第十五章 帰る理由
ドラゴンが倒れたあとも。
誰もすぐには口を開かなかった。
テレビから流れるのは。
アナウンサーの震えた声だけだった。
『繰り返します』
『現在、自衛隊による確認作業が続いています』
『現地では依然として戦闘が――』
映像は再び岡崎市内へ戻る。
ドラゴンが倒れた周囲には黒煙が立ち込めていた。
消防車。
救急車。
自衛隊車両。
しかし。
その映像よりも。
恒一の目を引いたものがあった。
黒い蔓だった。
焼け焦げた道路の隙間から。
瓦礫を押し上げるように。
ゆっくりと伸びている。
炎の届いていない場所では。
異形の植物はまだ生きていた。
『植物の拡大も確認されています』
『現在、火炎放射器による焼却を継続しています』
画面には。
ガスマスク姿の隊員達が映る。
炎を浴びても。
完全には燃え切らない蔓。
切っても。
また別の場所から伸びる枝。
生命力がおかしかった。
「ドラゴンは倒せても……」
恒一は小さく呟いた。
「植物は残るんですね……」
佐伯も頷く。
「そうみたいですね。」
誰も明るい声は出せなかった。
ドラゴンが倒れた。
それは希望だった。
だが。
世界は元には戻らない。
その現実だけが。
静かに部屋へ広がっていた。
しばらくして。
ニュース番組は緊急会見へ切り替わる。
政府関係者。
防衛省。
警察庁。
次々と画面へ映る。
『不要不急の外出は控えてください』
『避難指示が出ている地域へは近付かないでください』
『自宅待機が可能な方は――』
自宅待機。
その言葉を聞いて。
恒一は苦笑した。
帰る家が。
遠かった。
港区。
まだ十キロ以上も先。
ここは。
佐伯の家だ。
その時。
「恒一さん。」
佐伯が静かに声を掛けた。
「さっきの話ですけど。」
「はい。」
「やっぱり、しばらくここにいた方がいいと思います。」
佐伯はテレビを見つめたまま続ける。
「外は危険すぎます。」
「ドラゴンは倒れましたけど。」
「まだゴブリンもいます。」
「ワイバーンもいます。」
「さっきテレビにも映ってましたけど、名古屋にも昆虫型の化け物が出ています。」
「無理して動く必要はないですよ。」
美奈も頷く。
「そうですよ。」
「食料なら何とかなると思います。」
長女の莉央も続けた。
「非常食、まだ結構ありますから。」
次女の結衣が優しく微笑む。
「遠慮しないでください。」
「困った時は助け合いですから。」
恒一は俯いた。
ありがたい。
本当にありがたかった。
しかし。
異世界の植物たちを見てから妙な胸騒ぎを感じていた。
早く愛知を離れなければ。
愛知に広がっていく植物たちによって家の中にいても安全ではなくなるのではないか。
ドラゴンを倒せても、植物の広がりを抑えることはできていないように見えた。
家には。
美沙がいる。
結菜がいる。
晴翔がいる。
守らなければ。
そのためには帰らなければ。
「……ありがとうございます。」
恒一はゆっくり頭を下げた。
「でも。」
言葉が止まる。
「家族が心配です。」
「だから。」
「帰りたい。」
部屋が静かになる。
佐伯は何も言わなかった。
責めもしない。
止めもしない。
しばらくして。
「そうですよね。」
それだけだった。
恒一は頷いた。
「今日は休みます。」
「でも。」
「明日の朝、出発します。」
その言葉で。
自分の中でも。
覚悟が固まった気がした。
その夜。
布団へ入っても。
なかなか眠れなかった。
戦闘機。
ワイバーン。
ゴブリン。
ヴェロキラプトル。
そして。
ドラゴン。
今日一日で見たものが。
次々と思い浮かぶ。
だが。
最後に浮かんだのは。
家族の笑顔だった。
美沙。
結菜。
晴翔。
「帰る。」
小さく呟く。
それだけで。
少しだけ心が落ち着いた。
いつの間にか。
恒一は眠りについていた。
翌朝。
まだ朝日が低い時間だった。
恒一は静かに身支度を整える。
リビングへ行くと。
佐伯はすでに起きていた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
朝食は簡単なものだった。
乾パン。
缶詰。
水。
非常時らしい食事だったが。
心が温かくなった。
「気を付けてくださいね。」
そう言って笑う。
恒一は深く頭を下げた。
「本当にお世話になりました。」
玄関で靴を履いていると。
「そうだ。」
佐伯が二階へ上がっていく。
しばらくして戻ってきた。
手には小さな黒いケース。
「これ。」
中には。
スタンガンが入っていた。
「護身用です。」
「昔、防犯用に買ったんですけど。」
「役に立つか分かりません。」
「でも。」
「何もないよりはいいと思います。」
恒一はケースを受け取る。
思ったより軽かった。
「ありがとうございます。」
「必ず返しに来ます。」
佐伯は笑った。
「約束ですよ。」
二人は握手を交わす。
玄関の鍵が開く。
朝の空気が流れ込む。
静かだった。
静かすぎる朝だった。
だからこそ。
どこかに怪物がいることが恐ろしい。
恒一は自転車へ跨る。
港区まで。
まだ遠い。
それでも。
帰るしかない。
家族の待つ場所へ。
ペダルを踏み込む。
新しい一日が始まった。




