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第二十三話 地上への逃走

 ゴブリンだった。


 前方の線路の上。


 四匹。


 緑色の皮膚。


 小柄な身体。


 長い腕。


 その手には。


 鉄パイプのようなものと。


 どこかから奪ったらしい刃物が見えた。


 港区は工場が多いため、鉄パイプはそこから奪ったのだろう。


 刃物の方は石を粗削りしたもののように見えた。


 おそらく向こうの世界で作ったものだろう。


 道具を作れるほどの知能を持っているということだ。


 恒一は、動けなかった。


 前は塞がれている。


 後ろには。


 中島駅がある。


 逃げるなら。


 戻るしかない。


 そう考えたところで一匹が顔を上げた。


 濁った目が。


 まっすぐ恒一を見た。


 甲高い鳴き声が響く。


 残りの三匹も。


 一斉にこちらを向いた。


「……っ」


 恒一は走った。


 今度は考える余裕などなかった。


 中島駅へ向かって。


 枕木を踏む。


 砂利に足を取られる。


 後ろから。


 小さな足音が追ってくる。


 速い。


 速すぎる。


 人間の足では。


 長くは逃げ切れない。


 中島駅のホームが見えた。


 屋根。


 柱。


 停止した案内表示。


 あと少し。


 恒一は、ホーム下のコンクリートの縁へ飛びついた。


 両手を掛ける。


 身体を持ち上げる。


 腕が震える。


 昨日からの疲労で。


 力が入らない。


 背後で。


 ゴブリンの鳴き声が近付く。


「上がれ……!」


 恒一は、歯を食いしばった。


 膝を縁へ掛ける。


 腹を押し付ける。


 そして。


 ホームの床へ転がり込んだ。


 肩を打つ。


 痛みで息が詰まる。


 だが。


 休んでいる時間はない。


 恒一は立ち上がった。


 二階のホームから一階の改札へ続く階段へ走る。


 二階。


 一階。


 段差を飛ばすように駆け下りた。


 後ろから。


 何かがホームの床を叩く音がした。


 ゴブリンも。


 ホームへ上がってきたのかもしれない。


 振り返らなかった。


 見れば。


 足が止まる。


 改札を飛び越え、駅の外へ飛び出す。


 駅の外へ飛び出す。


 中島駅前には、人影がなかった。


 誰もいない自転車置き場。


 誰もいないロータリー。


 恒一は道路を横切った。


 そして、目の前にコンビニが見えた。


 自動ドアは開いたまま。


 店内は暗い。


 人影はない。


 助けを求める相手も。


 隠れる相手も。


 そこにはいなかった。


 恒一はコンビニの横を駆け抜けた。


 建物の裏へ回り、住宅街の細い道へ入る。


 振り返らない。


 後ろを見れば。


 足が止まりそうだった。


 ゴブリンたちは。


 まだ追ってきているだろうか。


 駅から。


 道路へ下りて。


 こちらへ向かっているだろうか。


 分からない。


 ただ。


 コンビニに興味を持ってくれることを祈った。


 食べ物でも。


 店の中に残された何かでもいい。


 人間ではない別のものへ。


 奴らの意識が向いてくれればいい。


 恒一は脇道へ飛び込んだ。


 更に曲がり角を曲がる。


 塀沿いを走る。


 また曲がる。


 家と家の間を抜ける。


 後ろから。


 ゴブリンの足音が聞こえる気がする。


 けれど。


 それは自分の心臓の音かもしれなかった。


 走る。


 ただ。


 走る。


 五分ほど走ったところで。


 肺が限界になった。


 恒一は古いアパートの駐車場へ身を滑り込ませる。


 車の陰へしゃがみ込んだ。


 肩で息をする。


 恐る恐る。


 後ろを見る。


 誰もいない。


 ゴブリンもいない。


 追ってくる様子はなかった。


「……助かった」


 小さく呟いた。


 まだ。


 家までは一時間ほどある。


 恒一は、ゆっくり立ち上がった。


 それからは。


 走らなかった。


 走れば。


 怪物に見つかった時に逃げ切る体力がなくなる。


 怪物より早く走れる保証はないが。


 そこからは軽い早足で家を目指した。


 港区の住宅街には。


 まだ日常の形が残っていた。


 遠くで車の走る音がする。


 実際に。


 何台かの車が道路を走っていた。


 知立のような地獄ではない。


 名古屋駅のような戦場でもない。


 異世界生物の侵入が。


 まだ多くないのかもしれなかった。


 それでも。


 外を歩く人間はいない。


 窓を閉め。


 カーテンも閉まっている。


 恒一は、家の方向を見る。


 美沙。


 結菜。


 晴翔。


 もう少しだ。


 そう思った時だった。


「いやぁぁぁぁっ!」


 悲鳴が聞こえた。


 五十メートルほど先。


 一軒家の駐車場だった。


 白いミニバン。


 その周りに。


 二匹の生き物がいる。


 犬に似た頭。


 灰褐色の毛。


 前脚のように長い腕。


 牙。


 コボルトだった。


 一匹が。


 ミニバンの窓を叩いている。


 もう一匹は。


 ドアを爪で引っ掻いていた。


 車内の後部座席では女性が悲鳴をあげている。


 そして、女性の横にはチャイルドシートに座った幼い子供。


 子供は泣いていた。


 恒一は足を止める。


 危機的状況だ。


 見捨てて通り過ぎれば女性と子供はコボルトに殺されるかもしれない。


 しかし。


 しかし . . . 。


 助けに行けば . . . 。


 自分も死ぬかもしれない . . . 。


 家まで。


 あと少しなのに . . . 。


 その時、コボルトが窓へもう一度、爪を振り下ろした。


 ばき、と。


 ガラスにひびが入る。


 恒一の手が。


 無意識に、腰ポケットのスタンガンを握った。

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