第12話 見えてないだけかもよ?
帰宅した自室で、紬は制服のスカートを脱ぎ捨て、部屋着のパーカーに身を包んだ。
ベッドの上に倒れ込むと、一日中張り詰めていた緊張が一気に解け、身体がマットレスへと沈み込んでいく。
疲れた。けれど、昨晩胸を押しつぶしていた重苦しい冷たさは、どこにも残っていなかった。
紬はうつ伏せのままスマートフォンを手に取り、トークルームを開いた。
相手の表示名は『しーちゃん』。
昨晩の約束通り、指先を動かして文字を打ち込んでいく。
《帰ってきたよ!》
《今日ね、放課後にクラスのみんなとカラオケに行ったの! 十人以上も集まって、すごく賑やかだった》
送信した直後、画面に既読がついた。
すぐにポン、と返信が届く。
『えっ、いきなりカラオケ!? 展開早すぎ!』
『ほらねー、言った通りでしょ。心配しすぎだったのよ笑』
続けて、得意げな顔をしたウサギが肘をツンツンと小突いてくるスタンプが送られてきた。
まるで本当に、隣で悪戯っぽく笑いながら肘で突っつかれているような感覚になる。
紬の口元が自然と緩んだ。
《陽気な土地がらだからかな、みんな優しかったよ。まだちょっと緊張するけど、思ってたよりずっといいクラスかも》
『よかったじゃん。楽しそうで安心した』
と、それまでテンポよく進んでいたメッセージだったが、紬の指がふと画面の上で止まった。
今日の教室でのやり取り、そしてカラオケでの一幕が頭をよぎる。
《……でもね、やっぱり今日も変なこと言っちゃった》
『変なこと? 何言ったの?』
《東京から来たのに町田を神奈川だと思ってて笑われたり、バリアの話になったとき「クラゲの皮みたい」って言っちゃって……》
画面の向こうの相手が「は?」と目を丸くしている姿が目に浮かぶようだった。
紬は小さくため息を落とし、胸の内にずっと引っかかっていた情けなさを吐き出すように文字を連ねた。
《隣の席の瀬尾くんにも、すごく変な顔された……》
《でも、ちゃんと最後まで話は聞いてくれたけど》
《私、どうしてこうなんだろう》
《ちゃんと正確に伝えなきゃって思うと、言葉がまとまらなくて黙り込んじゃうのに……何か思いついたときは、頭に浮かんだ変なことそのまま口から出ちゃうの》
《直したいのに、全然直らないよ》
転校初日からクラスを和ませたといえば聞こえはいいが、要するにただの失敗だ。
《しーちゃんみたいに誰とでも器用に会話を回せない……》
しばらく既読のまま沈黙が流れたあと、画面が更新された。
『それが、つむでしょ』
ぽつりと届いた短い一文に、紬は目を瞬かせた。
『正確に言おうとして固まっちゃうのは、それだけ相手に嘘をつきたくないからだし』
『ポロッと変なこと言っちゃうのも、つむが一生懸命感じたことをそのまま届けてるからじゃん』
『そういう不器用なところも含めて、つむなんだよ。無理に直そうとしなくていいの』
画面越しに届くその言葉は、どこまでも優しく、紬のちっぽけな劣等感を包み込んでくれた。
じわりと目頭が熱くなる。
胸いっぱいの感謝を込めて、紬はメッセージを返した。
《ありがとう、しーちゃん》
《やっぱり、私のことを本当に理解してくれるのは、しーちゃんだけだね》
すると、画面の向こうから、少し間を置いて返信が届いた。
『んー、どうかな』
『それは、つむが見えてないだけかもよ?』
《え? 見えてない?》
『あんたのそのクラゲの皮みたいな不器用さ、案外みんな面白がって受け入れてくれてるんじゃないのってこと』
『隣の席の子とか、変な顔しながらもちゃんと話聞いてくれたんでしょ?』
隣の席――。
その言葉に、今日一日、ずっと隣で困惑したように自分を見つめていた瀬尾湊の顔がふいに浮かび上がった。
町田の時も、クラゲの皮の時も、呆れたように目を見開きながら、それでも湊は紬の話を途中で遮ったりはしなかった。
(……そうなのかな)
紬が考え込んでいると、ぽん、と新しいメッセージが届く。
『はい、夜更かしはおしまい! こっちはもう消灯時間過ぎてるんだから』
『明日も学校なんだから、ちゃんぽん寝なさいよ』
《ちゃんぽんじゃなくて、ちゃんと、でしょ笑》
『誤字!笑 じゃあね、おやすみ』
《うん。おやすみなさい》
トーク画面を閉じ、スマートフォンの画面が暗転する。
手の中で熱を持った端末をぎゅっと抱きしめながら、紬は静かに息を吐いた。
見えていないだけ。
先ほどの言葉を胸の中で反芻しながら、紬は心地よい疲労感に身を委ね、ゆっくりと眠りへと落ちていった。




