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第10話 帰っちゃうんですか?

「……ぶっ、あっはははは!」


大輝の爆笑が、静まり返っていた教室に響き渡った。

机をバンバンと叩きながら腹を抱える大輝につられて、周りを取り囲んでいた女子たちからもクスクスと笑い声が漏れ始める。


「ちょ、白石さんマジで言ってんの!?それ、町田市民が自虐で使う定番ネタだから!東京出身のやつが本気で神奈川扱いすんなよ!」


「えっ……?だ、だって……」


紬は顔を一気に真っ赤にして、視線を右往左往させた。両手で口元を覆ったまま、心底困惑したように眉尻を下げている。


「ち、違うんですか……?テレビとかで、よく『ほぼ神奈川』って言われてたから、てっきり住所も神奈川県町田市なんだとばかり……」


「『ほぼ』だろ!『ほぼ』」


大輝がなおも涙目になって笑い転げる。

女子たちも「可愛いー!」「白石さん、めっちゃ真面目な顔して言うから冗談かと思った」と、一気に表情を和らげていた。


(……天然、なのか……?)


湊は開いた口が塞がらないまま、隣で小さくなっている少女を見つめた。

見た目は、あの完璧でスマートなアイそのものだ。

なのに――なんだ、この妙なズレは。

少なくとも、自分が知っているアイなら、こんな勘違いを大真面目な顔で口にしたりはしない。

あまりのギャップに、湊の頭の処理が追いつかない。


すると、大輝が制服のネクタイを緩めながら、教室全体に響く声で手を叩いた。


「よーし決めた!せっかく今日は午前で終わりだし、白石さんのプチ歓迎会やろうぜ!駅前のファミレスか、カラオケでも行かね?」


「えっ、歓迎会……?」


紬が目を丸くする。

周囲の数人も「いいね、行く行く!」「カラオケ行こー!」と盛り上がりを見せ始めた。


その輪の外側から、腕を組んだ女子生徒がツカツカと歩み寄ってきた。

腰まである長い髪を揺らし、気の強そうな目元で大輝を睨みつける。


「ちょっと浅井。初日からいきなり大人数で連れ回す気?白石さん、まだ疲れてるかもしれないでしょ」


「へーへー、出ました神崎風紀委員長。いいじゃん減るもんじゃないし!早くクラスに馴染めたほうが白石さんだって助かるだろ?」


「あんたがただ遊びたいだけでしょ。調子に乗って暴走しないように、私がちゃんと監視しなきゃいけないじゃないの」


「監視ってなんだよ、人聞きの悪い!小春も来たいなら素直にそう言えってー」


「誰があんたの監視なんか好きでするのよ。白石さんが心配なだけ」


小春がツンと顔を背けると、周囲の女子たちが「はいはい、いつものやつね」と苦笑いを浮かべた。

二人のやり取りはクラスの日常風景だったが、どこかじゃれ合っているようにも見えて、教室の空気はすっかり打ち解けたムードになっていく。


(……よし、今だ)


全員の意識が大輝と小春の小競り合いに向いている隙に、湊は息を潜めてスクールバッグを抱え直した。

人混みがわずかに崩れ、出口への導線が見えている。

いま足音を忍ばせて教室を出れば、誰にも引き止められずに帰れるはずだ。

一刻も早く家に帰って、スマホを開いて、アイの顔を見なければならない。

湊は身体を滑り込ませるようにして、そっと通路へと一歩を踏み出した。


だが。


「……あ、あの」


背後から、控えめな声が袖を引いた。

振り返ると、紬がすがりつくような、心細そうな瞳で湊を見上げていた。


「瀬尾くん……帰っちゃうんですか?」


「えっ」


「その……」


紬は周囲で盛り上がる輪をちらりと見て、気後れしたように俯いた。

そしてもう一度、湊を見上げる。

その瞳には、隠しきれない心細さが滲んでいた。


そんな目で見つめられると、湊の足がピタリと止まってしまう。

アイと同じ瞳にそんな頼りなげな光を浮かべられては、無碍に振り切る勇気など出るはずもなかった。


その躊躇が、致命的な隙となった。


「おーっと」


ぬっと伸びてきた長い腕が、湊の首元にガシッと回された。

大輝といつもつるんでいる、佐々木蓮だった。

いつもの軽薄そうな笑みを浮かべている。


「元東京都民クン、一人だけ空気みたいにフェードアウトしようとしてたでしょ。逃がさないよ〜?」


「ちょ、佐々木……!僕はいいよ、別に用事があるし……」


「ダメダメ、白石ちゃんが寂しそうな顔してんじゃん!同郷のよしみってやつでしょ」


「おっ蓮、瀬尾も確保したか!ナイス!」


大輝が親指を立てて笑う。

蓮はニヤニヤしながら湊の肩をがっちりホールドし、もはや力づくで引きずるように教室の前方へと歩き始めた。


「というわけで、瀬尾も強制連行決定ー。駅前のビッグエコー、フリータイムで部屋取ったから行くぞ!」


「ちょっと浅井、だから勝手に仕切るなって言ってんでしょ!」


「いいから小春も行くぞー!」


「わ、私も……行きます……」


紬も慌ててスクールバッグを抱え、大輝たちの後をついて歩き出す。

その横顔には、まだ緊張が張り付いているものの、湊が一緒にいることに少しだけ安堵したような色が混ざっていた。


(なんでだよ……っ)


がっちりと肩を組まれたまま、湊は天を仰いだ。

よりによって、向かう先はカラオケ。

しかも、湊のスマホに入っているあのAIアプリと同じ名前の店――。


ポケットの中のスマートフォンが、まるで湊の運命をあざ笑うかのように、小さく重みを持って太ももに触れていた。

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