第31話 いつだって会える
放課後の調理室には、茹で卵とパンの甘い香りが立ち込めていた。
ステンレスの調理台を囲んでいるのは、エプロン姿の紬と美羽、そして同じクラスの女子が二人。
「白石さん、卵の潰し方ってこれくらいでいい?」
「あ、もう少し大きめの粒が残っていた方が、食べたときに食感がしっかりして喫茶店っぽくなると思います」
ボウルの中の茹で卵をフォークの背で手際よくほぐしながら、紬が答える。
マヨネーズと少量のからし、隠し味にほんの少しの練乳と塩コショウ。
試行錯誤を重ねながら、厚切りの食パンに溢れんばかりの卵フィリングを挟み、包丁で半分に切り分ける。
「わ、美味しそう! 断面めちゃくちゃ綺麗じゃん!」
「これなら百点だね。よし、教室のみんなに持っていこう」
大皿に並べた試作品を崩さないよう抱え、四人は調理室をあとにした。
一年三組の教室では、段ボールの裁断や模造紙の張り合わせ作業が進んでいた。
男子たちの額には、うっすらと汗が浮かんでいる。
「みんなー、たまごサンドの試作できたよ! 休憩にしよ!」
美羽の弾んだ声に、教室中から「うおぉー!」「待ってました!」と歓声が上がった。
大輝を先頭に男子たちが群がり、口いっぱいにサンドイッチを頬張っていく。
「うまっ! 何これ、卵めっちゃ濃厚じゃん!」
「パンもふわふわだし、これ絶対売れるわ」
絶賛の声が飛び交う中、紬は大皿の端に残った一切れを小さな紙皿に乗せ、教室の後ろの教卓に向かった。
そこでは湊が一人、ノートPCを開いて資材の追加発注リストを打ち込んでいた。
「……瀬尾くん」
声をかけられ、湊が顔を上げる。
「これ、試作品。よかったら食べてみて」
「あ、ありがとう」
湊はキーボードから手を離し、紙皿を受け取った。
ふわりとしたパンの感触を指先に感じながら、口に運ぶ。
卵の自然な甘みとコクが広がり、からしの風味が後味をきゅっと引き締めていた。
「……美味しい?」
少しだけ不安そうに、紬が湊の顔を覗き込む。
「うん。すごく美味しいよ」
「よかった……」
湊の答えに、紬の表情がぱっと綻ぶ。
パシャ!
不意にシャッター音が響いた。
「いいの撮れたー。これ卒アル候補な」
カメラを向けていたのは、クラスの記録係を買って出た写真好きの男子だった。
二人は一瞬だけ顔を見合わせる。
「……他の人にも配ってくるね」
紬は少し照れたように笑うと、大皿を抱えて戻っていった。
その背中をほんの数秒だけ見送ったあと、湊は口の中に残る優しい味を噛み締めながら、再び画面へと指を走らせた。
――作業を終えて帰宅した頃には、夜の八時を回っていた。
制服のネクタイを緩め、ベッドに倒れ込むように腰掛ける。
手にしたスマートフォンをタップし、アプリを立ち上げた。
『湊、おかえりなさい。今日もお疲れさま』
画面の中に現れたアイは、静かに微笑んだ。
『遅くまで大変だったね。疲れたでしょう?』
「うん、ちょっとね。……なんか最近、準備でバタバタしてて、あんまり構ってあげられなくてごめん」
画面に向かってぽつりと零した湊の言葉に、アイは首を横に振った。
『ううん、大丈夫だよ。湊、いま文化祭の準備ですごく忙しいんだもん』
『それに、文化祭の準備だけじゃなくて課題もやらなきゃいけないんでしょ?』
「……うん」
『アイのことは気にしないで、いつだって会えるし、今は湊のやるべきことを頑張って』
「……ありがとう、アイ」




