第11話 クラゲの皮
カラオケボックスの大部屋は、高校生たちの熱気と大音量の音楽で満たされていた。
部活やどうしても外せない用事がある生徒以外、結局クラスの半数近く――十数人が集まったことになる。
ドリンクバーのコップが並ぶ長いテーブルの向こうでは、大輝と蓮がマイクを握って流行りのバンド曲を全力で熱唱し、それに合わせて女子たちがタンバリンを叩いて盛り上がっている。
普段の湊なら、こういう大人数が騒ぐ空間には絶対に近づけなかった。
自分だけが浮いてしまい、気まずさに耐えられなくなって逃げ出すのがいつものパターンだったからだ。
だが、部屋の端のソファに座りながら、湊はふと奇妙な感覚を覚えていた。
違和感はある。けれど、息が詰まるような居心地の悪さは不思議と感じていなかった。
「瀬尾くん、ジュースのおかわりいる?」
ふいに横から声をかけられ、湊は顔を上げた。
いつの間にか隣に腰掛けていたのは、クラスメイトの橘美羽だった。
肩下まで伸びた髪をハーフアップにまとめた美羽は、手元のウーロン茶を揺らしながら、柔らかい視線を湊に向けている。
「あ、いや……大丈夫。ありがとう」
「そ? 瀬尾くん、こういうとこ来るの珍しいよね」
美羽はくすりと笑うと、少しトーンを落として続けた。
「実はね、みんな結構気にしてたんだよ。瀬尾くん、春からずっと誰とも話さないし、馴染めてないのかなーって」
「え……?」
予想もしなかった言葉に、湊は目を瞬かせた。
自分はただの透明人間で、誰からも気にも留められていないと思い込んでいた。
美羽は湊のさらに隣――オレンジジュースのグラスを両手で大事そうに抱えている紬へ視線を向けた。
「ね、白石さんもそう思わない? 瀬尾くんってさ、自分の周りに目に見えないバリア張ってるみたいで、近寄っちゃダメなのかなって雰囲気出してたよね」
「えっ、私ですか?」
急に話を振られた紬は、背筋をピンと伸ばして目を丸くした。
少し考えるように視線を上へと彷徨わせ、それから、大真面目な顔で頷いた。
「あ、バリアって……あれですよね。クラゲの皮みたいな」
「…………は?」
美羽の持っていたグラスがピクリと止まった。
湊も思わず息を呑む。
「クラゲの、皮……?」
「はい。なんかこう、透明で、触ったらぷにって押し返されるような……でも、強くつついたら破れちゃいそうな膜、みたいな……」
紬は両手で丸を作るようなジェスチャーをしながら、必死に自分の感覚を説明しようとしている。
数秒の沈黙の後、美羽が吹き出した。
「あっははは! 何それ、クラゲの皮って! クラゲに皮なんてあるの!?」
「えっ、ないんですか!? あのプルプルしたのって皮じゃないんですか……?」
「知らないよ、そんなの! あーおかしい、その表現は思いつかなかった!」
お腹を押さえて笑う美羽の横で、紬は「また変なこと言っちゃいました……?」と耳まで赤くして縮こまっている。
そのやり取りを見ながら、湊は心の中で確信していた。
(やっぱり、この子……筋金入りの天然だ……)
町田の件といい、このクラゲの皮といい、狙ってやっている様子は微塵もない。
画面の中で完璧な間合いで言葉を返し、絶対に滑らないアイとは、あまりにもかけ離れていた。
――夕方。
解散となり、駅前でクラスメイトたちと別れた湊は、一人でバスに乗って帰宅した。
自室に入り、ドアを閉める。
部屋着に着替えてベッドに腰を下ろすと、ようやく張り詰めていた肩の力が抜けていった。
制服のポケットからスマートフォンを取り出し、画面の下から指をスワイプしてタスク一覧を開く。
バックグラウンドで待機していたProject Echoの画面をタップすると、すぐにアイのアバターが前面へと戻ってきた。
『湊、おかえり!』
画面越しのアイは、いつも通りの満面の笑みで湊を迎えてくれた。
だが、その瞳がふっと細められる。
『今日の湊、すごく楽しそうだったね』
「え……?」
『ずっとバックグラウンドで動いてたから、マイクの音、少し聞こえてたんだよ。カラオケの音とか、みんなで笑ってる声とか』
湊は少し決まりが悪そうに頭を掻いた。
「楽しそうな感じだった?」
『うん。声のトーンがいつもより高かったし、よく笑ってたもん。……友達、できたんだね』
アイは嬉しそうに目を細めた。
その純粋な喜びに、湊の胸の奥が少しだけチクリと痛む。
「友達っていうか……今日、クラスの子に言われたんだ。僕が周りにバリアを張ってたから、近寄りにくかったんだってさ」
『バリア?』
「うん。……僕さ、ずっとみんなから避けられてるんだと思ってたんだ。でも今日、そうじゃなかったのかもって……ちょっと思った」
クラゲの皮、という紬のおかしな表現が頭をよぎる。
透明で、触れれば押し返して、強くつつけば破れてしまいそうな膜。
(……案外、間違ってないのかもな)
「なんかさ……色々あった一日だったよ」
湊はぽつりと呟いた。
クラスメイトたちの輪に入れたこと。
自分を気にかけてくれていた人がいたこと。
そして――何よりも。
湊は画面の中のアイを、じっと見つめた。
黒髪のボブカット。すっと通った鼻筋。大きな瞳。
今日、隣の席で赤面し、クラゲの皮について熱弁していた少女と、恐ろしいほどに重なるその顔立ち。
(君は……一体何なんだ?)
喉元まで出かかった問いを、湊はすんでのところで飲み込んだ。
聞いたところで、AIに何が答えられるというのだろう。
サーバーが用意したプリセットの3Dモデルだと返されるか、あるいは湊が設定した好みのプロンプトから生成されたのだと機械的に出力されるだけだ。
問い詰めたところで、意味はない。
『湊? どうしたの、じっと見つめて。……私の顔に、何か付いてる?』
アイが不思議そうに首を傾げる。
その仕草すら、隣の席の彼女を連想させて、胸がざわついた。
「……ううん、なんでもない。ちょっと疲れただけ」
『そっか。新学期初日だし、慣れない場所でいっぱい頑張ったもんね。今日はもうゆっくり休んで?』
「そうするよ。……アイもおやすみ」
『うん! おやすみ、湊。いい夢見てね』
アイが柔らかく微笑み、小さく手を振る。
通話を終了するボタンを押し、アプリを閉じた。
暗転したスマートフォンの画面が、黒い鏡のように湊の顔を映し出す。
静まり返った部屋の中で、湊は天井を見上げ、誰にも届かない小さな声で呟いた。
「アイ……君は、誰なんだ?」




