第12話「総力戦の号砲と知略の陣」
冷たい風が霧をかき混ぜる。
村を覆う濃霧は視界を白く染め、数歩先の仲間の姿すらぼやけさせるほどだ。
シダ植物から絶え間なく噴き出す水分が、空気中の光を屈折させ、乱反射させている。
空から降下してくる巨大な神殿と無数の使徒たちの気配が、肌を刺すような重圧となってのしかかる。
セリアは霧の中で、村の若者たちと魔族の兵士たちに的確な指示を飛ばす。
「使徒たちが地上に降りるまで手を出さないで。彼らの目はこの霧で効かないはず。足音が聞こえたら、第三の罠を起動させて」
彼女の声は高く澄んでおり、不安に駆られそうな人々の心に確かな道標を打ち立てていく。
上空から、無数の白銀の光線が雨のように降り注ぐ。
しかし、セリアの予測通り、光線は濃密な霧の層に触れた瞬間に乱反射を起こし、威力を散らされていく。
地面に届く頃には、ただの眩しい光の筋へと変わり、土を焦がすことすらできない。
苛立ちを見せた使徒たちが、直接地上を制圧するために高度を下げてくる。
羽音のない、静かで不気味な降下。
彼らの足が村の外れの地面に触れた瞬間、セリアが右手を高く振り下ろす。
「今よ」
その合図とともに、村人たちが地面に仕掛けていた仕掛け紐を一斉に引く。
使徒たちの足元の土が、音を立てて陥没する。
ただの落とし穴ではない。
アルトが事前に植え付けていた特殊な芋の根が急激に膨張と収縮を繰り返し、地盤そのものを底なしの泥沼へと変えたのだ。
泥の沼に足を取られた使徒たちが、バランスを崩して倒れ込む。
そこに、ゼクス率いる魔族の軍勢が霧の中から一斉に飛び出す。
彼らが手にしているのは、鉄の武器ではない。
アルトが魔界の土と辺境の土を混ぜて育て上げた、鋼よりも硬く、使徒の光を吸収する性質を持った特殊な木材の槍と盾だ。
「我らの大地に泥を塗る者ども。その身を以て償え」
ゼクスの戦斧が空を切る。
木材の刃は使徒の体を透過することなく、その光の肉体に深く食い込む。
使徒が苦悶の表情を浮かべ、光の粒子を散らしながら沼に沈んでいく。
魔族たちの連携は完璧だった。
彼らは人間たちの作った落とし穴を利用し、動きの鈍った使徒を確実に仕留めていく。
種族の壁を超えた知略と武力の融合が、絶対的な存在であるはずの使徒たちを次々と地に伏せさせている。
しかし、敵の本命は彼らではない。
上空に浮かぶ巨大な神殿の底部が開き、直径が村の広場ほどもある巨大な砲門が姿を現す。
砲門の奥で、太陽を凝縮したような凶悪な光が収束し始める。
あの光の束が放たれれば、霧の障壁も落とし穴も、村全体が一瞬で地図から消滅する。
「アルト。上から来るわ」
セリアの叫び声が響く。
広場の中央で、アルトは両手を地面に突き立てたまま、目を閉じている。
彼の全身の血管が緑色に発光し、大地の深層から汲み上げた莫大なエネルギーが彼の小さな肉体を満たそうとしている。
肌が焼け焦げるような熱と、骨が軋むような痛みが全身を襲う。
だが、アルトは決して手を離さない。
彼の脳裏には、黄金色に実った麦畑の景色がある。
笑顔で収穫を喜ぶ村人たちの顔がある。
ゼクスが美味そうに果実を頬張る姿がある。
セリアが誇らしげに羊皮紙を掲げる姿がある。
『全部、俺が育てたものだ。一粒の麦すら、お前たちには渡さない』
神殿の砲門から、絶望的な威力を秘めた光の奔流が放たれる。
空気が悲鳴を上げ、霧が一瞬で蒸発する。
その瞬間、アルトが両目を大きく見開く。
彼の瞳は、大地の深層と同じ、燃えるような黄金色に染まっていた。
「喰らい尽くせ。神樹」
アルトが両腕を天に向かって突き上げる。
広場の大地が爆発音とともに砕け散り、巨大な木の幹が信じられない速度で空へと伸び上がる。
それは先ほどの蔓や花とは次元が違う。
村全体を根で包み込み、天を支える柱のような威容を持つ、世界そのものを形作るような巨大な樹木だ。
樹皮には大地の記憶が刻まれ、枝葉は星の呼吸を体現している。
神殿から放たれた光の奔流が、神樹の頂に激突する。
激しい閃光が空を覆い尽くし、世界から音が消える。
光と生命の衝突。
アルトは歯を食いしばり、両腕に全神経を集中させる。
神樹の葉が一枚、また一枚と光に焼かれて落ちていく。
しかし、大地の奥底から無限に供給される生命力が、すぐに新しい葉を芽吹かせる。
破壊と再生の凄まじい均衡。
アルトの口角が、わずかに上がる。
大地の底力は、こんなものではない。
彼がさらに深く意識を沈めた瞬間、神樹の枝が光の奔流を逆登るように伸び始める。
巨大な枝が神殿の砲門に巻き付き、その内部へと強引に侵入していく。
別次元の存在と大地の力の、真の激突が始まろうとしていた。




