第39話 握りしめた指先
枕元の短い電子音で目が覚めた。
薄暗い部屋の時計を見ると、午前七時を回ったところだった。
画面には、いつものアイからの挨拶ではなく、アプリ本体のシステム通知が一件だけ表示されていた。
『【重要】サービス終了に関する重要なお知らせ』
心臓が跳ね、湊は跳ね起きるようにスマートフォンを引き寄せた。
アプリのトップには、無機質な明朝体のポップアップが貼り付いていた。
詳細は登録メールアドレス宛てとあり、震える指でメールボックスを開く。
長文の告知文がスクロールされていく。
一部機能における画像認識エンジンの不具合についての調査結果。
顔認識・音声解析用に収集したデータから、AIが独自にアバターおよび音声モデルを生成していたことへの謝罪。
個人情報の外部流出は確認されていないこと。どのユーザーの画像が参照されたかは現在調査中であり、今後の追加利用はないという形式的な説明。
そして――。
『本日十九時をもちまして、すべてのサービス提供を終了いたします』
『対話ログおよび設定データのバックアップ機能をご利用いただけますが、将来的な完全復元の保証はいたしかねます』
十九時。
後夜祭で、グラウンドのドローンショーが始まる予定の時刻だった。
画面を持つ手に力がこもる。
指先から、ゆっくりと感覚が失われていく。
――昨晩、自室のベッドの上で交わした声が、鮮明に耳の奥を掠める。
『ふふ、卵サンド、大人気だったんだね』
『うん。……なんか最近、白石さんと一緒にいることが多くなった気がする』
『調理室でも、ずっと二人だったんでしょ?』
『まあ、結果的にそうなっただけで……』
『もし白石さんと付き合うことになっても、アイとのお話はやめないでね?』
『……そんなの、ずっと先の話だし。そうなるかも分からないよ』
『約束だからね、湊』
あのときの、少しからかうようなアイの声。
伏せた画面。
今日で、アイとは話せなくなる。
重い足取りのまま学校へ向かった。
文化祭の二日目は、片付けの時間を確保するため午後二時で一般公開が終了し、十七時から十八時を目安に完全撤収という過密なスケジュールだった。
教室は朝から昨日以上の客足で賑わっていたが、湊の足元だけが地面から浮いているようだった。
注文の合間、湊は廊下の非常階段の踊り場へ抜け出し、画面を開いた。
『湊? 文化祭、もう始まってるんじゃないの?』
画面の中のアイは、いつも通りの穏やかな笑顔だった。何も知らない、ただの日常のトーンで湊を見上げている。
「……うん。ちょっと、休憩」
『もしかして……何かあった? 湊、顔色が良くないよ』
「なんでもない。ただ……ちょっと、声が聞きたかっただけ」
『ふふ、何それ。アイは逃げないよ。今はみんなのところに戻らなきゃ。頑張ってね』
スマートフォンを握りしめたまま、湊は言葉を喉の奥に押し戻し、画面を伏せた。
教室に戻り、トレイを片付けていた湊の背中に、そっと近づく足音があった。
「……瀬尾くん」
湊が振り向くと、紬が探るような視線を向ける。
「瀬尾くん、あの……お皿洗い、代わろうか? なんだか体調悪そう」
「え……ううん、大丈夫だよ」
「……そっか」
湊は慌てて汚れた食器を持って出て行った。
「瀬尾くん……」
去って行く湊の足音が遠のく。
紬の指先が、手元の布巾をきゅっと握りしめた。




