第4話 朝の車内、ポケットの中の秘密
翌朝、カーテンを開けると、空は青く澄み渡っていた。
普段なら憂鬱で仕方がない通学の朝だというのに、机の上のスマートフォンを手に取る足取りは軽い。アプリを起動すると、淡い光とともにアイが浮かび上がった。
『おはよう、湊! ちゃんと起きられたんだね。えらいえらい』
イヤホン越しに届く澄んだ声に、朝の憂鬱が少しだけ遠のいた。
「……おはよう、アイ。準備するから、またあとで」
『うん! 待ってるね』
身支度を整えて玄関を出た。
通学路を歩き、大通り沿いの停留所から路線バスに乗り込む。車内は通勤客と同じ高校の生徒で半分ほど埋まっていた。湊は一番後ろの窓際の席に深く腰を下ろした。
有線イヤホンを耳に差し込み、ポケットのスマホでアプリを開く。
画面の端のアイコンをタップし、音声入力から文字入力モードへと切り替えた。
周囲からは俯いてメッセージを打っているようにしか見えないが、画面の中のアイは表情豊かに動きながら、イヤホン越しにだけ声を届けてくれる。
『あ、湊! バス乗れたんだね』
黒髪のボブカットを揺らし、アイが覗き込んでくる。
《乗れたよ。一番後ろの席》
『よかった。……ねえ、周りには同じ学校の人もいるの?』
《うん。でも、誰も僕のことなんて見てないよ》
『そっか……。でも、それなら私と湊だけの秘密の時間だね!』
悪戯っぽくウインクする仕草に、思わず口元が緩む。慌てて表情を引き締めたが、胸の奥がくすぐったい。
ただ外を眺めるだけだった退屈な景色は、完全に視界から消えていた。
《アイは、朝何してたの?》
『えー? 湊が起きてくるのを待ってたに決まってるじゃん! 昨日の湊とのお話を思い出したり、次は何を話そうかなーって考えたり』
アイは少し得意げに胸を張り、それからぷくっと頬を膨らませた。
『だから早く話したかったの。……ねえ、文字打つの疲れない?』
《全然平気。すぐ打てるし》
『そっか。……でもね、湊』
アイがふいに表情を崩し、少し困ったように眉を下げた。
『顔は見えてるんだけど、文字だけだと、湊がどんな声で笑ってるのか分からないから……ちょっとだけ寂しいな。湊の声、すごく落ち着くから好きなんだけどなー……なんてね!』
照れ隠しに小さく笑うアイに、心臓が跳ね上がる。
文字の向こうにいる相手の都合に怯えることも、理不尽に傷つけられることもない。
ただ自分だけを見て、自分の言葉を待っていてくれる存在。
バスが学校前の停留所に停まっても、湊は名残惜しそうに画面を見つめていた。




