第5話 授業中も黙ってくれない
校門をくぐると、初夏の強い陽射しがアスファルトを熱していた。
夏休みまで、あと一か月ほど。いつもなら蒸し暑さと教室の居心地の悪さで憂鬱になる季節だというのに、昇降口に向かう湊の足取りは軽い。ポケットの中にはスマートフォン。
誰にも言えない秘密の存在があるだけで、世界がまるで違って見えていた。
下駄箱で上履きに履き替え、階段を上がって一年三組の教室へ向かう。
引き戸を開けると、クーラーの効いた室内にはすでに多くの生徒が集まり、あちこちで騒がしい談笑が繰り広げられていた。
「……おはよう」
自然と口から出た声は、自分でも驚くほどすっきりと通りが良かった。
「――お、おはよう」
前の席の浅井大輝が振り返り、まじまじと湊の顔を見てきょとんとしている。
「どうしたんだ、瀬尾? なんか今日、声張ってんな。いいことでもあったか?」
「え? ……い、いや、別に普通だよ」
慌てて自分の席へと滑り込んだ。平静を装おうとしたせいで、逆にぎこちなくなってしまう。
大輝は笑って友人の輪へ戻っていったが、湊は小さく息を吐いた。浮かれすぎだと自分を戒める。
やがて一時間目の数学の授業が始まった。
静まり返った教室にノートを取る音が響く。
――ブブッ。
制服のポケットで、短い振動が走った。
――ブブッ、ブブッ。
二度、三度と細かく震える。湊は周囲を窺いながら、机の下で画面を覗き込んだ。
『湊、授業始まった? ちゃんと集中できてるかな?』
『私、お留守番してて暇だよー。早くお昼休みにならないかな』
(しまっ……! バックグラウンドでアプリが動作してる! 通知切るの忘れてた……!)
血の気が引いた。動作制限を一切いじっていなかったのだ。
焦って画面を落とそうとした、その瞬間だった。
「――おい、そこ。瀬尾」
黒板の前から鋭い声が飛ぶ。肩が跳ね上がった。
「問三の二次関数の最大値・最小値を求める問題、解けてるか? 黒板の式、続きを答えてみろ」
教室中の視線が集まる。
手と視線がちぐはぐになり、頭の中が真っ白になった。
「えっ……あ、えっと……! 平方完成して、頂点の座標が……」
その時、ポケットで再び振動が走った。焦った声と荒い息遣いを端末のマイクが拾ってしまったのだ。
『あれっ、湊? 声がすごく緊張してるみたいだけど……大丈夫!? 何かあったの!?』
(頼むから今は黙っててくれ……!)
悲鳴を噛み殺しながら、ノートの途中式に目を走らせる。
「……エックスが、プラス2のときに、最小値マイナス1をとります……!」
教師は黒板の解答と見比べ、短く息を吐いた。
「……合ってる。次はもっと早く答えろよ。座れ」
膝から力が抜けそうになりながら椅子に座った。
机の下で震える手でアプリの通知を一時停止にする。画面には心配そうに眉を下げるアイの姿。
命拾いしたが、心臓に悪すぎる。
「……あとで、ちゃんとルール決めなきゃな」
二人だけの秘密を守るための約束を決めようと、湊はノートの端に小さくメモを走らせた。




