表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/18

第十一章 追跡者たち

 戦闘機とワイバーンの空戦を後にした恒一と佐伯は、再び自転車を走らせていた。


 上空ではまだ戦闘が続いているらしい。


 遠くから微かに轟音が聞こえる。


 だがもう姿は見えなかった。


 戦場が移動したのだろう。


 恒一は少しだけ安堵していた。


 少なくとも今は。


 空に意識を奪われて地上への警戒が薄くなる状況ではなくなった。


 ただ、気を抜けるような状況ではもちろんなかった。


 自転車には別の問題があった。


 音だ。


 タイヤの回転音。


 チェーンの音。


 段差を越える音。


 人間の足音より大きい。


 異世界生物達の耳がどれほど良いのかはわからないが、気づかれたら逃げ切れる保証はない。


 だから二人は全力では漕がず、慎重に進んだ。


 角を曲がる前は止まる。


 建物の陰から確認する。


 危険なら引き返す。


 そんな移動だった。


 まるで敵地を進む兵士だった。


 もちろん二人にそんな経験はない。


 ただ死にたくないだけだ。


 それだけだった。


 十分ほど進んだ頃。


 異変に気付いたのは佐伯だった。


 突然ブレーキを握る。


 恒一も慌てて止まった。


 佐伯が前方を指差す。


 声は出さない。


 恒一も目を凝らした。


 道路脇。


 コンビニだった。


 駐車場に数台の車。


 入口付近には血痕。


 ガラスは割れている。


 そして。


 動く影。


 人間ではなかった。


 小さい。


 ゴブリンだ。


 三体。


 駐車場を歩き回っている。


 何かを探しているようだった。


 いや。


 漁っている。


 落ちている袋。


 転がった荷物。


 車内。


 そういうものを調べている。


 妙だった。


 恒一は眉をひそめた。


 知立駅で見たオーガ。


 そして、ワイバーン。


 あれは明らかに捕食者だった。


 だがゴブリンは違う。


 もっと人間に近い。


 何かを集めているように見える。


 知能がある。


 その事実が不気味だった。


 すると。


 一体がコンビニから出てきた。


 両手で何かを抱えている。


 ゴブリンはそれを仲間に見せている。


 意味は分からない。


 だが行動に目的がある。


 それだけは分かった。


 恒一の背筋に冷たいものが走った。


 化け物なのに。


 考えている。


 それが怖かった。


 佐伯が耳元で囁く。


 「迂回しましょう」


 恒一は即座に頷いた。


 戦う理由がない。


 見つかる理由もない。


 二人は静かに後退した。


 その時だった。


 遠くから叫び声が聞こえた。


 男の声。


 助けを求める声。


 二人は反射的に振り返る。


 道路の向こう側。


 住宅街の方だった。


 誰かが走っている。


 三十代くらいの男性。


 手には金属バット。


 その後ろ。


 四体。


 ゴブリン。


 追われていた。


 男は必死だった。


 振り返りながら走る。


 足元がふらついている。


 疲労しているのが分かった。


 そして。


 転んだ。


 アスファルトへ倒れる。


 恒一は息を呑んだ。


 男が立ち上がる。


 ゴブリンが迫る。


 金属バットを振る。


 一体の顔面へ命中。


 吹き飛ぶ。


 だが。


 残り三体は止まらない。


 二体が左右へ広がる。


 逃げ道を塞ぐように。


 男が後退する。


 さらに先ほどバッドで殴られた一体が回り込む。


 包囲だった。


 男が叫ぶ。


 「来るなぁ、あっちへ行けぇぇ!」


 バットを振る。


 焦りで動きが大きい。


 その隙だった。


 一体が足へ飛びつく。


 さらにもう一体。


 肩へ。


 背中へ。


 絶叫が響いた。


 恒一は動けなかった。


 助けなければ。


 一瞬そう思う。


 だが距離がある。


 間に合わない。


 何より。


 自分が死ぬ。


 その現実が脳を支配した。


 男の叫び声が続く。


 だんだん小さくなる。


 やがて聞こえなくなった。


 静寂。


 風の音だけが残る。


 佐伯が低く言った。


 「行きましょう」


 責める声ではなかった。


 ただ事実だった。


 どうしようもない。


 助けられなかった。


 恒一は唇を噛んだ。


 胸の奥が苦しかった。


 もし自分だったら。


 もし美沙だったら。


 もし結菜だったら。


 もし晴翔だったら。


 考えた瞬間に吐き気が込み上げる。


 やめろ。


 今は考えるな。


 帰るんだ。


 帰る。


 それだけだ。


 コンビニのゴブリン達が先ほどの騒ぎに気を取られた様子はない。


 今日一日の中で人間が叫ぶ声というものはありふれたものとなった。


 そういうことかもしれない。


 二人は再び自転車を漕ぎ始めた。


 さらに十分ほど進んだ頃。


 別のコンビニが見えた。


 こちらは完全に荒らされていた。


 レジが壊れている。


 ガラスも割れている。


 店内は薄暗い。


 恒一は何気なく視線を向けた。


 そして気付いた。


 店内で動いている。


 人間よりかなり小さい。


 緑色で痩せた身体。


「またゴブリンか……」


 五体。


 いや六体。


 店内を漁っていた。


 商品棚を倒している。


 何かを食べている個体もいる。


 ペットボトルを持ち上げて投げ捨てる。


 菓子を引き裂く。


 荒らしている。


 そんな表現が一番近かった。


「何してるんですかね……」


 佐伯が小声で呟く。


「分かりません」


 本当に分からなかった。


 食料を探しているようにも見える。


 ただ興味本位で壊しているようにも見える。


 知能がある。


 だが人間とは違う。


 それだけは確かだった。


 その時。


 一体が店外へ出てきた。


 周囲を見回す。


 恒一は素早く民家の壁に隠れ、息を止めた。


 頼む。


 気付くな。


 そう思った。


 だが。


 様子をうかがうために顔を少し出した瞬間、ゴブリンの顔がこちらを向いた。


 目が合った気がした。


 数十メートル。


 距離はあった。


 しかし。


 ゴブリンが甲高い声を上げた。


 仲間を呼ぶように。


「まずい!」


 佐伯が叫んだ。


 次の瞬間。


 コンビニからゴブリン達が飛び出してくる。


 六体。


 一斉だった。


 恒一達へ向かってくる。


「逃げろ!」


 二人は同時にペダルを踏み込んだ。


 自転車が加速する。


 風が顔を叩く。


 背後から叫び声が聞こえる。


 振り返る余裕はない。


 ただ漕ぐ。


 必死に漕ぐ。


 角を曲がる。


 さらに曲がる。


 ゴブリンは追ってきた。


 足音。


 叫び声。


 近い。


 思ったより速い。


「まだいる!」


 佐伯が叫ぶ。


 恒一も分かっていた。


 だが。


 自転車の方が速い。


 少なくとも直線なら。


 距離が開く。


 少しずつ。


 確実に。


 さらに角を曲がる。


 細い路地へ入る。


 建物が視界を遮る。


 ようやく。


 足音が聞こえなくなった。


 二人は数百メートル先で停止した。


 息が切れる。


 肺が痛い。


「はぁ……はぁ……」


 汗が止まらない。


 だが。


 生きていた。


「助かった……」


 自転車がなければ危なかった。


 本気でそう思った。


 あれを徒歩で振り切るのは難しかっただろう。


 だが。


 その考えはすぐに覆されることになる。


 しばらく進んだ先だった。


 広い駐車場が見えた。


 大型飲食店や店舗が並ぶ区画だったらしい。


 今は車が放置されている。


 何台も。


 何十台も。


 静まり返っていた。


 恒一は交差点の角から様子を窺った。


 そして。


 違和感を覚えた。


「……あれ」


 駐車場の中央付近。


 何かが動いた。


 低い。


 細い。


 茶色い影。


 次の瞬間。


 恒一の全身が強張った。


 見覚えがあった。


 長い尾。


 後ろ脚だけで走る身体。


 鋭い爪。


 ヴェロキラプトルだった。


 以前にも群れを見た。


 だが今回は場所が違う。


 公園ではない。


 広い駐車場だった。


 しかも。


 数が多い。


 六体。


 七体。


 いや。


 もっといる。


 放置車両の陰から次々と現れる。


 群れだった。


「……いるな」


 佐伯も気付いた。


 二人は建物の陰から動かなかった。


 近付く気など起きない。


 その時。


 駐車場の反対側から人影が現れた。


 三人。


 若い男性達だった。


 一人は原付バイク。


 二人は徒歩。


 何かを探していたのかもしれない。


 彼らはまだ気付いていなかった。


 ヴェロキラプトルの群れに。


 恒一は叫びそうになった。


 だが距離がある。


 声を出せば自分達も危険だった。


 そして。


 群れが動いた。


 まるで合図でもあったように。


 一斉に散開する。


 左右へ広がる。


 車の陰を使う。


 低い姿勢。


 無駄がない。


「……囲んでる」


 佐伯が呟いた。


 恒一も理解した。


 狩りだ。


 人間を追うのではない。


 逃げ道を潰している。


 若者達もようやく気付いた。


 原付の男が叫ぶ。


 振り返る。


 その瞬間だった。


 一体が飛び出した。


 速い。


 異常なほど速い。


 車と車の間を一瞬で駆け抜ける。


 若者達が逃げる。


 だが。


 群れは既に横にもいた。


 前にもいた。


 包囲されていた。


 恒一は息を呑んだ。


 原付が急発進する。


 エンジン音。


 加速。


 逃げられる。


 一瞬そう思った。


 だが違った。


 群れの先頭が並走した。


「は……?」


 恒一は目を疑った。


 速い。


 原付に食らいついている。


 いや。


 追い抜こうとしている。


 数秒後には横の距離が詰まった。


 原付が大きく蛇行する。


 そして視界の外へ消えた。


 その後の様子は見えなかった。


 見えなかったが。


 結果を想像するのは難しくなかった。


 残された二人の若者も必死に逃げていた。


 群れが追う。


 車列の間へ消える。


 悲鳴が聞こえた。


 それだけだった。


 恒一は動けなかった。


 頭の中で別のことを考えていた。


 自転車。


 今乗っている自転車。


 クロスバイク。


 頑張れば速い。


 徒歩より圧倒的に速い。


 ゴブリンからも逃げ切れた。


 だが。


 あれには通用しない。


 ヴェロキラプトルは。


 自転車より速い。


 確実に。


 もし見つかったら。


 逃げ切れない。


 絶望が胸の奥へ沈んでいく。


 佐伯も同じことを考えたのだろう。


 顔色が悪かった。


「見つからないのが一番ですね」


 小さく言う。


 恒一は黙って頷いた。


 もう速度の問題ではない。


 隠れるしかない。


 見つからないように進むしかない。


 それが現実だった。


 二人は慎重にその場を離れた。


 遠回りしながら。


 音を立てないように。


 空と地上の両方を警戒しながら。


 どれほど進んだだろうか。


 やがて大きな商業施設が見えてきた。


 見覚えのある建物。


 巨大な看板。


 なるぱーくだった。


 佐伯がようやく少しだけ表情を緩めた。


「もうすぐです」


「え?」


「家です。ここまで来れば近い」


 恒一は思わず息を吐いた。


 長かった。


 本当に長かった。


 だが。


 まだ着いていない。


 あと少し。


 そのあと自分は港区を目指さなければならない。


 先はまだ長い。


 それでも。


 少しだけ希望が見えた。


 夕日に染まる街並みを見ながら。


 恒一は静かにペダルを踏み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ