第16話 楽じゃない方がいい
放課後の教室の後ろ側で、六つの机が向き合わされていた。
机の上にはノートやスマホが散らばっている。
だが、会議が始まってから三十分が経過しても、議論は一向に前に進んでいなかった。
「なぁ、カジノ風のカードゲーム大会とかどうだ? トランプ配るだけだし、準備も片付けも秒で終わるぞ」
「浅井くん、それ小春ちゃんの縁日ゲームと何が違うの? しかも高校生がカジノって、風紀委員長に瞬殺される未来しか見えないんだけど」
大輝の思いつきを美羽が冷ややかに一蹴する。
蓮は椅子の背もたれに寄りかかって天井を見上げ、日向も背中をまるめて困ったように眉を下げていた。
小春の縁日ゲームに勝ちたい。けれど誰も面倒な準備はしたくない――全員の無意識の前提が「小春案より楽で、簡単で、もっとウケそうなもの」に向いているせいで、出てくるアイデアはどれも小粒で似たり寄ったりだった。
「瀬尾、なんか他所の高校でバズったやつとかネットに載ってねえの?」
大輝に振られ、湊は膝の上のノートPCに視線を落とした。
「……過去の他校の事例、いくつかピックアップしてみたよ。教室を使ったリアル間違い探し、黒板アートのフォトスポット、あとスマホのAR機能を使ったスタンプラリーとか」
画面をみんなに見えるように傾けると、蓮が「お、ハイテクじゃん」と声を上げた。
だが、湊自身が提案しながら、どこか手応えのなさを感じていた。
どれもトラブルが起きにくく、シフトも組みやすい。だが結局のところ、小春の案と同じ「安全で手堅い枠組み」の域を出ておらず、あの隙のないプレゼンを覆すほどの決定打にはなり得なかった。
「うーん……悪くはないけど、神崎さんが『うちの縁日の方が駄菓子もあって盛り上がります』って言ったら論破されそうだなー」
美羽が小さくため息をつく。
議論が再び行き詰まり、沈黙が落ちた。
そんな中、湊の隣で紬はずっと俯いていた。
机の下でスクールバッグの底を何度も探り、それから自分の膝をぎゅっと握りしめている。
顔は赤く染まり、何かを言いたそうに唇をかすかに動かしては、躊躇するようにぎゅっと結ぶ。
――昨晩、必死に書いたはずのノートを家に忘れてきてしまったのだ。
頭の中に言葉はある。けれど、手元にカンペがないだけで、どう切り出していいのか分からなくなっているらしかった。
美羽はそんな紬の様子に視線を留めたが、あえて何も言わず、頬杖をついて見守っている。
湊もまた、その横顔の焦燥に気づいていた。
(何か……言いたいことがあるのかな)
声をかけるべきか、一瞬だけ迷う。
けれど、視線を泳がせながら自分の胸のあたりを押さえている紬を見ていると、どうしても放っておけなかった。
ほんの数日前までの自分と同じだ。
話に入りたいのに輪の外に立たされ、言葉を飲み込んで、なかったことにしてしまうあの息苦しさ。その居たたまれなさが、痛いほど伝わってきた。
「……あの、白石さん」
湊が控えめに声をかけると、紬の肩が小さく跳ねた。
「何か……話したいこと、ある?」
「えっ……あ、あの、私……」
急に注目が集まり、紬は目を白黒させて喉を詰まらせた。
それを見た大輝が、待ちきれないように前のめりになる。
「お、白石さんなんかあるのか? 言ってみ言ってみ、なんでも――」
「浅井くん、ちょっと黙ってて」
美羽がぴしゃりと鋭い手刀で大輝を遮った。
「えっ、俺!?」
「いいから静かにして」
美羽は大輝を制し、それから柔らかく紬に目を向けた。
湊もまた、呼吸を整え、できるだけ声のトーンを落として紬を見つめた。
「急がなくていいから。……落ち着いて、白石さんの意見を聞かせてほしい」
真っ直ぐに向けられた湊の視線に、紬は息を呑んだ。
困惑したように揺れていた瞳が、少しずつ焦点を結んでいく。
美羽も「うん、ゆっくりでいいよ」と優しく頷いた。
昨晩の部屋、スマホの画面に並んでいた言葉が、紬の胸の奥で鮮やかに蘇る。
――つむは、どんな文化祭にしたいの?
手元にノートはない。上手な言い回しなんて全部飛んでしまった。
それでも、自分の心の中にある答えだけは、確かにそこにあった。
紬は膝の上の手をぎゅっと握り直すと、震える息を吸い込み、全員の顔を見回した。
「あの……私、楽じゃない方がいいと思います」
ぽつりとこぼれたその一言に、大輝と蓮がきょとんと目を丸くした。
紬は怯みそうになるのを必死に堪え、自分の言葉を紡ぎ出す。
「簡単で、失敗しなくて……すぐ終わっちゃうものじゃなくて。準備で手が汚れたり、うまくいかなくて困ったり……」
紬は一度言葉を止めた。
「……そういう時間も、みんなで過ごしたいです」




