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始められない男 2

 その手紙を家令から受けとったとき、セビウルの頭はすばやく回転し、すでにおおよその内容を察していた。


 封蝋はナシナ男爵家のものである。ノルエナのレボニュー伯爵家とおなじく数すくない急進派の貴族だが、セビウルとはさほど面識はない。せいぜいが一、二度、かるく挨拶をかわした程度であろう。


 指先で感触を確かめるように紙をこする。

 きめが細かく、色味も白く美しい。

 男爵にしてみればセビウルなど経験も実績もない若造であるにもかかわらず、相当上質な紙をつかっているようである。


 いかにも、なにかしらの意図が含まれていた。

 たとえば男爵家には年ごろの娘がいるが、かつての革命の混乱もあり社交界への御披露目はやや遅かった。要するに、いまだ婚約の話が出ていない。


 かの男爵家と日ごろ懇意にしているのはほかでもない、直属の上官でもあるライヴァンであった。

 だれよりも革命の功をみとめられ、国の行く末を一身に背負う人物。セビウルが望むものを一度その腕に抱いておきながら、ないがしろにし、あまつさえ取りこぼした。

(いやみな男だ)

 と、おもわずにはいられない。

 ふだんは病的なまでに几帳面なたちだが、このときばかりはさすがに神経がとがって、ペーパーナイフも使わずに指で封筒をちぎっていた。

 おどろく老齢の家令を無視し、文面に目を通す。


 中身はさしさわりのない挨拶にはじまり、最近の政情にふれ、――実はライヴァンの不在で難航している案件がある。頓挫させるわけにはゆかず苦心していたところ、そのライヴァンから書簡でセビウルを紹介された。ご助力いただければこれほど頼もしいことはない――と、馬鹿丁寧に綴られていた。


 セビウルはやや拍子ぬけした。

(ライヴァン殿もずいぶん遠まわしな牽制をする)

 そうおもうのと同時に、

(推薦してくださったのか。……)

 不覚にも指がふるえた。

(いやな男だ、本当に)


 しょせんセビウルは革命後に世にでた人材である。というのも革命当時、セビウルは留学のため他国にいた。

 功労者たちのなかにはみずからの労を必要以上に誇示し、革命の中心に属さなかった者を軽視する眼も多い。自然、新政権の中核はそういった主流派の面々がにぎっていった。セビウルにいくら才があろうと、実力だけではどうしようもない壁がそびえている。


 その点、ライヴァンは顔に似合わず磊落な男だった。

 能力のある者はその出身や経歴にかまわず引きぬき、取り立てる。いわば人をみる眼をもっていた。そのやりかたが恩着せがましくなく、じつに清々しい。


 ナシナ男爵家の領地は繊維業が有名で、大規模な職人地区が発達しており、隣国との交易もさかんである。商人の出であるライヴァンもはやくから通商を重視し、この度の外交にも貿易経済にあかるい者を、他省の所属ながら口説きおとして同伴させていた。

 男爵のいう案件とは、この通商条約をうまく締結せしめるための国内の基盤をかためることであろう。

 おそらく最低限の準備のみで出立せざるをえなかったライヴァンが、その後釜にセビウルを指名した。


 ライヴァンのやり方は、部下に権利を渡せばあとはもう丸投げしてしまう。

 口出しせず自由にやらせるという点で、セビウルはもはやこの件の国内での全権を握ったようなものだった。

 そこまでの信頼を寄せられ、心がふるえなければ男ではない。


 むろん、ノルエナに懸想するセビウルを牽制する意図もあろう。

 セビウルの本心まで気がついているかは定かでないが、なにかと理由をつけてはノルエナのもとへ足しげく通っていることはすでに知られているはずであった。

 男爵にすれば、セビウルはライヴァンがおのれの後継にと推すほどの若者である。いずれそのセビウルを娘の婿にと望む可能性はたかい。


 巧みとしか言いようのない人選だった。

 セビウルとしては、ライヴァンになにも言いかえすことができない。


「――セビウルさま」

 手紙をにぎりしめたまま沈黙してしまった若主人を心配した家令が、ためらいがちに声をかける。

「いかがなされました。すぐにお返事をお出しになられますか」

 セビウルはわれにかえると、すこし考えたのち、首を横にふった。

 急ぐあまり軽率な答えをかえすわけにもゆかない。


 長年セビウルの生家につとめてきた家令は従順なしぐさで頭をさげ、静かに退室した。彼は、いまのセビウルにこれ以上なにかをいうのは無駄口であると知っていた。


 ひとりになったセビウルはやがて書斎を出、寝室へむかった。

 ナシナ男爵からの手紙は書斎の引出しにしまい、すでに鍵をかけてある。返事は明日したためるつもりでいた。ねむくはないが、もはやなにをする気にもなれない。


(結婚か。――)

 寝台に横たわり、ぼんやりと天井をあおぐ。

(してみようか)

 なんでもないことのように思いきったことを考えて、その女々しさにひとりで苦笑した。

 おそらく当てつけにすらならないであろう。セビウルの結婚に対して、ノルエナが祝福以外の感情に心をゆらすとはおもえない。

 第一、花嫁こそいい面の皮である。上官の妻に懸想する夫など笑い話にもならない。


(むずかしいな、片思いは)

 くちびるの端が笑みらしきかたちにゆがむ。

 茶会で婦女子の話題にのぼるような気持に、まさかこの自分が悩まされる日がくるとはおもわなかった。



 はじめて彼女を眼にしたのは、あらたな外務省の設立祝いと顔合わせを兼ね、少数精鋭の面子がライヴァンの自宅にまねかれて宴会を催したときのことだった。

 国の内情を慮って内々での式にすませていたため、(みな)、上官の妻に会うのははじめてである。


 一目惚れではなかった。

 むしろ第一印象では、親鳥のあとを懸命についてゆく雛鳥のようにおもったと記憶している。

 ライヴァンの半歩うしろに控えながら、つねに全身で夫の挙動を気にしている様子がうかがえ、その懸命さがほほえましい。


 意外であったのは何名もの男たちに囲まれてもまったく臆さず、むしろ手慣れたふうにあれこれと動きまわっていることであった。

 聞けばあの革命当時、生家の屋敷に出入りしていた気鋭の連中の世話をよくまかされていたという。

(見かけによらずたくましいものだ)

 などと、女性への褒め言葉とはいえないような印象さえ抱いていた。


 つぎに会ったのは、若手が何人かライヴァンのところに押しかけ、勉強会をひらいたときである。

 ふだんは人付き合いのわるいセビウルだが、このときはなぜか誘いにのった。

(また会えるだろうか)

 とおもったか、どうか。


 とはいえ、参加こそしたものの彼らとの議論に飽いたセビウルは、息抜きとことわって早々に場を退室していた。

 この秀才は頭の回転率が常人とはちがいすぎるためか、どうも同期のなかに混じるとまわりが馬鹿におもえてくるらしい。


 ライヴァンの屋敷は旧貴族のもちものをそのままもらったものだが、華美な調度品などは容赦なく売り払うなどして処分されており、その造り以上に広々としてみえる。


 ふと廊下のむこうに人の気配がして顔をむけると、ちょうど例の新妻が侍女をふたり連れてやってくるところであった。

 こちらは事前の約束もそこそこに複数でおしかけた身である。挨拶をするため距離をつめようとしたとき、彼女のほうが先にセビウルに気がついた。

「あら」

 ちいさなつぶやきだったが、なぜかセビウルの耳にはよくとどいた。


「セビウルと申します。本日は大勢でご面倒をおかけします」

「ノルエナでございます。アテウ家のセビウルさまですね。存じております」

 つねに簡潔で愛想のない言いかたにしかならないセビウルとはちがい、表情も声の調子もにこやかである。

「面倒だなんてとんでもございません。夫はだれかと意見を交わすのがとても好きなようですから。それに先日などはわたくしも大変勉強させていただきました」

 前回の人数のなかにセビウルもまじっていたことも、おぼえていたらしい。


「お帰りでございますか」

「すこし頭を冷やしているだけです」

 実際はうるさいだけの談論を見限って出てきただけで、むしろ部屋にこもって無駄に熱を発している連中こそ頭を冷やせとおもっている。

「まあ。では、お邪魔をしてしまいましたね」

 すまなさそうに身をちぢめ、ノルエナがここを立ち去るようなしぐさをみせた。

 が、そこで足がもつれ、バランスをくずした。


 反射的に手をのばす。

 侍女たちの息をのむような悲鳴。

 とっさにノルエナの肘のあたりをつかむ。てのひらに力をこめ、たおれそうになる体を強引に支えた。引き寄せた反動でもう片方の手も背中にそえる。


 腕のなか、ともいえるほどの至近で眼があう。

 みひらかれた瞳がセビウルだけを映し、まばたきすらしない。

 口のなかが渇き、言葉がでなかった。


 みつめあう沈黙をやぶるように、

「ノルエナ、怪我はありませんか」

 すずやかな声があいだに割ってはいる。


 それで、一瞬まえまでの呪縛がとけた。

「ライヴァンさま」

 夫の登場にかわいそうなほど動転したノルエナは、あわてて身をよじりセビウルからはなれた。

「あの、ちがうのです。もうしわけありません、助けていただいて、ほんとうに。――あの、ですから、これは」

 誤解されたくない一心でセビウルの腕からぬけだしたはいいが、我にかえれば助けられた相手に失礼なふるまいであった。

 ライヴァンとセビウルを交互に見上げながらすっかり混乱したノルエナは、もはや針でつつけば泣きだしそうな具合である。


「見ていましたからわかっていますよ」

 ライヴァンがわらって、

「あなたがなにもないところで突然転ぶのでおどろきました。怪我がなくてよかった。セビウルのおかげです。そそっかしい妻を助けてくれてありがとう」


「ライヴァンさまっ」

 ノルエナの頬は紅潮し、はずかしいのと拗ねたいのとで表情をうまくつくれないようであった。


「これは失礼。お詫びにつぎは私が助けましょう」

「それがお詫びになりますの?」

「なりませんか」

 からかわれていることはわかっているのだが、相手のほうが一枚も二枚も上手であり、どうもうまくやりかえせない。

「では、ライヴァンさまはつねにわたくしを見張っていなくてはいけませんわ」

「もちろんそうしますよ。眼をはなさないようにしましょう」

 こともなげにうなずかれた悔しさが半分と、のこりはライヴァンの返答に照れたとみえ、膨れっ面がますます赤くなってゆく。


 助けたことはおろか、ここにいることすらノルエナの頭から追い出されてしまったらしいセビウルは、まるでじゃれあいのような新婚夫婦のやりとりをただ見ていた。


「しかし」

 と、ライヴァンがおもしろそうにノルエナをながめる。

「もう転ばない、とは言わないんですね」


 ついには首すじまで真っ赤にそまったノルエナは、羞恥のあまりふたたび泣く寸前のような顔つきになった。

 唇をせわしなく開閉させるのだが、言葉が出てこない。育ちからして、あるいは適当な罵り文句のひとつも知らないのだろう。


(かわいいな)

 ふいに、おもいがけない感情がうまれた。


 おそらく、それがはじまりであった。



(僕はなぜ、だれのものでもないあなたに出会えなかったのだろう)


 ノルエナの言うところでは、ライヴァンからはこまめに便りがとどき、文通のようなことをしているのだという。

 が、セビウルからみれば、なにもかもが笑止極まりない。


「――ノルエナ」

 はじめて呼び捨てたその名前は、当然ながら耳によく馴染まず、セビウルはかすかに眉をひそめた。

 それは、ほかの者からみればいつもと変わらぬ不機嫌そうな顔にみえたであろう。

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