をたどって内密に話を持ちかけているのだが、反応が一向に芳しくない。


 急進的な思想家であるノルエナの父、つまりレボニュー伯爵はかつての内乱当時、革命派の連中に対して援助や保護を意欲的に行なったため、屋敷には密かに匿われた血気盛んな男たちが多く出入りしていた。

 ノルエナが育ったのは、そのような環境の中である。

 自然、ノルエナの人格や思考の形成において、彼らの影響は大きい。


 女の身で聡明すぎる頭脳を持ってしまったことは、この国においてはむしろ不幸ともいえる。

 ノルエナもまたその例に漏れない。

 幼いころから国をどうすべきかという議論ばかりを耳にし続けたおかげで、ノルエナは長じるとともにその議論に関する自分なりの答えを見つけ始めていた。いわば政見である。

 しかしいざ発足した新政権の中にノルエナがおのれの意見を堂々と国家に向けて発言する場はなく、議会も議論も、およそ政治と名の付くものはすべて男のものであった。


 要するにノルエナの思想は、究極的には女性の国政参加にある。

 かねてから女性の権利を唱える者はいたが、結婚や離婚についての女性の不利を訴えるもので、男性に従属する立場への積極的な否定ではない。

 が、ノルエナはそれすらも飛び越え、能力があれば性別に関わらず国の運営に直接携わるべきで、平たく言えば女性の地位向上と社会進出を強く肯定していた。


 ノルエナは、しょせんは世間知らずの箱入り娘なのであろう。

 女性であれば十人中十人が、必ずこの案に賛成してくれると無邪気に信じ込んでいた。

 しかし現実には見向きもされず、それどころか教養ある年配の夫人などからはあからさまにたしなめられる始末である。

 こういうときにこそライヴァンに相談したいのだが、新任の外交係として休む暇なくあちこちを飛びまわっている彼はいま、あいにくと国内にいない。


(なぜ伝わらないのかしら)

 途方に暮れかけたそのとき、むしろ男性の中から、ノルエナの思想に共鳴する者があらわれた。





 場所は、ライヴァンの屋敷の客間である。

 向かい合わせになって座る背後には、互いの侍従たちがそれぞれ控えている。

 彼はすでに暗礁に乗り上げかけているノルエナの活動の噂を、どこかから聞きつけてきたらしい。


「あなたの行動は粗略だが、意見自体はなかなかおもしろい」

 辛辣な物言いで同調してみせた若者は、セビウルという。

 歳は二十代の半ばといったところだろうか。苦味のある怜悧な顔立ちはいかにも才気があり、おいそれと顔色を変えないためにつねに態度が涼やかで、滅多に物事に動じない。

 ライヴァンが所属する新設の外務省において、錐のように鋭い論説と、情勢の把握能力の高さで頭角を表し始めた仕官であった。

 以前にライヴァンの仕事の関係で何度か屋敷を訪れており、その点、一応の顔見知りとは言えるだろう。


「粗略でしょうか」

 遠慮のない指摘にノルエナは項垂れた。

 セビウルが愛想なく頷く。

「いきなり設計図だけを投げつけたところで、素人に船は造れませんよ。造船にしろ運航にしろ、それなりの知識も技術も必要です」

「設計図? ——」

 まるでわかっていない様子で反復するノルエナに、セビウルは例えを変えた。

「菓子を焼いたことは?」

「ありますわ」

「粉は練らなければ生地にならず、生地にならなければ形も作れない。そういうことです」


 返答までにやや間があった。

「——つまり、わたくしの意見が通るための下地がまだできていないということですね」

「その通りです。なぜならこの国の女性の大半は、あなたのように聡くはない」


 ノルエナは即座に反論した。

「聡い、聡くないという問題ではなく、もっと根本的な——環境が悪いのです。わたくしは恵まれていました。お父さまのおかげで一般的な教養以上のものを学ぶことができましたし、いま新政権に携わっていらっしゃる方々のうちの幾人かは、わたくしを子ども扱いせず、我が国や世界のことを惜しみなく教えてくださいました。そのような環境が……みなにもあれば、きっと」

 勢いよく話していた言葉はやがて速度をゆるめ、一言一言を考え込むようにしてゆっくりと繋がってゆく。

 いつの間にかノルエナは顎に手をやり、伏し目がちに、頭の中を整理しながら喋っていた。

 めまぐるしく思考が回転する。とっかかりさえ見つけてしまえば、絡まった糸を解くための一本を見つけることは容易い。

 セビウルは余計な口を挟まず黙っている。

「環境……環境が悪いのだわ。男の方のように自由に学ぶ場も、その機会もないのだもの。女だという理由だけで制限されるのはおかしいことなのに、誰もそれを疑問に思わない。知らないからだわ。考えたこともないのね。わたくしがそう育ったように、正しい先生が周りにいてくださればいいのに……」

 ゆっくりとまばたきをし、ノルエナはセビウルを見上げた。

「学びたいと思うすべての者に門を開く場所が必要ですね。それも、できるだけ早く」


 無愛想だったセビウルがそこで初めて表情を溶かし、唇に微笑を含ませた。鋭利な印象の強い男だが、目元をやわらげると妙な甘さが漂う。

「助力しますよ」

「まあ。セビウルさまが助けてくださるなら心強いわ。百人力ですね」

「とんでもない。それよりもあなたです。聡明な人だ、僕がいままで出会った誰よりも」

 その言葉に込められた熱に、ノルエナは鈍感だった。

 そこへ、セビウルはあえて畳みかけるようにして言う。

「ライヴァン殿の女遊びがなくなったと、外務省ではもっぱらの評判ですよ。あのライヴァン殿が奥方に骨抜きにされ、愛妻家に変貌したと」

 骨抜き。愛妻家。

 意味を理解しかねる単語が並び、ノルエナは首をひねった。

 その後ろで控えている侍従たちが僅かに警戒の色を見せる。

「それなのにあなたは養子をとりたがっていて、それをライヴァン殿が躍起になって拒否している。世間はあなたが子を産めない体なのだと噂しているが、違いますね。理由も原因も、もっと別のところにある」

 セビウルはそこで言葉を切り、ノルエナの瞳を覗き込んだ。

「僕はずっとライヴァン殿が羨ましかった。憎くもありましたよ。でもいまは気分がいい」


「セビウルさま、おそれながら」

 とさり気なく割り込んだ侍従長の声を受け、セビウルは呆気なく立ち上がった。

「失礼。——そろそろ帰ります。ライヴァン殿がご不在のときにあまり長居するのはよくありませんからね」

「でも、またすぐにでもお会いしたいわ」

 思わずノルエナが言うと、侍従たちはぎょっとした顔をし、セビウルは目を見張った。

 もっともノルエナにすれば、新たな同志であるセビウルと語り合いたい内容はいくらでもあり、いまもまだその興奮が残っているだけで、他意はない。

 セビウルもそれがわかるだけに、苦笑した。

 しかし同時に、付け入るのならここだ、とも思った。

「僕も、あなたに会いたい。いつでもそうです」


「いつでも? ——」

 さすがにノルエナも笑った。

「そこまでご賛同いただけるなんて、光栄ですわ。つぎにお会いするときまでにわたくしも考えをよく煮詰めておきます。それに、もうすこし人数がいたほうがよいようですね」

「心当たりはありますから、声をかけておきましょう」

「ありがとうございます。セビウルさまのおかげで、ようやく道筋がみえたような気がいたします」

「これからですよ、大変なのは」

 先に手を差しのべたのはセビウルの方である。

 色気のないかたい握手を交わし、ノルエナはわざわざ玄関口まで足を運びセビウルを見送った。


「セビウルさまはよい方ね」

 ノルエナの呟きに侍従長は曖昧に頷き、ひそかに心因性の胃痛を覚えるのだった。

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