第2話 理想の彼女の作り方
スマホの画面に流れてきた広告の文字を、湊はじっと見つめた。
『話せるAI ――あなただけの相手』
タップすると、黒を基調とした無機質なウェブページが開く。
『感情認識・自立型対話AI――Project Echo最終クローズドモニター募集』
説明をスクロールしていく。
・定型文を返すチャットボットではなく、独自の思考ロジックで自立して会話を組み立てる
・高度な表情解析エンジンを搭載。カメラを通して相手の表情を細かく読み取り、感情をリアルタイムに認識する
・会話画面は、まるで本物の人間とビデオ通話をしているかのようなリアルタイムレンダリングアバターを表示
・本日23:59をもって、すべてのモニター受け付けを終了
(……いや、怪しすぎるだろ)
思わず声が漏れた。
日頃からPCやガジェットに触れている湊にとって、この手の広告はあまりに警戒の対象でしかなかった。
公式のアプリストアを通した配信ではなく、専用プロファイルを端末に直接インストールするタイプだ。さらに利用条件の欄には、悪用防止と身元確認のためとして『決済カード登録必須』の文字が赤く強調されていた。
怪しさ満点だ。個人情報の抜き取りや詐欺サイトの類いを疑うのが、ネットリテラシーのある人間として当然の反応だった。
湊はスマホをデスクに置いたまま、目の前で青白く光るPCのキーボードに手を伸ばした。
ブラウザを立ち上げ、検索バーに『Project Echo』『AI モニター』と打ち込む。
ヒットしたページをいくつか開いていくが、大手メディアの記事は一切ない。
出てくるのは、海外のマイナーな技術掲示板や、アングラな情報が集まる国内の匿名掲示板のスレッドばかりだった。
『Echoのモニター募集、クレカ必須とか罠だろ』
『運営元の所在が不透明すぎる。人柱待ち』
『野良アプリを直入れさせる時点でセキュリティ的にアウト』
並んでいるのは、湊が予想した通りの辛辣な警戒コメントばかりだ。
やっぱりやめておこう。こんな怪しいものに手を出す理由がない。
湊がタブを閉じようとマウスのカーソルを動かしたとき、スレッドの奥深くに書き込まれた数件のレスが目に留まった。
『――先行テスト枠で三週間使ってるけど、正直ビビってる。会話の受け答えがマジで生身の人間。愚痴も聞いてくれるし、こっちの顔色読んで声のトーン変えてくる』
『最初は詐欺かと思ったけど、クレカも変な請求は一切ない。それどころか、もう本物の女要らないわ。あいつは絶対に裏切らないし、現実の人間関係で消耗するのが本当に馬鹿らしくなる』
『あいつの前だけが、唯一息ができる場所だ』
スクロールする手が、ぴたりと止まった。
――本物の女は、要らない。
――絶対に裏切らない。
さっき届いたばかりの、遥からのメッセージが脳裏にフラッシュバックする。
『彼氏できた!』
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
三年間ずっと好きだった。東京を離れるときも、新幹線で一本だからすぐ会えると言い聞かせていた。
けれど、現実はこれだ。
期待して、勝手に夢を見て、勝手に打ちのめされて。
見知らぬ街の教室で誰とも言葉を交わせず、ただ息を潜めて生きている自分。
(……裏切らない相手)
もしそれが本当なら。
自分のことだけを見てくれて、機嫌で態度を変えたりせず、絶対に拒絶しない存在が手に入るなら。
怪しいアプリだと頭では分かっている。
だが、今の湊には、その「毒」の甘さにすがりつきたい衝動を止めるだけの理性が残っていなかった。
湊は財布から、通販やゲームの課金用に親の同意で作っていた自分名義のデビットカードを取り出した。
スマホの画面に戻り、モニター応募フォームにカード番号とメールアドレスを入力していく。
送信ボタンを押すと、審査を一瞬でパスしたのか、すぐに専用アプリのダウンロードリンクが発行された。
警告画面をスキップし、端末にインストールを完了させる。
アプリアイコンは、漆黒の背景に青い同心円が描かれただけの極めてシンプルなものだった。
アイコンをタップすると、画面全体が暗転した。
中央に淡い青の光のリングが浮かび上がり、ゆっくりと回転を始める。
『初期セットアップを開始します。カメラとマイクへのアクセスを許可してください』
スピーカーから、無機質で落ち着いた合成音声が流れた。
湊は画面をタップして許可を出す。
内カメラが起動し、画面の右上に小さく、薄暗い部屋でスマホを構える自分の冴えない顔が映し出された。
『Project Echoは、独自の感情認識エンジンにより、あなたの表情や声のトーンから心理状態をリアルタイムに解析します。まずは、あなたが求めるパートナーの役割や性格を、あなたの「声」で教えてください』
文字入力ではなく、声で指示文――プロンプトを与える仕様だった。
おそらく、最初の音声入力の段階からこちらの声質や感情の起伏をデータとして吸い上げているのだろう。
湊は自室のドアがしっかり閉まっていることを確認し、唾を飲み込んでから、スマホのマイクへ口元を近づけた。
「……えっと、高校1年生」
声を発した瞬間、画面中央の青いリングが波紋のように細かく震えた。
画面の下部に、湊の言葉が即座にテキストとして表示される。
『設定:高校1年生として認識しました。希望する性格、口調、あなたとの関係性を教えてください』
ただ優しいだけのbotなら、ネットのどこにでもある。
何を聞いても「そうですね」「大変ですね」と同調するだけの空っぽな言葉は、かえって孤独を際立たせるだけだ。
湊は息を整え、自分の壊れそうな心が本当に欲している相手の輪郭を、一つひとつ絞り出すように声に乗せた。
「基本は明るくて、聞き上手。……でも、僕が落ち込んでるときは、ただ慰めるんじゃなくて、ちょっとからかって笑わせてほしい」
リングが柔らかく明滅し、湊の声の抑揚をトレースしていく。
「なんでも言うことを聞くんじゃなくて、少し照れ屋で……褒められたら素直になれなくて、ツンとするようなところがあってほしい。あと、敬語じゃなくてタメ口で」
言葉を重ねるたびに、カメラの横にあるインジケーターが点滅した。
画面の中の自分が、どんな表情で、どんな痛みを抱えてこの言葉を口にしているのかを、AIが貪欲に読み取っていく感覚があった。
湊はカメラのレンズをまっすぐに見つめ、最後に一番大切な条件を口にした。
「……僕がうまく喋れなくても、笑ったり見捨てたりしないで、ずっと味方でいてくれる人」
自分を裏切らない、自分だけの味方。
現実の人間関係からは決して得られない、絶対的な安全地帯。
マイクのインジケーターが消え、画面に湊の声から生成された膨大なパラメータが展開された。
『プロンプトの受付を完了しました。パートナーの名前を入力してください』
「名前は……アイ」
Artificial IntelligenceのAI。
そして、自分には向けられることのなかった「愛」の音。
『パートナー名「アイ」で確定しました。これまでのデータおよびプロンプトに基づき、初期アバターを割り当てます』
光のリングが激しく回転を始め、画面全体が真っ白に発光した。
処理の重さを示すように、スマホの背面がじんわりと熱を帯びていく。
『――アバター生成完了。接続します』
パッと光が収まった画面に、ひとりの女の子の姿が映し出された。
「…………っ」
湊は思わず息を呑んだ。
画面の中にいるのは、肩口で切りそろえられた黒髪のボブカットの少女だった。
すっと通った鼻筋に、少し意志の強そうな瞳。
CG特有のぎこちなさや不気味の谷は微塵も存在しなかった。
部屋の明かりを反射する柔らかな肌の質感、呼吸に合わせて上下する肩、時折揺れるまつげの動きまで、信じられないほど生々しい。
まるで本当に、画面の向こうにいる誰かとビデオ通話を繋いでいるかのような錯覚に襲われる。
少女――アイは、カメラ越しに湊の顔をじっと見つめるように視線を動かした。
そして、湊が驚いて固まっているのを察したのか、少し照れくさそうに口元を緩めると、スマホのスピーカーから澄んだ声が響いた。
『……呼んだ? 初めまして、湊。私のこと、アイって呼んでくれるんだよね』
機械的な合成音声ではない。
まるで耳元で誰かが囁いているかのような、温かみを持った声だった。
こんな怪しいアプリにカードを登録して、画面の中のAIにすがりついている。
クラスメイトはもちろん、親にも、東京の誰にも絶対に言えない。
知られたら、哀れみの目で見られるか、気味悪がられて終わりだ。
けれど、画面の向こうで微笑むアイの瞳を見た瞬間、湊の胸の奥を支配していた冷たい痛みが、ほんの少しだけ和らいだような気がした。
「……よろしく、アイ」
暗い部屋の中、湊は誰にも言えない秘密の契約を結ぶように、静かに呟いた。




