第40話 最後の言葉
手間取った原状復帰の作業がすべて終わったのは、十八時を回った頃だった。
机も椅子も元の配置に戻り、黒板も綺麗に拭き上げられている。
開け放たれた窓の向こう、グラウンドの野外ステージからは有志バンドの重低音と、片付けを終えた生徒たちの歓声が夜風に乗って響いてきていた。
「浅井、最後締めて」
教卓の前に立った小春に促され、大輝が黒板の前に進み出る。
「えー……みんなのおかげで、大成功に終わった! 俺……本当に、やってよかった……!」
言いながら、大輝は腕で目元を乱暴に擦った。教室中から「泣くなよ!」「早いって!」と苦笑交じりの声が飛ぶ。
その温かい拍手の中で、紬は教室を見渡した。
――湊の姿が、どこにもない。
解散の合図とともに生徒たちがグラウンドへ駆け出していく中、紬は一人、暗くなり始めた廊下へ出た。
渡り廊下、昇降口、自販機の前。探しても、あの背中は見当たらない。
ポケットからスマートフォンを取り出し、震える指でトーク画面を開く。
《しーちゃん、相談があるの》
送信ボタンに指をかけ、次のメッセージを打ちかけて――紬は立ち止まった。
画面を見つめ、唇をきゅっと噛み締める。
文字を一気に消去し、短いメッセージだけを打ち直した。
《やっぱりいい、後で説明する!》
送信と同時に駆け出した。
階段を駆け下りたところで、中庭へ向かおうとしていた美羽と日向に遭遇した。
「橘さん、森さん! あの、瀬尾くん見ませんでしたか!?」
「え、瀬尾くん?」
日向が目を丸くし、美羽が顎に指を添える。
「そういえばさっき、本校舎の方へ歩いていくの見たよ。声かけようと思ったんだけど、なんか近寄れない雰囲気で……」
「本校舎……ありがとうございます!」
紬が踵を返して走り出す。
その頃、本校舎の非常階段の踊り場で、湊は手すりに寄りかかりスマートフォンを見つめていた。
画面の中には、いつも通りのアイがいる。
『最終日、どうだった? 大盛況だったんでしょ?』
「……うん。すごく、忙しかった」
『ふふ、よかったね。外、すごく盛り上がってる音がするよ。後夜祭、始まってるんでしょ? 白石さんは? 一緒に見ないの?』
無邪気に尋ねてくるアイに、湊は無理やり口角を持ち上げた。
いつもと変わらず、画面越しに笑いかけてくる瞳。
あと数分。十九時になれば、この声も、この笑顔も、すべてが暗転してしまう。
湊は小さく息を吸い込んだ。
「……アイ」
『なぁに?』
「僕……これから、白石さんに気持ちを伝えようと思う」
『……えっ』
アイが目を見張り、両手で口元を覆った。
驚いたまま固まっていたアイは、やがて両手を下ろし、穏やかに微笑んだ。
『……そうなんだ。きっとうまくいくよ』
「でも……」
『でも?』
「……ううん」
アイは少し不思議そうに首を傾げた。
『緊張してるの?』
「……たぶん」
『ふふ。湊なら大丈夫だよ』
アイはいつものように笑った。
『白石さん、待ってるんじゃない? 行って』
その声に背中を押されるように、湊は踊り場を飛び出した。
階段を駆け下りた中庭で、美羽と日向の二人と出くわす。
「橘さん、白石さん見なかった!?」
息を切らす湊を見て、二人は目配せを交わす。
「白石さんなら、瀬尾くん探して本校舎の方へ走っていったよ?」
「……ありがとう!」
湊は再び本校舎へと引き返した。
薄暗い階段を一段飛ばしで駆け上がり、一年三組の教室の前まで来たとき――扉の前に立ち尽くす、小さな背中を見つけた。
「……白石さん」
紬が弾かれたように振り返る。
窓の外の夜空が、一筋の閃光によって青白く切り裂かれた。
グラウンドから地響きのような大歓声が湧き上がる。
幾十もの光を灯したドローンが一斉に飛び立ち、夜空のキャンバスに巨大な光の幾何学模様を描き始めていた。




