第37話 やばい!?
文化祭当日の朝。教室には、いつもと違う華やいだ空気が満ちていた。
女子生徒たちは、クラシカルなロング丈の黒いワンピースに、手作りのフリルエプロンを身につけて鏡の前で互いの姿を確認し合っている。
紬もまた、背中の白いリボンを気にしながら、落ち着かない様子でエプロンの裾を整えていた。
「おー、なんかそれっぽいじゃん! みんな三割増しで可愛く見えるぞ!」
黒の蝶ネクタイを雑につけた大輝が、腕を組んで能天気に笑う。
「あんたの一言は余計!」と女子から一斉に睨まれる中、ふと紬がこちらを振り返った。
湊は息を呑み、慌てて視線を床の配線へと逸らした。
「みんな、集まって!」
教卓の前に立った小春が手を叩く。その手には分刻みのシフト表と、びっしり書き込まれた運営マニュアルが握られていた。
「いよいよ開店よ。各自、シフトとマニュアルを厳守すること。想定外のトラブルがあっても、手順通りに報告・連絡・相談を徹底して。必ずこの喫茶『つむぐ』を成功させるわよ!」
凛とした号令に、教室の後ろで蓮がぽつりと呟いた。
「……やっぱあいつ、中身どっかの就活生だろ」
隣にいた湊も、思わず苦笑いを漏らす。
受付の準備をしながら、男子生徒が「そういえば今日のステージ、ご当地アイドル来るらしいぜ」と浮足立ち、女子生徒も「明日は中庭に大道芸人呼んでるんだって」と楽しそうに言葉を交わしていた。
だが――そんな余裕があったのは、開場のアナウンスが流れる前のほんの十分間だけだった。
午前十時。
教室の扉を開けた瞬間、廊下にできていた行列が一気に店内へと流れ込んできた。
神保町風の落ち着いた照明と手書きメニュー、前夜祭ですでに評判になっていたレトロな内装や手書きメニューを目当てに、教室の席は一瞬で満席になった。
「すみません、注文いいですか!」
「アイスコーヒー二つと、卵サンド!」
「プリンまだありますかー!?」
伝票がレジのトレイに山のように積み上がっていく。
注文を通す声、グラスが触れ合う音、氷を砕く音。
小春が完璧に組んだはずのシフト表は、時間が経つにつれて崩壊していった。休憩に入るはずの生徒もエプロンを外せず、手が空いている者は全員が注文取りと配膳に駆り出される総動員体制へと突入していく。
「ぐぬぬ……!」
レジの横で伝票を捌きながら、小春が悔しそうに奥歯を噛み締めた。
分刻みのスケジュールも、想定していた回転率も、押し寄せる人の波の前に完全に吹き飛んでいた。
そして正午を回った頃、厨房スペースから悲鳴のような声が上がった。
「神崎さん、プリン完売です! 冷蔵庫、空っぽになりました!」
「嘘でしょ……!? まだ一時前よ!?」
「卵サンドもあと数食分しかありません! 注文止めますか!?」
店内には、まだ看板メニューを目当てに並んでいる客の列が廊下まで伸びている。
立ち尽くしかけた小春の横から、美羽が身を乗り出して耳打ちした。
「神崎さん、明日の分のパンと卵、調理室の冷蔵庫にキープしてあるよね? 卵サンドだけでも今から作って補充しない?」
小春の瞳に迷いが走ったのは一瞬だった。
手帳を勢いよく閉じると、顔を上げて矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「浅井、佐々木! 自転車で駅前のスーパー行って、明日の分の卵とマヨネーズ、食パンを今すぐ買い足してきて! レシートは必ずもらうこと!」
「お、おう! 任せろ!」
「白石さん達は、調理室へ行って! 明日の材料を使って、大至急卵サンドの仕込みをお願い!」
「はい!」
紬は力強く頷くと、女子生徒二人を連れて、エプロンの裾を翻しながら足早に教室を飛び出して行った。




