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侵蝕の戦装機〈アーク〉  作者: なついろあきめ
【第1章】喪失編
1/11

第一話 灰色の日常

浸蝕警報は、もうだれも驚かない。


低く、くぐもった音が要塞都市第七区画に流れても、通りを歩く人々の足は止まらなかった。ほんの少し歩調が速くなるだけだ。買い物袋を抱えた女が子どもの手を引き、地下通路へ向かう。小型車両は進路を変え、外壁沿いの兵士は通信機に手を当てる。それだけで十分だった。これが日常だ。


灰色の空は、ずっと変わらない。カイが生まれるより前から、あの空の向こうから現れた浸蝕体は、今では地の底にまで広がっている。だから誰も驚かない。驚いたところで何も変わらないと知っているからだ。


「カイ、行くわよ」


母が言う。振り返った顔は、いつもと同じだった。警報が鳴っているのに、まるで夕飯の話でもしているみたいに穏やかで、紙袋を二つ抱えている。


「……まだ第一警報だろ」

「だからよ。早く動くほうが安全なの」


軽く笑われる。訓練で何度も聞いた言葉だ。避難経路、シェルター、警報段階。全部知っている。知らないと生きられない。

でも、カイは警報音が嫌いだった。あの音が鳴ると街の空気が変わる。色が抜けて、温度が落ちる。もともと灰色なのに、さらに何かが削られるみたいで。


母に手を引かれ、人の流れに混ざる。前を歩く老人が咳き込みながら進み、その背中に小さな子どもがしがみついている。大型モニターには外周の状況が映り、赤い点がいくつか点滅していた。まだ遠い、そう思った。


「お父さん、間に合うかな」


母は一瞬だけ視線を伏せた。


「大丈夫。すぐ合流できるわ」


その言い方はさっきと同じで、カイはそれ以上聞かなかった。


階段に差しかかった、そのときだった。地面が跳ねた。足元から突き上げられる衝撃に体が浮き、人の流れが崩れる。誰かが悲鳴を上げ、照明が明滅し、視界が揺れた。


「第二警報――外壁北西部、突破――」


突破。その単語だけが、はっきりと頭に残る。


「走るわよ!」


引かれるまま、カイは駆ける。肩がぶつかり、足元で何かが転がり、母の紙袋が落ちて中身が散らばる。それでも拾わない。拾えない。

隔壁が閉まる音が響く。間に合わなければ終わりだと分かっている。


「母さん――!」


呼んだ瞬間、爆音がすべてを消した。衝撃が空気ごと押し潰し、視界が崩れる。何が起きたのか分からない。ただ、手が離れたことだけは分かった。


「――カイ!」


母の声がした気がして顔を上げる。


そこにいた。


異形。教本で見たはずのそれは、まるで別物だった。近すぎる。理解するより早く、それは人に触れた。殴った、そう見えた次の瞬間、その人の上半身は消えていた。赤が飛び、誰かが叫び、音が遠くなる。さらに現れる。二体、三体。多い。兵士が撃つ。閃光、連射音、火花。それでも止まらない。世界が壊れていた。訓練もルールも、何もかも意味を持たない。


「カイ、こっち!」


母が駆け寄ってくる。顔に血がついている。立ち上がろうとしても体が動かない。怖いというより、現実じゃないみたいで、その瞬間、影が跳ねた。


「――ッ!」


母がぶつかってくる。押され、視界が回り、床に叩きつけられる。息が抜ける。顔を上げる。

母がいた。

その身体を、浸蝕体の前脚が貫いていた。

声が出ない。血が流れる。多すぎる。


「……かい……」


聞き取れない。聞きたくない。母の身体が崩れる。カイは動けない。助けないといけないのに、何もできない。浸蝕体がこちらを見る。終わりだと分かる、そのときだった。


壁が吹き飛んだ。轟音とともに銀色の巨影が落ちてくる。人型。戦装機〈アーク〉。着地と同時に撃ち、斬り、踏み潰す。速い。強い。圧倒的だった。だが、それでも遅い。すべてが遅すぎた。


「回収しろ!」


声が飛び、誰かに掴まれて引かれる。それでも視線は動かない。母から離れない。


運ばれる途中、瓦礫の中に父の姿が見えた。動かない。手だけが伸びている。音が遠くなり、何も分からなくなる。ただ、見ているしかできない。二人とも、もう動かない。助けられなかった。何もできなかった。この世界はこういう場所だと、はっきり分かった。


アークが最後の一体を踏み砕く。火花が散る。灰色の空は変わらない。


「……軍に……入る……」


自分でも驚くほど静かな声だった。アークを見る。あれなら戦える。あれなら、奪われる側で終わらない。


胸の奥で何かが固まる。悲しみより先に、涙より先に、冷たいまま形になる。

久城カイはこの日、すべてを失った。

そして同時に、ひとつだけ手に入れた。


――殺したい。


それだけだった。

読んでいただきありがとうございます。初めてで至らないところばかりですが、見守っていただけますと幸いです。

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― 新着の感想 ―
コメント失礼します 灰色の空、怖いですね... ゲームの影響で地球外起源種VSロボットの作品が好きなのですごく楽しめました! 頑張ってください!
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