第二話 残されたもの
目が覚めたとき、天井は白かった。
無機質な白だ。つなぎ目のないパネルが規則的に並び、埋め込まれた照明が均一な光を落としている。どこにでもある医療施設の天井のはずなのに、妙に現実感が薄い。カイはしばらく瞬きもせず、それを見ていた。時間の感覚が曖昧だった。どれくらい眠っていたのかも分からないし、そもそも眠っていたのかすらはっきりしない。
体を起こそうとして、少し遅れて痛みが走る。鈍くて重い。腕と肩、それから背中。包帯で固定されている感覚だけが妙に鮮明だった。生きている。その事実だけが、どこか遠い。
「……起きたか」
声がした。
視線を横に向けると、ベッドの脇に軍服の男が立っていた。三十代後半くらい。疲労は見えるが、立ち方に無駄がない。現場にいた人間だと、説明されるまでもなく分かる。
カイは何も言わなかった。男もすぐには続けない。数秒の沈黙のあと、事務的な口調で口を開く。
「第七区画北西外壁突破事案。小規模侵攻から中規模へ移行。被害は現在も集計中だ」
淡々としている。誰に向けた説明なのか分からない。ただ事実だけが置かれていく。カイは黙って聞いていた。
「お前は避難路で保護された。外傷はあるが、命に別状はない」
そこで一度、男の視線がこちらを捉える。わずかに間が空く。
「……家族についてだが」
その一言で、全部繋がった。
白い天井。体の痛み。静けさ。全部、あの場所の続きだと理解する。母の顔。血。動かない身体。父の手。思い出すというより、そのまま再生された。
カイは瞬きすらしなかった。
「両親ともに、死亡が確認されている」
それで終わりだった。長い説明も、慰めもない。ただ事実だけが置かれる。
カイは何も言わない。何も感じない。胸の奥が空洞になったような感覚だけがある。だが、それが悲しいのかどうかも分からない。
「遺体は回収済みだ。後ほど手続きの説明がある」
男はそれだけ言って、軽く顎を引く。
「……何か聞くことはあるか」
カイはしばらく黙っていた。聞こうと思えばいくらでもある。なぜああなったのか。防衛線はどうだったのか。なぜ間に合わなかったのか。だが、どれも意味がない気がした。答えを聞いたところで、何も戻らない。
何も変わらない。
「……ない」
出てきた声は、自分でも驚くほど平坦だった。
男はそれ以上何も言わなかった。
「そうか」
短く答え、背を向ける。そのまま病室を出ていく。扉が閉まる音だけが、小さく残った。
一人になっても、涙は出なかった。出そうとも思わなかった。ただ白い天井を見ているだけで時間が過ぎていく。どれくらいそうしていたのか分からないうちに、壁面モニターが自動で起動した。
ニュース映像。
「第七区画北西部における浸蝕体の侵入は、戦装機〈アーク〉により鎮圧されました」
映像には、あの銀色の機体が映っている。瓦礫の中を進み、浸蝕体を切り裂く姿。無駄がなく、迷いがない。ただ機能としてそこにある。
「被害者数は現在調査中ですが――」
音声が途中で切れる。カイが操作したわけではない。自動で次の情報に切り替わっただけだ。別の区域。別の侵攻。別の被害。世界は止まらない。どれだけ人が死んでも、何もなかったみたいに進んでいく。
カイはゆっくりと体を起こした。痛みはあるが、動ける。ベッド脇の簡易端末に手を伸ばす。画面を起動すると、いくつかの項目が並んでいた。医療記録、生活支援、遺族手続き。その中に一つだけ、視線を引くものがある。
軍志願受付。
迷いはなかった。指が止まることもない。画面をタップする。
『志願理由を入力してください』
空白の欄をしばらく見つめる。言葉は浮かんでいる。だが、うまく形にならない。取り戻したい、違う。守りたい、違う。もっと単純で、もっとはっきりしたもの。
カイは指を動かした。
短い一文だけ入力する。
確認画面。送信。完了の表示。それで終わりだった。何かが変わるわけでもない。ただ一つの選択が記録されただけだ。だが、それで十分だった。
端末から手を離し、再び天井を見る。白いまま、何も語らない。その無機質さが、今は少しだけ楽だった。考えなくていい。感じなくていい。ただ進めばいい。それでいい。
目を閉じる。すぐに眠れはしない。浮かぶのは、あの光景だけだ。赤、血、浸蝕体。そして銀色の機体、戦装機〈アーク〉。
あれに乗れば、届くのか。あれに乗れば、終わらないのか。答えはまだ分からない。
だが。
試す価値はある。
それだけは、はっきりしていた。
――他に道はない。




