拡散
「……思ってたより、見られたな」
玄関で靴を脱ぎながら、零が言う。
「でしょ」
凛が笑う。
「でも、思ってたより“終わらなかった”でしょ」
少しだけ間。
「……うん」
心臓はずっと速かった。
視線も、ひとつひとつ刺さった。
でも……
「逃げなかった、俺」
「えらいじゃん」
軽く言われて、少しだけ笑う。
「……なんかさ」
「ん?」
「怖かったけど」
一瞬だけ言葉を探して、
「ちゃんと、“外にいた”感じした」
凛が、少しだけ目を細める。
「それ、大事だよきっと」
ドアの向こうに、まだ光が残っている。
今度は、閉じるためじゃなくて。
また開ける前提で、そこにあった。
夕飯のあとだった。
リビングの空気が、少しだけ重い。
「……ちょっといい?」
母の声。いつもと同じトーン。
でも、どこか引っかかる。
「なに?」
凛が先に返す。
「これ」
テーブルの上に、スマホが置かれる。
画面が、こちらを向いている。
見た瞬間、わかった。
記事。まとめサイト。
見出し。
『“性別バグる”と話題の美男美女カップル、正体が衝撃すぎる』
スクロールされたままの画面。
並んで写る二人。
零と、凛。
コメント欄。拡散数。見覚えのある写真。
逃げ場が、なかった。
「……これ」
母が、静かに言う。
「あなたたちでしょ?」
疑問形。でも、確認じゃない。
答えは、もうわかっている。
テレビの笑い声だけが、浮いて聞こえる。
「……そうだよ」
先に口を開いたのは、凛だった。
あっさりと。でも、逃げていない声。
母は、少しだけ息を吐く。
「やっぱり」
驚いている様子はない。
むしろ、“やっと確定した”みたいな顔。
「……いつから?」
「結構前」
「なんで言わなかったの」
責める声じゃない。
でも、軽くもない。
凛が、少しだけ肩をすくめる。
「……言うタイミングなかったし」
「なかった、じゃないでしょ」
母の視線が、少し鋭くなる。
その矛先が、ゆっくり零に向く。
「零は?」
名前を呼ばれる。
喉が、少しだけ詰まる。でも、逃げたくなかった。
「……俺も」
声が、思ったより小さい。
「最初は、一人でやってた」
母の眉が、わずかに動く。
「一人で?」
「……うん」
「どういうこと」
もう、戻れない。
「凛の制服、着てた」
はっきり言う。
「写真撮って」
「ネットに上げてた」
言葉にするたびに、現実になる。
母は、少しだけ黙った。
怒るでもなく。
否定するでもなく。
ただ、考えている顔。
「……なんで?」
その問いは、まっすぐだった。
軽く返せない。
「……わかんない」
正直に言う。
「でも」
一度、息を吸う。
「着たとき、ちゃんと自分だって思えた」
言いながら、自分でも驚く。
こんな言葉、用意してなかったのに。
「普通にしてるときより」
少しだけ、声が安定する。
「そっちの方が、しっくりきた」
母は、それを聞いて、ゆっくり瞬きをする。
すぐには、何も言わない。
その沈黙が、重い。
「……凛は?」
今度は、姉に向く。
「なんで一緒に?」
凛は、少しだけ笑う。
「面白そうだったから」
軽い言い方。でも、そのあと。
「あと」
一瞬だけ、真面目な顔になる。
「一人でやらせるの、危なそうだったし」
その一言で、空気が少し変わる。
母が、ゆっくり頷く。
「……なるほどね」
納得、ではない。
でも、理解しようとしている顔。
スマホの画面に、もう一度目を落とす。
コメント欄、知らない人たちの言葉。
『救われた』
『自分もやってみたい』
『この2人すごい』
それを、しばらく見てから。
「……こんなに広がってるのね」
ぽつりと呟く。
怒りじゃない。困惑に近い。
「……うん」
零は、頷く。
「勝手に広がった」
「勝手に、じゃないでしょ」
母が顔を上げる。
「あなたたちが出したんだから」
正論。逃げられない。
「……はい」
小さく返す。
母は、少しだけ目を細める。
「で」
核心に触れる声。
「これ、これからもやるの?」
凛と、目が合う。一瞬だけの確認。
でも、答えは同じだった。
「やる」
ほぼ同時に、口に出る。
母は、その重なりを聞いて。
少しだけ、息を吐く。
「……そう」
否定は、しない。
でも、簡単に許してもいない。
「ひとつだけ」
指を一本立てる。
「家の中で何するかは、好きにしていい」
そこで一度区切る。
「でも」
視線が、まっすぐになる。
「外で何が起きても、自分たちで責任取りなさい」
重い言葉。
守られる前提が、消える。
「変な人に絡まれるかもしれない」
「学校で何か言われるかもしれない」
一つ一つ、現実を置いていく。
「それでもやるなら」
「止めない」
静かな許可。でも、条件付きの自由。
零は、ゆっくり頷く。
「……うん」
凛も、小さく「わかった」と言う。
母は、それを見てほんの少しだけ、表情を緩める。
「……まったく」
呆れたように笑う。
「変な姉弟」
その言い方が、少しだけ救いだった。
部屋に戻って。
「……やばかったぁ」
零が言う。
「まあね」
凛がベッドに倒れ込む。
「でも」
天井を見ながら。
「完全否定じゃなかったじゃん」
「うん」
あの“止めない”が、思ったより大きい。
ゼロじゃない。
「……ねえ」
「ん?」
「次さ」
少しだけ間を置く。
「学校に、言う?」
凛が、横目で見る。
少しだけ笑う。
「いよいよだね」
その言葉に、心臓が少しだけ跳ねる。
でも。
「……うん」
もう、止まる気はなかった。




